2-9
「まあ、キルフェボン好きなの?
たくさんあるから、よかったら一緒に食べない?」
「えっ? ええっ、いいんですか?」
魅力的なお誘いの言葉に、ごくりと唾を飲み込む。
クラスの女子たちに、荷物持ちとして都内スイーツ巡りに強制参加させられたとき、お情けで与えられたキルフェボンのフルーツタルトの味が、脳内で再現される。
うう、食べたい! でも…。
「あ、いやでも十分もう迷惑かけているし、その、兄が待っているので、もう行かないと、残念ですが…」
なんとか煩悩を振り払う。うまい具合に、有理さんが援護してくれた。
「ええ、残念ですが三条さま。
お急ぎの方たちなので、今から駅までお送りするところなのです。ですので…」
せっかくの好意に気を悪くしないよう、俺と有理さんがしどろもどろで退出の意を伝えると彼女は少し小首を傾げてため息をついた。
「そう、急いでいるのね、残念だわ。
デメルのザッハトルテもあるのに…。
お祝いはお客様が多い方が賑やかでいいのだけれど、仕方がないわね。
じゃあ有理さん、あなたが出かけているあいだ、キッチンをお借りするわ。
チキンやチーズなんかも持ってきているのよ、ちょっとした前菜くらい、わたしにだって作れるんだから」
意気揚々と彼女が廊下を進みだそうとしたとき、有理さんが慌ててその通路に立ちふさがった。
「いけません、三条さま! 来賓の方を厨房に立たせるなんてできません!
どうか客室でおくつろぎを」
「来賓だなんて水くさい。
駅まで送るなら往復で、かるく一時間はかかるでしょ。
そんなに待ってたら、お腹ペコペコになっちゃうわ。
いいから行ってらっしゃい、後はわたしにまかせて」
「いいえ、だめです! そんな…」
有理さんは見るからに真面目そうな人だ。
お客に給仕をさせることなんて許せないのだろう。
どちらかというと穏やかな印象の人なのに、必死になって客人をなだめているが、三条サマは聞く耳を持たない。
わいわいと言い合いをしている。
ああ、こんなとき、部外者の俺はどういう行動をとるのが正解なのだろうか?
仲裁に入る? それとも、そっとこの場を立ち去るべき?
ふたりの女性に挟まれて、おろおろしていると…。
ぐうぅううぅぅーーー……。
突然響いたその音に、押し問答を繰り返していた女性ふたりの動きがぴたりと止まり、賑やかだった玄関ホールに沈黙が訪れる。
うつむいて、俺は自分の顔を手で覆った。
それでも二人が俺を見ているのがわかる。
視線がつき刺さる。
うう、そうです、今のは俺の腹の鳴る音です。
ああ死んでしまいたい……。
「うっふふ、そうよねえ、お昼だもの、おなかすくわよねえ。
ねえ、ここで一緒にお昼食べましょうよ。
急ぎだって、どこかでお昼の時間は取るでしょう?
だったらタイムラグは同じじゃない。
鎌倉山のローストビーフもあるのよ」
鎌倉山のローストビーフ…。
その一言で俺の胃袋は見事に陥落したのだった。
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