第22話



 バスチイユ監獄の中庭。


 そこで流された血をいたむように小雨が降りしきる下、二人の男が性懲りもなく闘争による対話を試みようとしていました。どうにもならないことに言葉だけでは判り合えない関係というものもこの世には存在するのでした。


 それが黒騎士オルランドと仮面の剣士アルカディオの間柄あいだがらなのです。



「ゴーカイ流仮面剣士、二代目アルカディオ! ここに見参! 無辜むこの人々を捕らえ、野望のために命をもてあそぶ者ども! 覚悟しろ!」



 取り戻した木刀を最上段に構え、ハービィは正面から仁王立ちの敵へと向かっていきました。そこで視野に飛びこんできたのは黒騎士の影からせり上がる長柄の戦斧。斧がオルランドの手中に収まるのは、風切るハービィの初撃とまったく時を同じくとした出来事でございました。

 そして振り上げられた両刃斧と、振り下ろされた木刀が、両者の間で激しくぶつかり合ったのです。


 硬く澄んだ金属音が広場に響き、二人はひるまず何度も切り結びました。黒騎士は両手で斧を扱いながらどこか楽しそうに笑っていました。

 幾度か斬撃を弾き合うと、両者は申し合わせたように間合いをとって並走し始めたのではありませんか。戦いを「味わいつくさん」とするオルランドは、ネズミをいたぶる猫のような目つきでした。



「ククク、砕けんな? その木刀はなんだ? 俺たちを倒すための秘密兵器か?」

「オウよ! 師匠から譲られた世界樹の木刀だからな。折れるものか。ゴーカイ流剣士の名にかけて、お前をこの木刀でぶっ倒す!」



 ふと、いぶかしそうに黒騎士が足を止めました。



「……いや待て、アルカディオ。先ほど見せた水の術はどうした? まだ他にも何かないのか? お前もまた『人知を超えた力』を身につけているのだろう」

「俺は剣士だ。こうして決闘が始まったからには、もう手品には頼らない。師匠から教わったゴーカイ流で……受け継いだ人の技で必ずやお前に勝つ。お前が切り捨てたモノの強さを証明してやる」



