第17話
「ついてるぜ。やはり本物の神はこちらの味方だ。こい『
戦士の足元、男の影から幾本もの黒い触手が伸びて彼の体へと絡みついていきます。絡みつく闇は形を成し、具足、小手、胸鎧、フルフェイスの兜へと変貌したのです。
たちまち戦士の体は黒いプレートアーマーで包まれました。
しかもそれだけではありません。影の中から何か巨大なシルエットがせり上がってくるではありませんか。固定式巨大
弦を引き絞って矢を飛ばす所はクロスボウと同じですが、そのサイズが桁違い。なんと軽自動車ほどの大きさで人が乗り込んで操作するというのだから驚きです。固定式とはいえ、その場で回転して狙いを合わせる仕組みなので驚異的な射程距離圏内において死角はありません。
戦士は影で作られたバリスタに乗り込み、太い矢をアガタが乗り込んだ馬車へと向けるのでした。それはもう矢というより槍、先端の矢じりが陽光を反射してキラリと光りました。
兜の下に残忍な笑みを湛えたまま、戦士はバリスタのトリガーを引いたのです。
白昼堂々、殺意は突風となって馬車の側面を射抜くのでした。
鈍い轟音と共に馬の引く
中のアガタにとっては、まるで天変地異でした。上下が何度も逆転した挙句、数秒前まで壁だと信じていた物が今は足元で床となっていました。
コメカミから血を流しながらも車両の歪んだ扉をこじ開け、彼女は周囲を警戒しながら顔をのぞかせたのです。
目に入ったのは車両に突き立てられた太い矢、そして雑踏のはるか向こうに
―― 馬鹿な!? バリスタだと? そんな物を街中でぶっ放したというのか?
アガタが唖然としている間に、雇われの御者が悲鳴を上げながら逃げ出しました。
すると、次弾を
戦慄すべき事態でした。
「何をする! 民間人だぞ」
大剣を手に、アガタは射線へ割り込むべく走り出しました。
彼女に
何も知らぬ通行人も多数の居るのです。
アガタは咆哮を挙げながら大剣エウロスを舗道に突き刺しました。
巨大な鉄の塊が大勢の盾となるように。
「狙うなら私を狙え、この卑怯者が」
アガタが叫んだ直後、次弾が発射されました。
大剣を盾にするといっても真っすぐ地面に刺したわけではありません。そんなことをすれば刀身を砕かれてしまうだけ。斜めに突き立て、大剣の柄を自らが握ることで
それがアガタの狙いでした。
やってきたのは一切の慈悲なき破壊の権化です。
命中の瞬間アガタが感じたもの。それは、肩の先から両腕をもっていかれたと錯覚するほどの衝撃でした。
耳をつんざく衝突音は、幼少のみぎりに間近で落雷があったとき以来のもの。
大剣の刀身に当たった矢は大きく進行方向を逸らし、遥か後方にある酒場二階の看板へと撃ち込まれました。その威力こそが兵器たる
それでも常日頃から全身鎧を着こんでいる屈強な体は伊達じゃありません。
口内で血の味を噛みしめながらも、アガタは雄々しく立ち上がったのです。
「ははっ、これはこれは。名ばかりと思っていたがとんでもない。正真正銘、誰もが認める騎士さまだということだな? 頂天騎士アガタ・クリスティン」
強面の戦士は嬉々として言い、バリスタから降りると歩き出したのです。
奇襲の上に飛び道具、しかも攻城兵器。
身を包む全身鎧こそ騎士のものと酷似していましたが、その色は漆黒です。
こちらは高潔さの欠片もない外道そのものでした。
ゆっくりと歩み寄る敵を見て、アガタは吐き捨てるように言いました。
「黒騎士か! 道を踏み外し資格をはく奪された外道騎士め。貴様の心に誇りなど一片たりとも残されていないようだな」
「その通り。正々堂々とは、とうの昔に手を切った。戦場でそんな物が何の役に立つというのか。されど、お前の気高さに敬意を表し昔の真似事をしてみよう。我が名はオルランド、黒騎士オルランドだ」
民衆の悲鳴と絶叫が飛び交う中、名乗りを挙げたオルランドはアガタの前で歩みを止めました。次いで彼の影からせり上がってきた武器は「船の
「どんなに高潔だろうと、潰された頭は喋らない。そうだな、アガタ?」
「オルランドとやら、ここまでしてなぜ私の命を欲する? 何を企んでいるのだ」
