第21話

 そりゃあそうだよな。彼女たちの出自がどうあれ、人間として生きていってほしいと思うし。人権とか何とか、いろいろあるからな。


 俺もリュンと共に、ブリッジ側面の強化ガラスに歩み寄った。そこには、太陽の光を受けて輝く青い球体がある。


「皆、そのままで聞いてくれ」


 バリーが艦長席に戻って語り出した。今、ブリッジには六人全員が揃っている。


「本艦はこれより、月の引力を利用して軌道を調整し、連邦宇宙軍総司令部のある米国テキサス州・ヒューストンに降下する。大気圏突入時に危険はないが、外から地球を眺められるのは今のうちだ。よく見ておくように」


 何だか宇宙遠足の先導を務める学校の先生みたいだな。そんな呑気なことを考えつつ、やはり気分は晴れない。


「どうかいたしましたの、イサム様?」

「ああ、いや」


 俺はそっと、キュリアンを一瞥し、振り返ってユメハの方を見た。彼女はそっと強化ガラスに手を当て、別の角度から地球を見つめている。


 そうだ、ユメハ。お前たちの生まれ故郷は、試験管の中でも培養液の中でもない、この青い星の上なんだ。信じてくれ。


 そう念じた頃には、スペース・ジェニシスは月の周りを半回転し、地球軌道艦隊の隙間を縫うようにして地球に降下していた。


         ※


《こちら、連邦宇宙軍総司令部、ヒューストン基地。スペース・ジェニシス、着陸を許可する》

「ご厚意感謝する。ゼンゾウ・フランキー大佐はいらっしゃるか?」

《基地内の自室にいらっしゃる模様。面会のアポイントの取得許可が出ている》

「了解。大佐に繋いでくれ」


 そんな遣り取りがバリーと管制官との間で為されている。その間に俺とメイドたちは、ぐんぐん迫って来る広大な基地を見下ろしていた。

 スペースプレーン発進用の長いレールと、着陸用の滑走路。それらが白や灰色に輝きながら、まるで蜘蛛の足のように四方八方に伸びている。中央には主管制塔がその威容を誇っており、周辺にはスペースプレーン待機場が広がっていた。


「これが、地球……」

「そうだ、ユメハ。俺もまだ二回しか来たことはないけどな。今回も含めて」

「二回目……? イサムでも、たった二回しか来たことがないのですか?」

「ああ。今じゃ地球は、星一つが丸ごとレジャー施設みたいなもんだからな」

「ふぅん……」


 どこか腑に落ちない様子のユメハ。そんな彼女の横顔を盗み見た直後、軽い振動が艦全体を震わせた。


《着陸シークエンス、完了。外気温、摂氏四十度。現在、地球の北半球は夏です》

「誘導ご苦労」


 バリーがマイクに吹き込む。今まで軌道調整をしてきたのは、艦に搭載されたAIだ。コンピュータにまで礼を述べるあたり、いかにもバリーらしい。


「では皆、行くぞ。降りてからはモノレールを使用する。途中、高温多湿の重力下を歩くことになる。気をつけろよ」


 ガシュン、と音を立てて、メインハッチが開放される。スペース・ジェニシスに、初めて地球の空気が吹き込んできた。


         ※


《クリス・ハミルトン大尉、イサム・ウェーバー少尉他四名、入館を許可します》


 大きなカメラで、俺たち全員の顔が記録と照合される。顔認証システムをクリアし、宇宙軍首脳部の入っているビルに足を踏み入れる。


「あの、イサム」

「どうした、ユメハ?」

「私たちが同行してもよかったのですか? 階級も何も与えられていないのに?」

「聞こえたろ? 『入館を許可します』って。大丈夫だよ」


 そう言いながら、俺もまた落ち着いてはいられなかった。

 地球という、一種の神聖な場所を訪れているという緊張感もある。だがそれをより強めたのは、この建物の異様さだった。


 黒光りする特殊な耐衝撃素材で建造された床、壁、天井。その天井が実に高く、半ば吹き抜けのようになっている。

 壁際には、数メートルおきに自動小銃を構えた兵士が立っていた。同じ軍属として言うのもなんだが、いかにも物騒だ。


「バリー・ハミルトン大尉でいらっしゃいますね?」


 唐突に、前を歩いていたバリーが声をかけられた。俺たちよりやや年上の、しかし若い兵士が敬礼し、名乗りを上げている。


「自分が皆様をゼンゾウ・フランキー大佐のお部屋にご案内致します。こちらへ」


 そう言って彼が振り返った、その時。一気にフロアの緊張が高まった。


「こ、これは、ゴッドリーヴ中将!」

「やあ、そのまま」


 そこには穏やかな笑みを浮かべる初老の男性が一人。豊かな白髪と口髭をたくわえていて、身長は二メートル近い。そんな人物が歩いてくる。周囲では、防弾ベストに身を包んだ兵士が数名、ボディガードを務めていた。