 アガタから聞いた「黒騎士は未だ騎士道にこだわりがある」との助言。

 修業の日々を経て、つちかわれてきた剣士の誇り。

 さらにはゴーカイ流の技を駆使してつかみ取った勝利の味。


 幾つかの要素が合わさった上での発言でした。

 剣のみ勝負を挑めば、あわよくば黒騎士もそれに応えてくれるかもしれない。そんな淡い期待もそこには含まれていたのです。


 ですがそれは「眠れる龍」の逆鱗に触れる行為でもありました。



「ほう……貴様、俺相手に余力を残そうというのか」



 思わずハービィが気圧されてしまう凄まじい殺気。

 明らかに黒騎士は激昂げきこうしていました。

 それでも決めたことをひるがえすことは出来ません。

 気合の叫びを発しながら袈裟懸けさがけに打ち込んだ木刀は、見事命中したかに見えました。


 されどオルランドの肩当てから獅子の頭とおぼしきものが飛び出し、木刀に噛みつくことで攻撃を受け止めたのです。

 その様はまるで真剣白刃止め…いや白歯止めでしょうか。

 影から形作られたオルランドの鎧はそれ自体が生きていたのです。

 万力のように刀身を締め上げる獅子のアゴ。ハービィは武器をアゴから引き抜くことすらできず、もがく姿を晒すばかりでした。


 その様を鼻で笑うと、黒騎士は吐き捨てるように言いました。



「フン、剣だけの決闘だと? 貴様、そんな決意で誰かを守ろうというのか? 甘すぎる。それが修羅場で通るなら、俺も道を踏み外しはしなかった」

「えっ……?」

「デカい口を叩く技量もないくせに、貴様は一刀両断がお似合いだ」



 両足のスタンスを広くとり、戦斧を背後へ大きく引いて力を溜めると黒騎士はトドメの一撃を繰り出しました。

 蛮声が大気を震わせ、逆袈裟懸ぎゃくけさがけに高速で振り上げられる長柄の斧。

 直撃すればハービィの胴体を切断する勢いなのは間違いありません。

 獅子のアゴが木刀に噛みついているせいで、飛び退いて逃げるにはもう得物を捨てるしかない状況です。これぞ絶対絶命の窮地きゅうち

 しかし、ハービィはここでオルランドの想像を超えた行動に出たのです。


 ハービィは間合いを離して逃げようとせず、逆に一歩踏み込んで互いの距離を縮めました。それはもう互いの吐息を感じるほどの近さでした。


 そして迫りくる斧の長柄に右足をかけたのです。

 片足の裏で斧を受け止めようというのではありません。

 むしろ、斧の柄に乗っかった格好です。

 切り上げる斧の勢いを逆に利用して、真上へ跳ぶ。

 小柄で身の軽いハービィならでは回避方法でした。


 オルランドはそのまま斧を全力で振り切るも、一刀両断どころか相手の姿が視界より消失したものですから驚きを隠せません。



「何ィ?」



 ハービィは空中でトンボを切って一回転。一連の行動中も右手に木刀を握りしめたままなので、獅子のアゴに挟まれた刀身が口内で激しく暴れまわります。

 ねじれ、回転し、引っ張られ、たまらず獅子はアゴを開いてしまいました。


 流石に着地は尻もちをつく有様でしたが、黒騎士も驚異の軽業かるわざに我を忘れていたのでお互い様でしょう。兎に角、ハービィは武器を手元に残したまま両断のピンチを逃れたのです。

 ゴーカイ流の面目躍如めんもくやくじょといった所でしょうか。


 黒騎士は鉄仮面の下で冷や汗を流すばかりでした。


 ―― サーカス顔負けの動きをしやがる。剣の常識が通用せん。あれほどの動き、どれほど修練しゅうれんを積めば収得できる!? ガキのくせになんて奴だ。


 ―― それに比べて、俺はどうだ? 最後に打ち込みの鍛錬たんれんをしたのはいつだ? 長物を扱う時は間合いの調整が大切なんて、当たり前ではないか。力任せに武器を振り回すだけだから無様にあしらわれるのだ!


 自虐と共に歯噛みをして、オルランドは身震いしました。


 されどそれは、あくまでも剣の勝負に限った感想。

 口の端を歪めると黒騎士は跳ね起きて武器を構えたハービィに言ったのです。



「見事だ。それがゴーカイ流か? 型にはまらぬ軽やかな動きだな」

「へ、へへへ、ゴーカイ流体術『脱兎だっと』人間の英知に限界はない」

「そうかな…? 人知を超えた力を前にしても、お前は同じことが言えるのかな」



 オルランドはそこで会話を打ち切り、不意に後退して間合いを広げました。

 それは明らかに剣で戦う距離ではありませんでした。ハービィは男の矜持きょうじを踏みにじられた気がして、叫ばずにはいられませんでした。



「黒騎士、テメェ……どうしてもか! もう、そこから戻れないのか!」

「甘ったれた騎士道になんぞ、戻る必要などない。どれ、先達として戦の厳しさを教えてやろう。思い知れ! 剣で勝負をつける時代など、とうに終わっているのだ!」

「終わるかよ。俺の生ある限り、教わった剣を信じ続ける」

「そうかい。では、ご自慢のゴーカイ流でこれを防いでみせろ!」



 そう言うなり、オルランドは右足を持ち上げ大地を強く踏みつけました。

 すると黒騎士の足下から蜘蛛の子を散らすように何かがパッと飛び散ったのです。

それはコマ切れとなった影の破片でした。バラバラの黒い断片が建物の斜影や、雨の中でも燃える「かがり火」のノッポな影へと、地を走って潜り込んだのでした。


 潜り込まれた影は全て黒騎士の支配下へと置かれたようなもの。

 地面にへばりついた影が糸を引きながら隆起し、盛り上がったスライム状の物体がやがて形作ったのは「黒いボーガン」です。

 気が付けばあちこちの物陰から生えてきた無数のボーガンが、八方からハービィに狙いを定めているのでした。



「じゃあな、アルカディオ。気高い理想を抱き続けるがいい、あの世で……な」



 オルランドが親指で地獄を指し示すと、引き絞った弦が一斉に鳴ってあらゆる方角から死をもたらす影矢が襲いかかってきたのです。

 四方八方から飛び交う矢じりが体を貫き、ハービィは地に伏したのでした。


 それでも即死を間逃れたのは「飛び道具」を予測し、飛び散る影を目で追って大方の位置を把握したお陰です。

 咄嗟とっさに適切な回避行動をとれた所以ゆえん

 ハービィはあらゆる射線の交わる位置から一つのボウガンへと向けて飛び「的の方をヒットポイントからズラした」のです。これで全ての矢をその身で受ける「最悪の事態」だけは避けられるのでございます。師匠から教わった「ゴーカイ流影見」が辛うじて命を繋いでくれたのです。