「ならば、貴様らが魔女狩りをするのは何の為だ? 縄張りを守り、広げていく為だろう。我々もまた同じ。新たな時代の支配層を目指す者同士、どちらかが消えるしかないと思わないか?」
「やってみろ、堕落者が。我が剣も魂も、決して貴様に屈したりはせぬ」
「ふっ、よく言う。その折れかけた大剣で」
確かに、道に刺さったアガタの大剣はバリスタの矢を防いだ衝撃で曲がりかけていました。少しでも打ち合いをすれば即座にへし折れてしまうのは明白でした。
されど、アガタはそのねじれた大剣を両手で引き抜くと上段に構えたのです。
「一太刀もてば充分。それで貴様を切り伏せてみせる」
「ククク、そりゃ面白いな。その戯言が実現するか見届けてやるよ」
赤髪をなおも血に染めて、アガタは決意みなぎる表情で敵を睨みつけました。
オルランドは鉄槌を斜に構えて宣言通り待ちの構えでした。
「いざ!」
怪我をまったく感じさせない速さでアガタは突進しました。
上段に構えた大剣をそのまま振り下ろす、何の小細工もない一撃ですがそこには背水の陣を敷いた迫力と必死さがありました。
鉄槌の長柄で決死の一撃を受けるオルランド、その両足は車道にめり込み、口からは思わず驚愕の声が零れました。されど、首の皮一枚の所で強撃は止まりました。
一の太刀を疑わず、勝負の全てをかけた初撃が止められてしまったのです。
兜の下でオルランドは嘲笑を浮かべました。
「終わりだな。その武器と誇りごと……逝け」
ですが、その瞬間を狙って飛び出した者たちが居ました。
一名は横転した馬車から、もう一名は逃げ惑う群衆をかきわけて。
「合わせろ、ラタ!」
「そっちこそ外すなよ!」
リス人間のラタと仮面を被ったハービィでした。
二人は跳躍すると、如意棒と世界樹の木刀……それぞれの得物をアガタの大剣に重ねるかの如く振り下ろしたのです。それは三人がかりの一の太刀。
三倍の圧力ではひとたまりもありません。オルランドの鉄槌はたちどころに砕け、三重の必殺撃が黒騎士の兜を打ち据えたのです。
「ぐぅう? こ、小癪な」
オルランドは数歩後ずさり、首を振ると辛うじて意識を繋ぎとめました。
その兜にひび割れが走り、やがて真っ二つになったのです。
その下から現れたのは頬に蛇の入れ墨がある強面の男。ハービィはギョッとして、つい黒騎士の素顔を二度見してしまいました。
レストランで社会の素晴らしさを説いた直後にこのような凶行、ハービィにはとても受け入れ難い思考回路でした。
「アンタ、さっきの? いったい何をやってるんだよ! さっき言ったじゃないかよ、社会はみんなの努力で出来ているって。皆への敬意はどうしたんだよ」
「やってくれたな、小僧。(前の奴とは別人か)俺は公私を分ける方だと言ってもそれだけでは納得しないか」
オルランドもまたアルカディオの仮面を目にして思う所があったようです。
少し考えてから口を開きました。
「人間の苦労に敬意は払うさ。だがな、正直言って、あの店の料理はどうだった?」
「え?」
「イマイチだっただろう? どんなに馬をとばそうが、氷で冷やそうが、時が経てばやはり鮮度は落ちるのさ。それが覆らない現実というものだ。人の努力なんて所詮そんなものさ。触れれば折れる
「なに?」
「建前だけ立派でも、そんなものに未来を変える力なんぞ有りはしない。だから俺は、騎士道と一緒に『儚い努力』と手を切った。愛する者を守れる真の力を選んだ。人知を超えた圧倒的パワーこそ現実を覆す確かなもの。それが俺の信じる騎士道だ」
「馬鹿な、そんな理由で……女性にバリスタかよ! そんなの間違っている」
「フン、貴様も結局、前のアルカディオと変わらない。凡庸な正義だけを見て時代から目を背けている。何人来ようが、それでは同じ。ただ悔みながら俺の前で死ぬだけだ」
「パパ、何しているの。目的を達したならさっさと引いて」
不意に少女の声が響き、オルランドの後ろに巨大な鏡が出現しました。
金細工と宝石で縁取られた全身鏡です。
オルランドはその鏡と、ハービィ、ラタ、アガタの三人を交互に一瞥しました。
