混沌

やがて、来訪者が目を覚ました。

1日中寝ていたものの、意識は徐々に鮮明になっているようだ。

見張りを兼ねてその者の側にいた。

コキノは宮廷にあがっている。

薬師が来訪者の顔をのぞきこんで、よしとつぶやいた。

「もうあとは大丈夫だな。はっきりしてきたら、どこへでも行くとよい。どこへ行っても君の知らない場所だがね」

「はぁ…ここはどこですか」

額を手で覆い、次に無事を確認しているように角に触れている。

「さぁな。ここは奇異なる國さ。どうにもこうにもおかしくなっちまった世界で、お前さんもここで終わる」

「それは一体どういうことだ」

「この國には港も空の繋がりもない。外の世界に通じてない。運が尽きたと思って、ゆっくりしてゆけ」

俺は嘲笑って、鹿のような人間の顔面に煙を吹き掛けた。煙にまかれて噎せかえる姿の鹿の男の険しい表情に、背中がぞくぞくとした。

なんという美しい造形。

身体の奥からまたなにか沸き上がる衝動を感じる。

一旦冷静になるため、また煙を吸う。

しかしながら目の前の端正な造形物から目を反らすことができない。

異様な感覚を抱きながら、島の中央の大きな机がただ置いてある広間へ案内した。

ああ、枝分かれした立派な2本の角にみいってしまう。

コキノが定刻どおり、茶色の格子模様の上着に白襯衣、濃茶の半丈の洋袴であらわれた。 やはり白い肌には白襯衣がよく似合う。

はじめての客人のいる茶会で舞い上がっているようで、何度も机に昇ったり降りたりを繰り返している。

茶葉はこの國で生産された上等の葉で、香りのよいものを選んだ。茶器は古物商から譲り受けたものを客人用とした。白くて、金の縁があるだけだが雰囲気を損ねない器と急須。

菓子はスポンジケーキとカスタードとを層にしてかさね、クリームをかけフルーツをあしらい飾り立てたものを、東の集落に住む菓子つくりに長けた婦人に作らせた。

茶とよく合う甘さだ。

「ねぇ、貴方は何処から来たのだね。旅をしているのかい」

コキノは茶をそっちのけにして、客人に迫る。

客人は大きな口を緩ませて、微笑んでいる。

「いやなに、船で隣の国へと向かうところだったのだ。私はこの通り異形であるが、魔法使いの見習いでね。変化の術でありとあらゆる部位を変えたのだ。不便はあるが、二足歩行で手があればだいたいは事足りる」

コキノは客人の手を取り、まじまじと眺めているのだった。

その穏やかなやり取りを見ていると、何やら気持ちが逆立ってゆくのを感じる。

コキノが客人と話す姿を見ているだけで、気分が悪い。

口を挟まず、少し離れた場所から客人を観察する。

時折、ポケットに手を滑り込ませてなにかに触れている。

「コキノ、茶を新しく注いでくれぬか」

わざとらしく呼び掛けた。

コキノは耳を立てて、こちらを一瞬睨んだ。邪魔するなと言わんばかりに。

「なるほど、客人に出涸らしを振る舞うわけにはいかない。待たれよ」

コキノは少し離れた場所に、雑然と置かれた棚を漁りだした。

鹿の客人は、俺のほうを見て微笑んだ。

入院用の衛生服のままなので衣服のなかの骨格がはっきりとわかる。

「貴方は生粋の人間なのか」

「左様」

「そうか、あの白兎の少年はたいそう愛らしいな。目が離せなくなる」

その言葉を聞くなり、頭から下腿まで一気に体が強ばる。言い様のない感情を整理できない。

表情を強いて隠すように、顎から口元にかけて手を置いた。

「客人、衣服と帽子は見つかったのか」

「海に取られてしまったのか、浜にも戻ってこないようだ。このまま国へ帰れないならば新しく欲しいものだが、どこかに店はあるのか。幸いにも少額なら金は残っている」

「通貨は同じものではないだろうが…俺は仕立て屋で、帽子屋としても開業しているのだが帽子をまだ作ったことがない。試しだから金銭は不要だ。雛型になってくれないか」

客人は2つ返事をした。

後頭部からみやる首筋のなんと美しいことか。

冷静と混沌がせめぎあう。

それから客人を夜の森の自宅へ招き入れた。肩から上の部位のあらゆる箇所を計測するだけなのに、気持ちが高ぶる。

持っていた巻尺でそっと、客人の幅がないのに大きな頭と角の周囲を計測した。

ぐっと唇を噛みしめて、その日は計測のみで客人を帰した。

角を持つ彼を見送るときに、

明確にこの感情に整理がついた。

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