 とはいえ急所をかばったハービィの腕や足にいくつもの矢が刺さり、真っ赤な血だまりが広がっていく様は迫りくる死を克明こくめいに表していました。

 感覚が薄れ手足が冷たくなっていく中、オルランドの声が残酷な事実を告げるのでした。



「見ろ、人間の技なんてその程度だ。随分と高い授業料だったな? 綺麗ごとは命であがなう、それが俺たち戦人いくさびとのルールだ」



 それでもハービィは唯一無傷な右手で木刀の先端を地面に刺して、それを杖代わりに起き上がろうとしました。

 けれど、どうにも力が入らなかったのです。

 指は武器の柄を離れ、まず頭が、そして腕が力なく地面に転がりました。


 木刀の双葉からは、涙があふれるかのごとく降り注ぐ雨のシズクが滴り落ちるのでした。


 オルランドは鼻で笑うとそのまま背を向け立ち去ろうとしました。

 視界の隅で奇妙な事象をとらえていなければ、そうしたことでしょう。



「なっ、これは? 俺は今、何を見ているんだ、いったい?」



 黒騎士の目が向いたのは地面に突き刺さったままの木刀。

 異変は、その柄から生えた双葉に起きていました。

 まるでツルが成長するように双葉の芽が長く伸びて、空中で身をくねらせていたのです。


 そして、もはや指一本動かす余力もないハービィは朦朧もうろうとする意識の中である人物の声を聞いていました。


 ―― アルカディオ、いやハービィ君。先輩からの助言に耳を貸す気はあるかい?











 ベルサーユ宮殿のハーデスの間にて我は待つ。

 天ノ瞳教団との全面戦争に反対する者はそこへ来い。

 F国の王イル六世が残した指示は驚くべきものでした。


 教団と裏の繋がりのある者はこぞってそこへ集まるのでしょう。

 逆に言えば邪魔者を一掃するのにこれ以上の機会はないということです。

 たとえハービィが不在でも、ライライに見て見ぬ振りなど出来ませんでした。



「私が行きます。これは陛下の真意を知るまたとないチャンス。そして、これが何者かの陰謀ならばその犠牲者を一人でも減らさねばなりません……。正直いって貴族は嫌いなので気乗りしませんが」

「こんな時でも自分には嘘をつかないんだな、君は。それが君の長所でもあるのは認めよう。でもね、君の『かなでる芸術』が失われるかもしれないリスクは、出来る限り下げておくべきだ」

「あら? エチエンヌ公も同行して、か弱い女を護衛して頂けると? 私一人なら逃げられる場面でも仲間がいると出来かねますよ。それに私を守る英雄なら、生憎ともう決まっていますから」

「今は惚気のろけている場合かね? そうじゃなくて侵入経路の話さ。こっそり行けるルートが有ればそっちを選ぶだろ?」

「そんな物がベルサーユ宮殿に?」

「施設には必ず『職員専用スタッフオンリー』があるものだよ」



 そう言って道楽公エチエンヌ公が親指で指し示したのは、鏡の間の隅で黙々と仕事をこなす照明係でした。

 照明係とは、まだ蝋燭ろうそくしか明かりがないこの時代に「燭台しょくだいの火が消えぬよう」管理する使用人のことです。消えてしまった蝋燭に火を灯したり、短くなった蝋燭を取り替えたりするのが仕事です。広い宮殿では、必ずどこかの明かりが消えているので休む暇すらありません。彼等の仕事は床に直置きの燭台のみならず、天井から鎖で吊り下げられたシャンデリアにまで及ぶため見た目よりもずっと肉体労働なのです。

 宮殿に似つかわしくない古着の少年を目にした時、ライライは道楽公の言わんとすることに気が付きました。



「そうか、シャンデリアを上げ下げするカラクリがあるってことは……その機械を手入れする為のスペースや通路があるということ!」

「そういうこと。ベルサーユ宮殿の舞台裏には秘密がいっぱいなのさ。丁度、顔見知りがいる。ひとつ彼に入り口を教えてもらおう」



 埃で汚れたズボンとシャツ。頬までススにまみれた少年は、気さくに声をかける道楽公へ会釈で挨拶あいさつを返しました。



「やぁ、ジョバンニ。いつも精が出るね」

「エチエンヌ様、せっかくのパーティーだっていうのにキナ臭くなってきましたね」

「大人のくせして見苦しい所ばかり見せてすまないな。今は大人でもいっぱいいっぱいの時代なのでね。そこを乗り越えるべく我々も暗躍あんやくしている。もう少し堪えてくれよ」