「……そうだな、どうせ騎士様はもう戦えない。俺の任務は終わった」
そう捨て台詞を残すと、オルランドは鏡の中へと跳び込んだのです。
その途端、どんでん返しのカラクリ扉みたいに鏡はパタンと一回転して消失しました。
バリスタも形が崩れて空中へ霧散していきます。
追いそびれたハービィには、ただ呟くことしか出来ませんでした。
「アイツ、先代アルカディオを知っているのか……それって……つまりは」
けれど考えをまとめる暇もなく、ハービィの後ろでも大変なことが起きていたのです。
緊張の糸が切れたのか、大木が倒れるようにアガタがバッタリと倒れたのでした。彼女の傍らには根元からポッキリ折れた聖剣エウロスが転がっていました。
その信念は見事に民衆を守り抜きました。
されどその肉体は限界を超えていたのです。
戦いで倒れたアガタが運ばれたのは「天眼さまの館」と呼ばれる施療院でした。
施療院とは今でいう病院のようなもので、天ノ瞳教団の信者であれば誰であろうと分け
もっとも(社会全般でもそうでしょう?)分け隔てなくなんて建前のようなもの、多くの一般患者が広間に並べられた簡易寝台で共同生活を送っていたのに対し、頂天騎士であるアガタには病室があてがわれていました。
それにしても、幹部クラスの入院先にしては質素で狭い牢獄のような部屋なのでした。何かそこには敗者への掌返しのようなものが感じられました。
かつて大勢居た配下の正規兵たちもF国民を刺激しないよう大半をD国に返したそうです。そんなわけで見舞いに駆けつける者の姿も殆どなかったのです。
馬車が横転した際に強く頭を打っていた事と、バリスタを大剣で受け止めた際の骨折が酷いことからアガタは絶対安静が言い渡されていました。
本人の意識が戻ったのは半日後。
廊下の長椅子で待機していたハービィ達が面会を許されたのはそれから僅か二十分後のことでした。アガタ当人の強い希望もあり、ハービィとライライはすぐに病室へ通されました。寝台に横たわり、包帯で片目を塞がれたアガタはいつもよりずっと儚く見えました。
「まったくザマないな。刺客を取り逃がした上に入院とは。頂天騎士も形無しだ」
「そんなことはないですよ。アガタ様が皆をかばってくれたからこそ犠牲者が出ずに済んだのですから」
「誰かの口からそう言ってもらえれば、ちょっぴりだが救われるよ」
いつもの強気な姿勢はどこへやら、アガタは溜息をつくと続けました。
「だがな、剣で己の居場所をつかみ取った者は、敗北すればたちどころにその地位を追われるものだ。守られる側の人間はいつも勝利しか認めてくれない。君も剣を頼りに生きるつもりならそれを肝に銘じておくことだ」
「俺は……別にそんな。俺が生きて帰った時、喜んでくれる人さえ居てくれたのなら……きっと、それで十分です」
後ろでライライが強くうなずいたのを目にして、アガタは失笑しました。
「いらぬお世話だったな。君たちを呼んだのは何も弱音を聞かせたかったからではない。敵の黒騎士、オルランド。奴と対峙して判ったことがあるのだ」
「なんです?」
「奴は言った。頂天騎士の命を狙うのは『縄張りを守り、広げていくため』だと。当たり障りのない返しのようにも思えるが、私は気になった」
「確かに妙ですね。守る? それだとまるでパリエスの都がすでに縄張りみたい……」
「そういうことだな、詩人殿。国王の心変わりと合わせて考えれば、もう答えは一つしかあるまいよ。奴らは既にベルサーユ宮殿の奥深くに入り込んでいるのだ」
「ええ? まさか、そんなことって」
「有り得ない話ではないです。私のような吟遊詩人ですら公爵のツテがあれば王宮に忍び込めますから。宮殿の警備なんて招かれた者には無力に等しいものです。手練れの術師が相手であれば尚更に」
「エチエンヌ公から聞いているよ。詩人殿は歌と演奏だけが仕事ではない、密偵としても非常に重宝する存在らしいな」
「えへへ、それほどでも……ありますけれど」
密偵とはつまりスパイ、寝耳に水とは正にこのことです。
ハービィはそんな話まったく聞いていませんでした。
