2-5

 

 「そう言っていただけると…。

 ですが、この辺りは一番近くの集落に住んでいる人たちも滅多に寄らない場所なんです。

 本当にこの建物以外には何もなくて。

 やってくるのは熊や猪ばかり…」



 「えっ、イノシシ!」



 目利きよろしく部屋の中の絵画を観察していた俺は、有理さんの言葉に飛び上がった。


 そんな野生動物がうろうろしている所だったなんて、さっきまでピクニック気分で山道を歩いていたけれど、俺たちけっこうヤバかったんじゃ…。


 そう思うと、今更ながら冷や汗が出てくる。

 俺の反応を見て、またしても有理さんはくすりと笑う。



 「ですので、観光の方が立ち寄られるのは初めてです。ええと…」



 「失礼を。俺は赤間犬彦、あっちのは…弟の江蓮です」



 「どうも、江蓮です」



 有理さんが俺を見て微笑む。

 俺もへらりと笑って返す。


 彼女は俺たちのことを、山をドライブ中に車をパンクさせて困っている観光者だと思っている。

 とてもじゃないけど恥ずかしくて、渋滞に腹を立て、山越えをしようとした挙げ句、遭難したなんて言えない。


 このあと有理さんは、俺たちにハーブティーをごちそうしてくれて、さらに談話室の固定電話から修理会社に連絡してくれた。


 結果、あのパンク車を修理するには、立地的な問題もあり、いますぐにどうこうというのは難しい、何日かかかるかもしれない、とのことだった。



 「別に構いません」



 ティーカップを手に、落ち着いた様子で犬彦さんは答えた。



「お手数をかけるようなら最悪、廃車にしてもいいくらいです。

 元はと言えば、こちらの落ち度。

 ただ重々申し訳ないが、最寄りの駅まで移動するための足が欲しい。

 何か方法がないでしょうか」



 「そうですね、日が落ちてからこの辺りを移動するのは危険ですし…。

 野生動物が活動的になるうえに、森の中は暗く…。


 これから屋敷の車で駅までお送りしましょう。

 準備してまいりますので、少しお待ちください」



 そう言うと、有理さんは部屋を出ていった。

 本当に親切でいい人だ。

 俺はお茶と一緒にだされたクッキーを貪りながら、彼女の後ろ姿を見送った。


 その横で、実にくつろいだ様子の犬彦さんがそっとつぶやく。



 「まったく、あいつの車で来て正解だったな」



 「……」



 森の中でパンクをしているセダン。

 それを、廃車にしてもかまわないとあっさり言った犬彦さん。


 そこにためらいがないのは、あの車の所有者が犬彦さんではないからだ。



 「おい栄治。江蓮と旅行に行くから一番いい車貸せ」



 チンピラばりにズケズケとそう言って、犬彦さんの古くからの親友である栄治郎さんという人から、強引に借りたセダンだった。

 どれほどひどい犬彦さんのわがままも、栄治郎さんはいつだって不思議なくらい受け入れてくれる。


 自称キレイ好きの犬彦さんにとって、自分の所有車での飲食や喫煙は実にけしからん行為であり(ただ汚れたときなんかの掃除や後始末がめんどくさいだけなのだと思われる)楽しい旅行のドライブ中、安心して好き勝手散らかせるように、こういうとき犬彦さんは毎回、栄治郎さんの車を奪う…いや、拝借している。



 「気をつけて行っておいで。楽しい旅行になるように」



 そう言って、笑顔で見送ってくれた栄治郎さん。

 ごめんなさい。

 俺がついていながら、また栄治郎さんの車をダメにしてしまいました…。


 経営者でお金持ちのうえ、おまけに人格者の栄治郎さんは、いくつかある車のひとつが廃車になったって気にも留めないかもしれない。

 「君たちが無事でよかった」とか言って、笑って許してくれるのだろう。


 だけど、そんな優しさにつけ込むように甘え続けてはいけない。

 

 

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