「いえ、そんな……憧れのマリー様が踊ると思っていたので、ちょっと残念なだけで」

「マリー様? そういえば姿が見えないな。控えの間に下がられたのか?」



 マリーとはイル六世の末の娘です。

 陛下がお歳を召されてからできた子ども、しかも上の娘アナは国内有力公爵のもとへ嫁いだものですからそれはそれは両親から可愛がられて育ちました。そのせいか少々お転婆でヤンチャな所が目立つと社交界でも有名でした。しかしながらその美貌は若干十歳にして本物、年齢に不相応な鋭い意見から大人を驚かせるほどに利発な所もあるため彼女の人気は貧富の格差に関係なく絶大なのでした。


 もしこれから物騒な粛清が行われるのだとすれば、愛娘を安全な所にかくまうのは当然の処置です。道楽公とライライは目配せしてうなずき合うと、ジョバンニに要件を切り出したのです。



「実はね、君たちが仕事に使っている天井裏のことを聞きたいんだが」

「そ、それは……陛下の許可を得てはいないんですね?」

「……御身やマリーを気遣ってのことなのだ。信じて欲しい」

「……良いですよ。他ならぬエチエンヌ様のお言葉です。いつも楽しい話を聞かせてくれますからね。ちょっと待って下さい。同僚を呼んでこの場を任せますので」



 結果次第では公爵たちが陛下を糾弾せざるを得ない状況。

 その言葉は必ずしも真実とは言えないものでした。

 率直に言ってしまえば無垢むくな少年を騙すような真似なのです。

 ジョバンニが一時その場を離れた際とがめるようなライライの視線を感じたのか、エチエンヌ公は罰の悪そうな顔をして肩をすくめてみせました。



「私は嘘つきかね? ライライ」

「いいえ、私ほどではありませんよ。それに必要なことですから」



 ジョバンニが案内してくれたのは、燭台に見立てたスイッチで開閉する「隠し通路」でした。


 そこは鏡の間から少し離れた回廊の途中。

 確かにそこだけ壁の厚みが不自然なのでした。

 知っていればようやく気付けるほどの不自然さなのですが。



「どうぞ、ハーデスの間へは階段を上って左へ進めば行けますよ」

「ありがとう、ジョバンニ。貴方の行いはきっと歴史に残ることでしょう」

「はぁ? どういたしまして」



 道楽公とジョバンニに一礼をするとライライは一人隠し階段を上っていきました。

 手にしたカンテラに照らされる天井裏はホコリ臭くて蜘蛛の巣まみれ。どこからかチューチューとネズミの鳴き声や小動物が走り回る音が聞こえてきます。


 ―― あれだけきらびやかな王宮も一皮むけばこんな物。まるで社会の縮図みたいだわねぇ。


 お前の自室と大差ないだろ。そうセルフツッコミを入れながらも、ライライはどこか心が冷めていくのを感じていました。まるで昨夜の残り物であるスープみたいに。

 王侯貴族に対する敬愛やおそれ、それらが完全に失せてしまったわけではないにしろ…… 一連のゴタゴタを見せられた今となっては以前ほどの敬意を保てそうにないのでした。


 ―― 世界が毒に汚染されて滅びようって時にまで、人間同士で戦争、戦争。こんな人たちなんかの為に、私達が命をかけて戦わなければイケないのかなぁ? どうしてもそうしないとダメ?