きな臭い成り行きを問い質しても、ライライはトボけるばかりです。
「パリエスに到着した時、その話をしなかったっけ?」
「秘密って、はぐらかしたじゃん」
「ゴメン、そうだったね。じゃあ今話すから、許して頂戴。パトロンから任された極秘任務っていうのはつまりスパイ活動のことなのよ。私なら宮廷楽師の助っ人や、音楽の家庭教師として貴族の館に入り込めるから。そこで、色々と内緒話をする機会も多くてね。軟禁生活を送る公爵夫人や子息からこっそり恋文を託されたり、あるいはその代筆まで任されたり、口外できない秘密も色々と知ってるの」
「潜入任務が初めてじゃないのは判ったよ。だからって、敵の本拠地かもしれない所に行くなんて。危険すぎるだろ」
「バレなければどうってことないわ。平気よ、嘘は得意だもの。嘘と陰謀の世界に正直者の君を連れては行けないけれど。きっと奴らの正体と目的を暴いてみせるわ」
「先代が奴らに殺されたかもしれないんだ」
「……でしょうね。私たちは終末の根源に向かっているのだから。彼と向かう先が同じなら何時かは待ち構えていること、必然だわ。私たちは逃げ出さない、そうでしょう?」
何を言ってもライライの決意はひるがえらないようです。
ハービィは失意を嚙み殺して言いました。
「生きて帰ることを最優先にしてくれよ」
「そっちこそ、人の心配ばかりしてないで黒騎士に殺されたりしないでよ……本当に」
「王宮の内部にも教団の信者は居る、孤立無援というわけではないよ。いま必要なのは王の心の内を探り出せる人材だ。外部の人間にそれを頼むのは少々心苦しいが……」
「任せて下さい。これは先代の仇討ちでもあります。私、やる気がみなぎっていますから」
「……わかったよ。止めたって行くんだろう? なら俺は、奴らとの対決に備えてせいぜい修行に励むさ」
「それなんだがね、アルカディオ君。黒騎士と刃を交えて感じたことがあるんだ。聞いてくれるか?」
アガタの中で私的な感情と公的な理性が錯綜していたのでしょう。
彼女は何とも言えぬ複雑な表情をしていました。
「奴は、まだ騎士の誇りを完全に捨てきったわけではない……と思う」
「ええ? バリスタで奇襲をかけてくる奴が……ですか?」
「そう、そこだ。あのままバリスタを撃ち続けていれば、楽に私を始末できたはずなんだ。それなのに奴は自分から優位を捨てて接近戦を挑んできた。自惚れかもしれないが、私の示した覚悟に敬意を払っているように感じた」
「敬意、レストランでもそう言っていましたね」
「本当は『人知を超えた力』とやらに頼らざるを得ない自分を歯がゆく思っているのではないだろうか?」
「なるほど……」
「参考になれば幸いなのだが……つけ入る隙にも、説得する鍵にもなるはずだ」
面会の時間は終わり、アガタの想いを託された二人は病室を後にしました。
廊下の長椅子ではお行儀悪く横になったラタが待っていました。
ハービィ達の顔を見るなり跳ね起きると、ラタは珍しく神妙な様子で言うのでした。
「やぁ、思ったより深刻な事態になってるね。重傷者を放っておくわけにはいかないし、此処は僕が護衛に入るとするよ」
「大丈夫かい、病院で悪戯なんてするんじゃないよ」
「信用ないな、マイフレンド。アガタにはいつも迷惑かけているからね、恩返しだと思えば少しは真面目になるさ」
「えーと、ラタでも気を使う相手がいるんだな」
「そりゃそうさ。アガタは頂天騎士の中では数少ない女性でね。それだけ周りから軽んじられて苦労も多いんだよ。例えば教団内でこんな陰口があってね『ラタは女性の前では塩らしくしているからアガタに任せよう、彼女こそ保母さんの頂点だ』なんて。失礼だろ」
「……アガタさん、可哀想」
「そんな感じで迷惑かけ通しだからさ。ちゃんと護衛はやるよ。むしろ君たちを見てやれないのが不安だけど」
『全然、気にしなくていいです』
ハービィとライライは顔を見合わせうなずくと、声を揃えて言うのでした。
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