第19話【第四章】

【第四章】


「おう、どうした。シケた面して」

「ああ、リュンか」


 俺はぼんやりと応じた。整備ドックへ向かう途中のことだ。先ほどのショックが抜けきらず、視点が定まらない感じがする。


 メイドたちは、医務室で寝泊まりしているキュリアンを除き、皆がドックの近くで寝起きしている。このあたりは構造が複雑で空きスペースも多い。そこをいつの間にか自室に改造していたらしい。


「リュン、聞いたか? さっきの放送」

「ああ。まったく無茶しやがる」

「だよな」


 この時ばかりはリュンも素直に同意してくれた。大袈裟に肩を竦めている。


「差し詰めお前は、ユメハを説得しに行こうってお気持ちかな、イサム?」

「へ?」

「おいおい、『へ?』じゃねえよ。助けてやるんだろ、ユメハのこと」

「でも、俺にできるかどうか……」

「おいおいおいおい、ちったぁしゃっきっとしねぇか、しゃきっと!」


 ばしん、と響く快音。リュンに背中を引っ叩かれた。


「どぅわっ⁉ 何すんだよ、リュン! 危うく――」


 と言いかけて、俺は固まった。リュンが、綺麗に腰を折って俺にお辞儀をしていたからだ。


「頼む、イサム・ウェーバー少尉。あの子を、ユメハを助けてやってくれ」

「た、助ける?」

「あんたにしかできないことだ。この船内で、彼女が最も心を開いているのはあんたなんだ。バリー艦長や他のアンドロイドたちでは駄目なんだ」

「だ、だけど、さっき言ったろ? 俺にできる保証は……」

「んなこと知るか。可能性のあることならやってみる。それ以外にどんな選択肢があるんだ?」


 上半身を起こしたリュンは、僅かに俺より高い視線を向けながらそう言った。

 俺はリュンのことを、いつも生意気な奴だと思っていた。だが、もしかしたら彼女は気づいているのかもしれない。自分がユメハを怖がらせてしまっているということに。

 こうやって俺を叱咤するのは、罪滅ぼしのつもりなのだろうか?


「そう、だな。彼女の笑顔は、俺が必ず取り戻すよ」


 するとリュンは、思いがけない行動に出た。というより、出てしまった。頬を引き攣らせ、再び腰を折ったのだ。


「なんだよ! 笑うことはねえだろう⁉」

「あー、悪い悪い。つい、な」


 つい、って……。今度何かあったら缶コーヒーを奢らせてやる。

 俺は軽く腕を突き出すようにして、リュンの肩を押してその場を後にした。


         ※


「ここが、ユメハの自室か」


 複雑な構造の区画を抜けて、俺は調査済みのユメハの部屋の前に来ていた。

 部屋といっても、彼女たちが使うのは精々、睡眠と着替えの時くらいだ。あとは、俺やクリスのために尽力してくれている。


 簡素な薄い鉄扉をノックする。


「ユメハ、いるか? 俺だ、イサムだ」


 微かに誰かが身じろぎする。その気配はあったものの、向こうから鉄扉が引き開けられる雰囲気ではなさそうだ。


「いるんだろ、ユメハ? よかったら、少し話をしないか」

「……」


 参ったな。こういう時に相手にかけてやるべき言葉というものを、生憎俺は持ち合わせていない。


 はて、どうしたものか。頭をガシガシやっていたが、こうなったら仕方ない。強行突入である。


「悪いなユメハ、入るぞ」


 思いの外、鉄扉は軽く開かれた。

 簡素な造りの部屋だった。ベッドと箪笥とちょっとした小物入れがあり、枕元にはイルカを模したクッションが置かれている。


 ユメハの姿は、さらにその奥にあった。内壁とベッドの隙間、僅かなスペースに身体を収め、体育座りをしている。

 普段なら、かくれんぼでもしているのかと言いたくなるような状況だ。だが、無論今は『普段』ではない。何より、ユメハは深く項垂れ、誰がどう見ても遊んでいるようには見えない。


「あー……ユメハ、大丈夫、か?」


 俺は自分の語彙力不足を呪った。もっと気の利いた言葉の一つ、かけてやれないものか。リュンも当てにしてくれたというのに。

 ええい、このままではいられない。俺はそっと足を踏み入れた。かつん、と無機質な音がする。

 隠れる必要はない。それは分かっているものの、俺は抜き足差し足で入室し、静かに鉄扉を閉めた。


「あの、黙っていられたら状況が分からんのだが……」


 すると、ユメハは微かな声で『申し訳ありません』と一言。謝る必要があるのは俺の方だが。


「なあ。ユメハは知ってたのか? 自分がその……アンドロイドだってこと」


 自分の膝を抱く腕に力を込めながら、微かに顔を上下させるユメハ。それから、か細い声で『はい』と告げた。


「そう、か」


 さぞ不安だったろう。もし俺が『お前はアンドロイドだったのだ』とこの場で告げられ、証明されてしまったら、正気を保っていられるだろうか?