 人間への根深い不信。

 それはライライが故郷であるドルゥドの森を追放されたその日より、彼女の心をさいなみ続ける「刺さったトゲ」のようなものでした。


 ライライでは後継者たりえない、それだけの理由で自分を見捨てた母。

 初めてパリエスの都を訪れた際、路地裏でゴミ箱をあさる自分を嘲笑った人々。

 親切なフリをして自分とロザンヌの好意を踏みにじった俳優崩れのピエール。


 まるで信じるに足りない人々。

 そんな人々を救う為に英雄を育て共に世界を救えという。


 ライライは下唇を嚙みしめ、灯火を掲げながら暗がりを進んでいきました。

 不安と苛立ちが彼女のブーツを鉛のように重く変えていました。


 ―― これは私が選んだ道。でもイヤだ。本当は行きたくない。


 使命、使命、シメイ、シメイシメイ。

 果たした者にはもれなく栄光と称賛が与えられるドゥルド族究極の課題。

 そのせいで今、自分は死に向かって歩かされている。こんな汚い屋根裏を。


 ふと我に返った時、ライライは暗がりで足を止め立ち尽くしていました。

 いけません、すっかり弱気に心を流されていたようです。

 深呼吸をして、クリムや、ロザンヌや、そしてハービィのことを考えるようにしました。おまけとして憎たらしい母のことも。

 そうすれば自然に勇気と闘志が湧いてくるのです。


 決意のみなぎった目で改めて進行方向を見やったその時、ライライはようやく己が大きな「見逃し」をやらかしたことに気が付きました。

 前方の埃にまみれた床板を注意深く見れば、そこには点々と続く「小さな足跡」が刻まれているではありませんか。

 それもついさっきつけられた出来立てホヤホヤの物でした。カンテラを近づけ観察してみれば、それは明らかに女性か子どものサイズでした。

 そして鍛えられた詩人が耳を傾ければ、息を殺す気配が近くの物陰から感じられたのです。



「ねえ、誰か居るの?」



 ライライが暗がりに光を投げかけると、眩しさに目がくらみ片手で顔を庇う少女の姿がそこにはあったのです。

 ライライは眉をひそめて問いかけました。



「子ども? こんな所で何をしているの? かくれんぼなら外にしなさい」

「ぶ、無礼な。レディ・マリーの名を知らないの!」

「マリー様? なぜ国王令嬢ともあろうものが屋根裏に」

「何をしようと私の勝手でしょう! ここはアタシの家みたいなものよ。不法侵入しているのは貴方じゃなくって!?」

「そう言われてみればそうなのですが……」



 どうもおかしな塩梅あんばいになりました。

 ライライが困って頭をかいていると、向こうが目ざとく竪琴に目を付け先手を打ってきたではありませんか。



「あらあら、貴方はさっきお父様の演説をさえぎった詩人さん? あの道楽公とずいぶん親し気に話していたわね? さしずめ陰謀の黒幕はその辺りかしら」

「おみそれしました。何でもお見通しですか」

「ふふん、こう見えても五歳の時から社交界で生きているのよ」

「ですが、黒幕というのは違いますね。この国の将来を憂いているのです、私達は」

「悪党はみんなそういうのよ」



 わずか十歳ほどにしか見えないのに、なんと聡明そうめいな子なのでしょう。

 内心舌を巻きながらも、ライライは少し考えてからこう切り出しました。


「マリー様も実は御父上の動向に疑問を抱かれているのでは? だから真実を探ろうとしている。どうです? 違いますか?」

「うぐ、まぁ、そうね。そうとも言えるかしら」

「ならば私達の志は同じ。敵対する理由はありません」

「うーん、疑いってほどじゃないんだけど。まぁ、念のために? 最近、宮殿内にウサン臭い連中が出入りするようになってお母さまが心配しているの。道楽公は……ああ見えて信用できる奴だし。確かにアタシ達で喧嘩している場合じゃないかも」

「そうでしょう、そうでしょう。ならば後は大人に任せて、マリー様はどうか安全な所へお戻りになって下さい」

「なにさ、子ども扱いして。貴方たち大人がだらしないから、お父様、お母さまの苦労が絶えないのでしょう。私はもっと二人の役に立ちたいの!」



 はしたなくアッカンベーをすると、マリーは暗がりの奥へと駆け出したのです。

 ライライも慌てて追いかけたのですが、暗い上に初めての場所では勝手がわかりません。

 遂には、排気口と思わしき壁の小さな穴に逃げ込まれてしまいました。子どもでも匍匐ほふく前進でギリギリ入れる大きさ、ライライでは到底無理でした。



「無茶です。お戻りください!」

「大きなお世話よ。ここはアタシの家なんだからね。どこへ行こうとアタシの勝手。まぁ、貴方のことは父上に言わないでおいてあげる」



 そう言い残すと、それっきり。着ずれの音が排気口の奥から微かに聞こえていましたが、やがてそれもなくなりました。



「まったくもう……」



 両親の役に立ちたい。確かにそんなことをライライも昔は思っていたような。

 失笑して首を振るとライライはきびすを返しました。

 入れない穴をいつまでも見つめていた所でラチがあきません。

 ライライにも大人として果たさねばならぬ役割があるのですから。

 誰もがなりたくて大人になった人わけではないにしろ。











 F国とD国は隣あう国、かつ近場ではもっとも巨大な領土を有した東西の大国同士であります。されど近辺に他の国がないかと言えばそういうわけでもなく、二つの大国に挟まれるようにして小さなBR国が存在していました。

