幕開け

見慣れぬやわい光が差し込む白い天井の幕開けに、ようやく世界に朝がきたのかとぼんやり感じた。

だいぶ沈んだ布団に包まれて、まだ視界が霞んでいる。

ドアをノックする音。

小さく唸るように返事をした。

「目が覚めたかい、ブラン」

コキノが足早に近づいてくる。

「しばらく…ずいぶん眠り込んでいた 」

彼の半透明の象牙色の髪の毛がふわりとゆれる。

布団の側に、盆を置いたとき、もっとも彼が近づいたのを確認した無意識のうちに、手を伸ばし、彼を後頭部から引き寄せ、

胸のうちに抱き抱える。

意識がまだはっきりしないものの、俺には彼が必要だということが明確に理解できた。

コキノはやがて体勢を変えて、そのまま添い伏した。

そうして何時間が経ったのだろうか、いや数分だったかもしれない。

つぎに目が覚めたときには、コキノと目があった。

赤の瞳がチラチラと内包物が弾けるように輝いてみえる。

「おはよう」

「おはよう。貴方のせいで今日も宮にゆけなかったのですよ、おかげで二度寝できましたけど」

布団の中で二人でクスクスと笑いあった。


それから数日して、今度は島の中心に大きな広場を作り、茶会の会場を作った。

アリスを出迎えるためだという。

ちょうど夜の入り口の明るさで、木々の間に提灯などを下げて会場を見やすくする。

職人を数人呼んで、早急に会場を拵えた。

この間に、俺とコキノは東側の集落のガラクタ売りの店で、食器や茶器を選んでたくさん購入した。

店を出て、少しだけ遠回りして南へ下ってゆく。道路は整備され、平坦なので非常に歩きやすく、松林がずっと続いているため、日差しが直接射し込んでこない。木陰は涼しかった。

二人並んで木陰の陰の深くをたどって、浜へと向かう。

「つい先日、私は勅を賜り、有事には代弁判官にて裁判の進行係をすることになった。とはいえ、有事はそうそう起きないため平時は定刻に島を巡回し警護をすることに決まったのだ。見てのとおり私は獣のなかでも最弱で、人の形を得てもまだ力が足りない。それで貴方の時間と力をお借りしたい。帝もこの案は承諾している」

「島を回るくらいなら危険はなかろう」

「そうではない、私はその時間にアリスを迎えたいのだ。それも午後3時に巡回し、最後に広場へ集い茶会を開こうと決めた」

「俺の同意もなく?」

コキノはにやりと微笑んだ。

「貴方だって退屈で仕方ないでしょう。街の人はみんなおかしくなってしまった。私の願いとはまた別な作用のようだが、どうしようもない。貴方が巡回によって仕事の妨げになるならと、帝から支援資金が渡るよう手配もしている。悪くないだろ?

それに! アリスを出迎えるのが兎だけだなんてさみしかろう、帽子屋もいたらなお愉快ではないか」

「俺は帽子屋を営んでいるつもりはないが…」

そういうことではないのだが、と思ったが、顔をしかめても彼が怯む気配もなく、たしかにこのまま気が狂うよりも毎日同じことでも習慣を変えるほうがまだ幾分ましだろう。

松林を抜けて、日差しが強い真昼間の、浜にはただ一本の桜の木が不自然に植わっている。花は盛りの頃合いだ。

波が寄せては返す。これから世界のゆくえをただ見守るように海がまた静かに鳴っていた。

白く荒い粒子の砂浜に、風が吹いてチラチラと粒粉を撒き散らす。

「コキノ、俺の後ろに」

咄嗟に前に立ちふさがった。

遠く離れた空の暗雲が勢いよく渦を巻いてこちらの頭上に向かって空を掻き分けて進んでくる。

「どうした」

「ただならぬ気配がする」

例えようのない、不吉な予感がするといえばよいのだろうか。

帝から配給された短い刀をコキノの腰から奪いとり、体の前に構える。

暗雲がほぼ真上にきた。

雷か、嵐か。

瞬時に刀を浜から松林のほうに投げつける。砂浜に斜めに刺さった。

空が光った。

コキノの全身を覆うように、砂浜の上にできるかぎり身を平にして伏せた。彼は着物の袖にほぼ全身隠れている。

乾いた音がすぐさま鳴る。空から大地が引き裂かれる音。

雷は一瞬のうちに、刀へ落ちた。

びりびりと空気が痛い。

耳も轟音で反響し、こもったような感覚がする。

手足がしびれて、立ち上がろうにも力が入らない。

波立つ海から影がすうと立ち上がってくる。ふらふらと左右に揺れながらこちらへ来る。

誰かいる。

先ほどまでは人の気配などなかったのに、と目をこらした。

全身が濡れて黒い人がゆらりと海から上がって、此方へ近づいてくる。

手先なら動くか。

ふいに、その人は浜へと倒れ込んだ。

息の音がかすかに聞こえる。

コキノが起き上がり、その者に歩み寄った。

海藻のように重くしなった長い白髪の毛を勢いよく引き上げ、顔を近づけて覗き込んでいる。

コキノの足を掴んだ。

「おい、危険があったらどうする。俺から離れるな」

「動けない人に言われたくないね。万が一この人がアリスでないかと身を案じたのだ。

さて……観察したところ、頭部から長い枝状角、顔面は鹿、体は我々人間のような形、手というか足なのか、爪の堅くなったような形状をしている。指というにはいささか短い。指というならば2本ある。これは人間か」

「お前の話を聞く分には、到底人間には思えぬが二足歩行する動物を見た試しがない」

ようやくしびれが解消してきたため、後方の焼けた刀に視線をもどす。例え黒炭でも一度なら使えるか。ゆくりと起き上がり、コキノの傍に歩み寄った。

 まだ息があるようだ。敵意があるかどうかもわからぬ者をこの島にあげてよいのか判断がつかないが、見たことのない人ならざる人間のような者に俄然興味が湧いてくる。

「コキノ、こやつをどうする。身なりはボロだが、他の諸国のどこからか漂流してきた来訪者に感じるのだが、手当するか」

 コキノは長い耳をピンと頭頂部真上に立て、言葉に反応した。

「来訪者! それなら話は早い。私たちはいづれアリスを迎えねばならないがその練習、いや手順の予行も必要ではなかろうか! そうだ、茶会だってまだしていない。 そうだ、そうだ。早急に手当てをしてやろうではないか! 」

コキノは無理やり彼の脚を掴んで引き摺る動作をし始める。濡れた重みと砂に埋もれてなかなか動かない。

「俺が持つ」

筋力が落ちてきたとはいえ、濡れた客人の上体くらいは持ち上げることができた。下腿まで持てるほど軽くなかったため、両脚はコキノに支えてもらってようやく浮く程度だった。

薬師の家まで道のりが遠いが、これしか方法はなかった。

何度も降ろしては担ぎ上げを繰り返し、ようやくたどり着いたのだった。

普通に歩けば15分程度の道のりを時間にして1時間費やしていた。

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