 そんな恐怖に晒されながら、ユメハはずっと不安を隠し、笑顔を振りまいていたのだ。しかも、彼女がいかに気配りのできる、繊細な少女なのかということを、俺は肌身に沁みて知ってしまった。


「助けないって選択肢はねえよな」

「えっ……?」

「ん?」


 微かに顔を上げるユメハ。そのお陰で、俺は自分が無意識のうちに心情を吐露していたことに気づいた。


「あっ、ああ、今のはその、えっと……。お、お前には世話になってるからな、恩返しも込みで、っていう意味で、助けたいっていうか――」


 言えば言うほど、俺は自分が赤面していくのを感じた。

 そんなことにはお構いなしに、ユメハは問いを投げてきた。顔はやや白くなっていたが、唇には艶があってどきりとさせられる。


「何故、イサム様は私を助けようと仰るのですか?」

「そ、それはどういう……?」

「確かに、アンドロイドの製造は禁止されています。表向きは。しかし、こういった危険な任務では、捨て駒の存在は必要です。私たちは、そのためにこのスペース・ジェニシスに潜入させられたのかもしれません。いずれにせよ、正規のクルーであるイサム様とバリー様と比べ、相対価値が低いのです。イサム様は何故、そうお考えにならないのですか?」


 はっと、息が止まった。

 胸が圧迫されている。呼吸ができない。

 俺は思わず、自分の胸に手を当てた。


 叫びたかった。『ふざけるな』と。『そんなことを考えられるか』と。『お前はもう、俺にとって大切な存在になってしまったのだ』と。


 しかし、それは叶わない。現実があまりに残酷で、恐ろしかったからだ。

 身体年齢も精神年齢も、俺とさして変わらないはずの少女。それが、こんな過酷な運命に晒されているとは。

 正直、俺が代わってやれればとさえ思った。ユメハの心が瓦解していくのを見るのは、あまりにも辛すぎる。


「イサム様? どこかお加減でも?」

「どうして……」

「えっ」

「どうしてユメハは、そんなに俺のことを気にかけていられるんだ? 自分のことだって辛くていっぱいいっぱいだろうに……」

「そっ、それはっ」


 白くなっていたユメハの頬に、微かに赤みが差す。その赤は段々と広がり、熱を感じられるほどになった。


「それは――私が、イサム様をお慕い申しているからです!」


 ぱっと顔を上げるユメハ。その瞳は、俺には随分久しぶりに見たように思われた。


「あ、ゆ、ユメハ? お慕い申し上げるってのは、つまり……」

「私は、イサム様のことが好きなのです。恋愛対象として」


『無礼を申し上げました』と言いながら俯くユメハ。俺は頭の中が何やらぐにゃぐにゃになっており、まともな情報処理ができずにいる。

 ただ、純粋にユメハのそばにいたくて、俺はベッドを回り込んで歩み寄った。

 そっと、ユメハの頭部に手を伸ばす。しかし、キィン、と耳が鳴るほどの悲鳴が、この部屋の空気を切り裂いた。


「うわああああああああ!」


『どうかしたのか』と尋ねることさえ押し留められてしまうほどの、悲壮感を帯びた慟哭。

 こんな声が目の前の少女から発せられていることに、俺は恐怖が上塗りされるのを感じた。


「わ、私、わた、しは……。一体、何者、なの……。いえ、分かってた、私も、気づいてた……。けど、どうして、それなのに……」


 俺は身動きすら叶わず、後ずさりしないように踏ん張るのがやっと。

 しかし、ユメハが瀑布のごとく落涙しているのは見て取れた。そうでなければ、顔を埋めた袖があんなにびちゃびちゃになっているはずがない。


 もしかしたら、俺に気持ちを明かしたのは心細さからだったのかもしれない。

 自分の出生や立場、存在意義をズタズタにされて、恐怖していたのかもしれない。

 もしそうだったとしたら、誰よりもこの俺がそばにいてやらなければ。


「だ、大丈夫だぞ、ユメハ。俺はちゃんとここにいる。だからそんなに泣かないで――」

「あなたを想うこの気持ちだって、移植された意識かもしれないのに……!」

「ッ‼」


 これには俺も絶句するしかなかった。

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