変わりゆくもの

それから、数日、数ヶ月経って、俺の住む地区は朝も昼も訪れない夜の森になってしまった。

コキノは時間感覚がズレて、体調がすぐれないということで、しばらく前に俺の家を出た。ちょうど反対側の昼と夜の合間の森に空き家を見つけたようで、引っ越していった。

かくゆう自分も元々大食らいでもないが、ますます食欲が失せ、筋肉も落ちて痩せてきた。家の至るところに電灯を増設した。それでもずっと夜というのは、思いの外身に堪えている。

しばらくして、手の震えが止まらなくなってきたため同じ夜の森の南側に棲んでいる薬師を訪れた。

これまでの経緯をはじめて他人に話した。

薬師は見た目があどけない少年の姿をしているが、成人しているという。

白衣をまとい、足を組んで大層気だるそうに、だがニヤニヤと楽しそうでもあり、じっとこちらの顔を見つめている。

薬師の家は煉瓦の造りで、内装は艶のある褐色の木材で家具を揃え、壁一面に引き出しがある奇異な内装だ。部屋中に小さなランプを置いて、棚の側面に伝うように細長い管を巡らせていて、中に更に小さな電球を繋いだものをくぐらせることで薬棚のどこにも影ができないような仕組みになっている。

鼠の耳が映えた双子の少女たちが薬の調合や出張販売などの補佐をしているという。その子たちも今は同席している。

「なるほど。最近、空気が変わったなぁと思ったんだよ。近所の集落の人たちがさぁ、ある日を境に同じことしか言わない。行動しない。これを君はどう思う」

「もとより思慮深く暮らしている民衆ではないゆえ、特に疑問はない」

「嗚呼、君も考えなしにいたら、この大嵐に巻き込まれてしまうよ。今は暴風雨、大嵐だ。嗚呼、雨は降ってないけどね」

薬師は右手で小型のペンライトを持ち、左手で顎を抑えるなり、器用に目の中を光で覗き込む。

「君も時期に気がおかしくなる。夜の森からは出ないのだろう」

「あそこは店だ。移動する理由などない。灯りさえあれば商売するのに不便はないからな」

「強情だねぇ。だからこそ、助言するのだ。他にも気がかりがあるようだから、今のところは投薬治療を奨める。薬で気持ちを和らげる。それが今の時点での最適解だ」

「ほかに方法があるのか」

「ひとつは根元的な物事を排除。これは簡単でない。もうひとつは君を完全に世間から断絶させる_つまり入院という名の監禁さ_!」

薬師は息を吸って小刻みに笑った。

「先生、やぁだ。わかりやすく言わなきゃ。とっくに世界はイカれちまったんだって」

鼠の双子のうちの1人が笑いを含みながら、薬師の袖を引く。

「そうそう、もうとっくに手遅れになっちまったんだよ。帽子屋さん?

貴方ぁ、何処から来て、何処へゆくのか理解しているか? 親も兄弟もわからないうえに、自分の素性すら知らないのではないか? へんてこな話だろう、こう話す私でさえ自分自身が急に現れた気がするの」

双子は左右片方ずつ髪で目を隠しているせいかチラチラともう片方の目が光って見える。やけに派手な朱から黄色の刺繍の細かな羽織をまとい、柄は鼓や糸結の縁起ものであった。

しきりに双子は身を寄せてお互いを触りあっている。

先生、と呼ばれている薬師は顔色を変えずに、体よりも大きな安楽椅子に凭れて頬杖のまま、ずっとこちらを見つめている。

「理解した?」

深くため息をついた。なにがわかるという。まだあの白兎の奇行すら理解できないのに。

「とりあえず、乾燥薬草を燻すことによってでる煙を吸ってみてくれ。それが薬だ。体に合えば直接口に煙を吸い込んで、お腹に入れるのを想像してみるといい。最初は部屋で香のように焚いておくと次第に慣れるだろう」

薬師は鉄で出来たパイプと、香皿を差し出した。

双子は慣れた手つきでパイプと香皿を受け取り、使い方を詳しく説明をはじめた。

平易な言葉で無駄のないもので、理解に惑うことはなかった。

話はそれで終わった。


宮の帝の計らいで急激に仕事が増えた。装束を一新し、国政と民を鼓舞させるためだとか、なんとか。

仕事がないよりはよいものの、納品数と納期が見合わぬ行程量で、職人として妥協をしたくない意地と早くやらねば間に合わない作業ゆえに悩みつつも、常時より神経質になっているせいか、目の前の机が歪んで見えたり、針の目の数を誤ってしまったりしてしまう。こんなことは今までに感じたことがない。

投薬の薬を煙にし、作業する窓辺に小皿にて焚いているだが、一向に手の震えがよくならないどころか、眠ることすらできない。

そうして3日経った。

一通りの依頼装束を完成させ、宮殿に向かう途中で、遠回りになるがコキノの家へ立ち寄った。

こちらは昼と夜の間で、朝のような、夕のような絶妙な光の加減の空をしている。

コキノは朝食を作りおえて、机に食器を並べているのだった。

「貴方、なんの合図も挨拶もなしにひとの家に上がるなんて無作法じゃありませんか。まったく。まだ寝巻きのままですよ」

コキノはじろりと睨んで、こちらへ歩み寄ってきた。

「あの大荷物は宮への献上衣装ですか」

「そうだ、ああ……」

急に体から力が抜けて、床に膝をついた。

とっさにコキノが俺の腕を掴む。

「ちょっと!」

意識が遠くなっていく。コキノの顔をみたら、急に、瞼が落ちてゆく。

力を振り絞って、立ち上がる。

「三日三晩食わず、で…寝床を借りてよいか」

コキノがどんな表情をしていたか、わからぬまま世界が暗転した。

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