 案内係に俺とバリー、それにメイドたちは慌てて敬礼した。この人物の話はよく聞いている。

 エドワード・ゴッドリーヴ。連邦宇宙軍地球軌道艦隊総司令官。地球とコロニー、あるいはコロニー間の紛争を、最小限度の犠牲で収めてきた名将。同時に、宇宙軍発足以来、屈指の人格者と言われている。


 ただただ優しい笑みを浮かべて去っていくゴッドリーヴ中将。


「ここに中将がいらっしゃるのですか?」


 バリーが案内係に問うと、彼はすぐに首肯した。


「中将殿は、今朝ここにおいでになったのです。詳しいご事情は計りかねますが」

「ふむ」


 顎に手を遣るバリーを押しのけ、俺は案内係に言った。


「それはさておき、フランキー大佐と面会したいのですが」

「ああ、失礼しました。こちらです」


 それから、エスカレーターやエレベーターをいくつも経由し、地上なのか地下なのかも分からないままに、俺たちは大佐の執務室の前に立っていた。


「それでは、自分はこれで」

「ご苦労様です」


 案内係とのやり取りを簡単に済ませたクリスは、早速木製の、分厚い扉をノックした。


「クリス・ハミルトン大尉他五名、入ります!」

「うむ。今扉を開ける」


 すると、木製の扉は重苦しい音を立てながら両端にスライドしていった。執務室の内部が露わになる。


「失礼します」


 腰からお辞儀をしながら入室するバリー。俺やメイドたちも続く。


「スペース・ジェニシス搭乗員六名、参上いたしました」

「ん。よく戻ってきてくれた。確か、殉職者が一人出たそうだな?」

「はッ。名誉の殉職であると、自分は考えております」


 淡々と告げるバリー。だが胸中穏やかでないことは、俺には明らかだった。

 対照的に、大佐は大袈裟に眉をハの字に下げて、さも残念そうな顔をした。


「それで、私に直に報告に来てくれたのだな」

「はッ……」


 大佐は立ち上がり、あっさり一言。


「ご苦労、残念だな」


 その瞬間、俺はピキン、と脳内で何かがちぎれるのを感じた。


「待ってくれ、大佐!」

「お、おいイサム⁉」

「殉職したのはフィーネだ、俺たちのムードメーカーだ! 機械技師でもある! 彼女がいなければ、俺たちにはできなかったであろうことがたくさんあるんだ! そんな部下が亡くなったのに、あんたのその態度は何だ? 『残念だな』で終わりなのか? あんたはもっと情に厚い、部下思いの人間だったはずだぞ! それなのに――」

「やめろって言ってるだろう、イサム!」

「離せよ、バリー! 俺たちは、この人にはちゃんと分かってもらわなけりゃならないんだ! フィーネは大事な仲間だったんだぞ!」


 いつもの俺なら気づいたかもしれない。何者かが凄まじい気迫、殺気を発したことに。

 はっと視線を周囲に走らせると、その人物が最後尾から俺たちを追い越し、大佐の正面に躍り出た。


「りょっ、エリン!」


 キュリアンの悲鳴に、俺はようやく何が起こっているのかを理解した。

 が、時すでに遅し。エリンは身軽に跳躍し、大佐の執務机に両手をついた。そのまま逆立ちをするようにして、両足を勢いよく展開した。

 見事なカポエイラだった。


「あ……」


 俺たちは呆気に取られて、その見事な体術を見ていた。

 勢いそのままに、横転した大佐の腰から拳銃を抜き取るエリン。そして素早く初弾を装填し、バスン、と側頭部に撃ち込んだ。


「なっ、なんてことを!」


 飛び掛かろうとした俺の首根っこが、背後から掴まれる。


「黙って見てな、イサム。エリン、こっちにも拳銃を寄越してくれ!」

「何を言ってるんだよ、リュン!」

「戦闘準備だ、エリンの鼻を信じな!」

「鼻?」


 火薬臭さ以外は何も臭わないが……。いや、待てよ。血生臭さが全く感じられない。鼻孔を満たす鉄臭さが皆無なのだ。

 どうして無臭なのか? エリンは何を撃ったんだ? あの体勢からして、大佐は零距離で被弾したはずだが。もしかして、大佐は人間ではないのか?


 その時、俺の目に謎の光景が飛び込んできた。飛散した大佐の血肉が真っ黒になり、どろり、まとまったのだ。それを見て、俺の脳内で一本の糸が繋がった。


 三年ほど前の話。フランキー大佐は、かつて『とある宙域』で漂流状態となり、その軌道上にあった惑星に不時着、そこを救出部隊に救われたという。


 それだけなら問題はないのだが、目の前の光景は何だ? まるで俺たちが遭遇したタールのような動きではないか?

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