第18話



 それは二年と六か月前のできごと、F国南西部山間の村プトレシアで奇妙な事件が起きました。

 村中が氷漬けとなり、住民はみな雪だるまの姿へと変えられてしまったのです。

 犯人は近くの古城に住む雪の妖精でした。

 村人たちが妖精の土地で許可なく木を切り倒したり、動物を狩ったりするのが気に入らなかったのが原因です。


 時期で言えば洗濯女のロザンヌと別れたライライが、あてもなく各地をさ迷っていた頃。山越えの最中、村へ立ち寄ったライライはそんな雪妖精に挑まんとする若き英雄の兄弟と出会ったのです。

 兄の名はクリム・D・ラスペード。弟はガナッシュ。


 クリムは見たこともない緑髪と金色の瞳が特徴的な好青年でした。村の入り口、小高い丘の上に立つ騎手の姿は雪の照り返しを浴び光り輝いていました。

 弟の引く白馬に乗ったクリムは、その凛々りりしさからライライには絵本の中から抜け出してきた王子様みたいに見えたのです。

 七三にわけた前髪は風にたなびく騎士団の軍旗のよう。弟のガナッシュは忍者のように黒覆面で素顔を隠していたのに対し、さわやかな赤いジャケットと乗馬ズボンを着こなすクリムは、異形としか言いようのない緑髪を誤魔化す気などまったくないようでした。

 だからライライは彼を目にした時、つい言ってしまったのです



「旅のお方、素敵な髪をしていますね」

「母が妖精なものでね。人里では目立つけれど、私自身は気に入っているんだ。貴方のようなベッピンさんにめてもらえて光栄ですよ、ドゥルド族のお嬢様」

「あら、判るんですか?」

「その『角被り』はドゥルドのものでしょう? 妖精と人のハーフである私だからこそ、この村を襲っている異変を放ってはおけません。もしや妖精と親交の深いドゥルド族も同じ考えなのでは?」

「そうですね、貴方が行くとおっしゃるのなら……力になれるかも」

「昨今はあちこちで妖精と人のいさかいが発生しています。妖精たちも何かにおびえているのでしょう。それを探り出すのが我々兄弟の成すべきことなのです」



 これが運命のきずなというものでしょうか。ついさっきまで赤の他人同士だったものが、僅か数秒の会話を経て旅の仲間へと関係が深まったのです。


 ―― ああ、これこれ! きっとこの人だわ! この人こそアルカディオの仮面を託すのに相応しい男の人。そうよ、世の中ピエールみたいな穀潰ごくつぶしばかりじゃないはずよ。彼の事なら特別に信じても良い気がする。あの髪の色、優しそうな眼差し。きっと神様が私の為に用意してくれた特別な男性なのよ! 運命の赤い糸だわ、ライチ! 英雄譚の始まりに相応しい雰囲気じゃない。


 耳まで真っ赤にして、当時のライライはのぼせ上がるのでした。

 同じ人間が二年と五か月後には、銀髪の少年を騙す気満々で声をかけているのですから……まったく運命とは数奇なものです。



「私のことを信じてくれるのなら、この仮面を被って頂けませんか? クリム」



 この事件でアルカディオの仮面を受け取ったクリムは、二代目のハービィと同じく英雄譚の主役として活動を始めるのでした。妖精の血を引く兄弟と、吟遊詩人のライライ。後に彼等はF国各地を武者修行の旅で回り、もめ事を解決してはアルカディオの歌にして(地方における)知名度を高めていくのでした。

 もっともクリムは戦場に女性が立つことを良しとせず、ライライには口頭で事件のあらましを伝えるだけ。悲しいかな……当時のライライは兄弟の活動方針に口出しできない広報担当に過ぎなかったのです。

 やがて冒険を重ねる内に終末の危機、世界規模の異変が人間界と妖精界に迫っていることを肌で感じ取ったクリムは、ライライとパリエスの都で別れ、その元凶が住まう北の荒野へとおもむいたのです。

 ライライには何処へ行くのかさえ告げられないままで ――。



 クリムは結局、約束の一ヶ月を過ぎても帰らず、安宿で待ちわびていたライライの所へ届いたのは訃報とひび割れた仮面でした。それを届けたのは弟のガナッシュ。元より明るい性格ではなかったにしろ、帰還後の彼はライライへの憎悪を隠そうともしなくなりました。

