4 過去の密室と、妖怪について

 犬彦さんはかんかんに怒っていた。


 客室に通されて、ふたりきりになった瞬間、犬彦さんはじろりと俺を睨んだ。



 「江蓮…お前、高級ブランド食材を連呼されてホイホイ釣られたらしいな、犬みたいによだれを垂らしながら喜んでいたらしいじゃねえか。


 まったく、俺がお前におやつを与えていないと思われるだろうが」



 「…スミマセン」



 いろいろと自覚があるので、しょんぼりとうなだれる。


 犬彦さんが腹を立てている理由は複数あった。

 だが最大の怒りどころは、この屋敷から立ち去る機会を逃してしまったことだ。


 窓の外へと視線をやれば、雨のいきおいのすごさが分かる。

 その強さは、さっき食堂の窓から眺めたときと、まったく変わらない。



 「最近多いわよねえ、突然の雨。

 スコールっていうの? 

 日本が熱帯化している証拠なのかしら」



 突然の大雨に、半ば呆然と、外の光景をみつめる俺と犬彦さんを尻目に、食後のコーヒーを口にしながら、優雅に三条さんは語った。



 「これじゃあ、しばらく外出はできないわね。

 車に乗り込む前にずぶぬれになってしまうもの。


 それにね、この辺りは粘土質だから雨が降ると、ものすごく地面がぬかるむのよ、タイヤが滑るの。

 こないだだって地崩れがあったし… 。


 ねえ、今夜一晩泊まっていきましょうよ。

 これも何かの縁、わたし、もっと江蓮くんとお話したいわ」



 俺はちらりと犬彦さんの顔を見る。


 安定のポーカーフェイスだが、ほんの微かに困惑しているのが見て取れた。

 だいたい理由はわかる。


 通常の犬彦さんであれば、今のような状況なんて気にもしない。


 例えば台風の最中に崖の上にいたとしても、「江蓮、俺のドライビングテクニックを舐めるな」とか言って、俺をさっさと車に乗せ、とっとと出ていくだろう。


 そう、俺たち二人だけなら、犬彦さんは何も躊躇しない。


 だけど有理さんが一緒なのだ。


 好意で駅まで送ってくれる有理さんを、自分たちの都合で危険にさらすわけにはいかない。

 そんなふうに、犬彦さんは考えているはずだ。


 出て行きたいけど、出て行けない。


 そのジレンマが歯がゆくて、犬彦さんはイライラしている。

 そして結局、言うべきセリフはこれしかない。



 「…重ねてご迷惑をおかけするのは心苦しいですが、お世話になります」


 

 

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