2-6

 

 「犬彦さん、ほんとうにあの車、廃車にしちゃうんですか?」


 

 おそるおそる訊ねてみる。


 革張りのソファにゆったりと身を預けながら、実にリラックスした様子で窓の外を眺めていた犬彦さんは、のんびりと答えた。



 「俺の車じゃねーからな」



 「犬彦さん!」



 思わず声を荒げてしまう。


 犬彦さんのことは尊敬しているし、犬彦さんの決断はいつも正しいと思っている。

 だけど犬彦さんは、ほんの少し(だと信じたい)モラルが欠如しているところがある。


 犬彦さんのためを思うなら、家族として、そのモラルの歪みをこの俺が正さないといけないのだ!


 ぼんやりと風景を眺め続けていた犬彦さんは、その視線を俺に移すと、ふっと微かに口の端を持ち上げた。


 抗議を込めて、じっと犬彦さんを睨んでいた俺だったが、その本当にささやかな微笑みを見て、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 基本、ポーカーフェイスの犬彦さんが笑うなんて、月食並みに珍しいことなのだ。



 「まあ、いつかパンクを直したら、栄治に返却してやるよ」



 あっさりとそう言って、犬彦さんはハーブティーを口にする。


 なんだ、廃車うんぬんっていうのは、冗談だったのか。


 穏やかにお茶を飲んでいる犬彦さんの姿を見ながら、ほっと胸をなでおろす。

 安心したら、なんだか腹がへってきたので、お茶請けのクッキーに手をのばした。



 「だが…」



 犬彦さんは目を伏せて、ティーカップのなかを静かにみつめている。



 「車なんかどうでもいいから、早くここから立ち去りたいってのが本心だ」



 そう囁いた犬彦さんの声には、警戒色が混じっていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る