蠱惑 (PG18)

そうなれば、行動は1つだ。

期日までに集落のなかで農業を営んでいる家を訪ね歩き、衣類や調度と引き換えに農作機具を譲り受けた。

コキノが巡回にくるときを避けて、隠密に整えた。これはあくまで個人的な趣味で、誰にも邪魔をされたくないからだ。

いつものように暮らし、縫いものをし、コキノの護衛をし、合間をみて体を鍛え、筋肉をつけるために食事も改良をした。飢えた体は素直に反応し、徐々に体つきが変わってきた。


護衛のための刀を帝から許しを得て、鍛冶屋に注文をした。特製の長剣で、国土から出土する唯一の頑丈な黒く光る石を加熱生成したもので、切れ味も質も申し分ない。


時は来たれり。

採寸をしてからおよそ三ヶ月目の大雨の日だった。

客人を再度家に招き、生まれて初めて制作した角や頭部形状に合わせて穴のある紳士を客人に被せて、新しく仕立てたツーピースの厚手のツィード生地のスーツを着せた。

初めてにしてはほぼぴったりと、顔や頭部に馴染むいい帽子ができた。

客人が喜んで微笑む。礼を言うタイミングで、おもむろにこちらから口づけをした。

客人は大きく目を見開いて、抵抗を見せる。

両手の力で捩じ伏せる。

鹿の角で抵抗される。

俺は更に気分が心地よくなる。

ああ、目の前の者が抗っている。

生をまっとうしようとしている。

想像以上に、俺は飢えている!

「求めていたものは此れか?」

その乾きともいえる感情に、斧が答えた。

雨が激しく降っている晩の気味悪さを

裂くように振り下ろす。

深い夜の森の中で、1つの叫び声。

悶え、首を振って抜け出そうとする。

男の上体から体重を乗せて制止する。

逃さない!

頭骨が砕け、その内側より血の噴き出す様相に幸福感すら覚える。いや性的興奮をはじめて知る。

コキノをはじめて見たときから、その身そのものを欲しいと思っていた。

しかしながら彼には手を出したくない。

だから、この目の前の美しい鹿を手に入れようという浅ましさ。

随分と身勝手で甘美なものよ。

「美しい!」

自分の顔に飛び散ったものが血なのか臓物なのか見えないが、粘着質な感触にまた高揚する。

笑いがこみ上げる。

鹿頭の口から漏れる泡を眺めながら、しぼんだ皮がやがて得体のしれぬ充足感に充たされ、破裂する寸前のように俺の気持ちは喜びともいえる感情でいた。

これで完全に私の所有物だ。

口答えも離反もない、完全なる物になった美しい物よ。

明けてゆかぬ夜の森の雨に打たれながら

衣類が泥だらけになっているにも関わらず

ずっと笑っていた。

斧で裂いた帽子をゆっくりと鹿頭から取り外した。

丁寧に縫製したはじめての紳士帽は、帽子の頂上で真っ二つになり、黒く汚れ、ひどい獣臭がした。

それをおもむろに鼻の側に持ってきて、臭いを吸い込んだ。

たった今まで生きていた者のにおい。


その後、丁重に肉と骨を切り分けて、裏庭にて深く掘った穴に肉を投げ入れ、骨だけになるまで地上で別に焼いた。

頭部は損傷がひどいため切り分けられず、ようやく後悔の念が湧く。

美しいままで取っておけなかった。と。

作業は埋葬というよりも調理に似ていた。

不思議とその他の雑念は混じらずにかえって落ち着きを保っていた。

人をひとり殺めたというのに。

殺めた事実への罪悪よりも、これで永遠に愛蔵品になることへの愛着を抱いていた。

燃える火を眺めながら、その晩はずっと起きていた。

夜の夢は、いつまでも狂っている。

きっと夜が明けることはない。


こうして、俺は「帽子屋」になった。




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