 リトルマッジの村から遥か東、国境を超えてBR国へと入り険しい山脈を超えた所にライライの故郷であるドゥルドの集落がありました。聖地であるシャーウッドの大森林を天ノ瞳教団に追われ、遠方のここまで逃げ延びた者たちでした。


 深い森の奥に立ち並ぶ幾つもの怪しげな丸太小屋。

 その中には巨木の枝に足場を組んで建てられた空中小屋まであったのです。

 そんな空中小屋の女主人こそが、集落に一人しか居ない詩の伝承者バード。


 そう、ライライの母親でした。

 扉代わりに下げられた布がめくられ、緑のフードつきローブを着込んだ老人が遠慮がちに入ってきました。窓際に腰かけ夜空を眺めていたバードは、振り返るとニッコリ微笑みました。



「長老様、素敵な星空に誘われたのですか」

「ご機嫌だね、また娘から手紙が来たそうじゃないか。そのせいかな?」



 老人が問うと、バードは困ったように小首を傾げました。



「不思議なものですね。母親らしいことは何もしてあげられなかったのに。こんなにも彼女が愛おしく思えるなんて」

「そう自分を責めなさんな。あの子は自分の意志でここを出ていったんだ。アンタのせいではないよ」

「ええ、そうですね。私がバードになることを諦めるよう告げたその一週間後に。あの子ったら、なんの相談もなし『アルカディオの使命』を引き受けて、世界を救いに出かけてしまった」

「仕方のないことだった。当時の彼女には余りにも愛情が欠けていた。バードの詩を歌うには深い愛情が必要なのだ。世界そのものを愛する博愛というべきものが」



 バードは深いため息を零し、外の夜景に目をやりました。



「昔から何でも器用にこなす出来る子でした。そのせいか周りを見下す態度をとって誰にも心を開こうとしなかった」

「母親がアンタで父親がドゥルト随一の戦士とくる。申し分のない血筋だ。誰だってそうなる」

「でも……広い世界で揉まれる内に、自惚うぬぼれ屋のライチにも変化があったようなんです」

「ほう。逆風はひな鳥を鷹へと変える。そういうことかな」

「ええ。私に決して弱音は零さないけど。手紙の文章から感じるんです。沢山の苦労を乗り越えて、幾多の人と出会い、別れて……今や私よりもずっとバードに相応しい人間となったのだと」



 バードは寂しそうに笑い、こう続けました。



「何もしてやれなかった。あの子が苦労している間もずっと……だからせめて、あの子の為に祈ってやりたいのです」

「あの子が選んだ少年は……きっとアルカディオの仮面を被っているだろうからな。アンタの祈りならきっと百人力だ。子を想う親の気持ち以上に真摯しんしで強い祈りなどそうはあるまいよ」

「あの子が使命を果たせば、きっとそれによって多くの人命が救われるはず。私情から惜しみない愛を注ごうとも、それは広く社会に還元されるのです。ドゥルドのバードとして『在り方』を誤ったことにはなりません」

「やれやれ、あの子が苦労するわけだ。あの子はアンタに愛されたくて使命に志願したのではないかね?」

「え?」

「ただ、アンタの視線を独り占めにしたかった。歴史や世界や万人に向きっぱなしの目を、何としてもコチラに向けさせたかった。歌や術の弟子として扱われるよりも、自分だけを心配して欲しかった。それがあの子の本音ではないかね? 博愛を独り占めしたかったんだよ。子どもならば当然のことだ」

「まさか……ライチはきっと私を見返したいだけですよ」



 口ではそう言いながらも、バードの笑顔はどこか嬉しそうなのでした。

 親の心子知らず。一緒に暮らしている間は決して気付けないことも世の中にはあるのでございます。


 小屋の壁にかけられた一枚の鏡。

 そこから好奇心に満ちた目で彼等を見守る「とある妖精」

 全てを知るだけの力を備えながら自ら手を下すことを好まぬ鏡妖精は、愛情もまた「天然もの」が大好きなのでした。


 人はそれを美食家グルメと呼ぶのでしょう。

 

 それを知ってか知らずか、長老様はアゴヒゲを撫でながら呟くのでした。



「では一族総出でアルカディオに祈りを捧げるとしよう。新たな英雄に更なる力を送ろうではないか。あの子と世界の平和を守れる力を」

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