 


『お前がこんな仮面さえ寄越さなければ、英雄と祭り上げさえしなければ、兄は死なずに済んだのに』

『今更、謝った所で何になる。もう二度と兄の歌など人前でうたわないでくれ』

『妖精の愛人と辺境伯の間に生まれた我々だ。元より故郷に帰るつもりなどない。このパリエスに兄の墓を残してやるから、つぐないとして生涯墓守をするがいい』



 今ならライライにもよくわかります。

 肉親を、それもこの世でたった一人信用できた家族を失った痛みがどれほどのものか。その痛みをライライにぶつけてしまうのは無理なからぬこと。

 ガナッシュも決して悪い人物ではありませんでした。

 得意料理はウサギ肉のシチュー。兄に美味しいとほめられた時、覆面越しにでもわかる笑みを浮かべていました。

 弟がどれだけ兄を慕っていたのか承知しているだけに、ライライは罵倒されても弁解の言葉が出てきませんでした。



『なぜ何も言わない? なぜ、泣こうともしない? 兄が死んだのは、実力不足のせいだとでも? ああ、そうだろうよ。なら次はもっとマシな奴を探すんだな。冷たく卑しい女、人形女め、さっさと世界を救える男を探しに行きやがれ!』



 ―― クリムは死んだの?

 ―― もう会えないの?

 ―― 嘘だよ、そんなの信じられない。そんなの……。


 ようやく涙があふれてきたのは、ガナッシュが出て行ったその後でした。



 それから数日は何をやっても手につかず、ライライは茫然自失ぼうぜんじしつの時を過ごしました。

 夢も希望も、全てが色あせて古ぼけたものに思えました。

 パリエスで顔馴染みの酒場に通っても失敗に終わった英雄譚を歌う気にもなれず、酒びたりの毎日でした。


 そんな有様でも、持って生まれた美貌びぼうは失われないものです。

 下心丸出しの男どもが彼女のテーブルへやって来てはライライを苛立たせるのでした。

 けれど、そんな中にたった一人だけ、閉ざされた彼女の心を開いてくれた男が居たのです。オールバックの黒髪で赤銅色の肌を持つ、たくましくも利発的な男。



「詩人さん、貴方は竪琴を持っているのに、自慢の腕前を見せてはくれないのかな? 使い込まれているし、手入れもされているようだが……いつまでも酒に飲まれているようではせっかくの楽器が泣いているよ」

「……お生憎あいにくさま。辛いことを思い出す歌はもう口にしたくないの。共に旅して、死んだ人のことを考えてしまうから、どうしても」

「そうかい、辛いことがあったんだね。なら、ウチに来てみないか? 先人の残した楽譜が沢山ある。自分の作る物に疑問や限界を感じた時は膨大な歴史に答えを求めると良い。あるいは勉強しなおす事で開ける道もあるだろうさ」

「随分と変わったナンパをする人ね? パッと見は地味だけど、その服もこんな場所には不釣り合いなくらいに高そう。貴方、いったいどちら様かしら?」

「お目が高い! 実はこれブランド物のオーダーメイドなんだ。……ってそんなの貴族なら当たり前か。人は俺のことを道楽公と呼ぶ、その名に恥じぬ男とだけは言っておこう」



 そう、その男性こそが道楽公エチエンヌ。

 話してみれば芸術に関する知識が並外れていることはすぐに判りました。

 それに、いつまでもこんな所で酒浸りになっているよりは新しい世界に飛び込んでみる方が幾分マシではありませんか。


 道楽公の別荘アグール館には古今東西の様々な楽譜や詩を集めた保管庫がありました。

 言うならば音楽の図書館です。

 執事に案内されたライライは、目を輝かせてそれらを読み漁りました。

 そこは彼女にとって宝の山。心の傷を埋めるかの如く、彼女は貪欲に知識を吸収していきました。そして、エチエンヌ公でさえ予想しえぬ早さでライライはそれを自分のものとしていきました。

 仕舞には、ただ楽譜を読み込むだけで三十分後にはその曲を弾けるようになっている始末。その才気あふれる成長速度には数多の芸術家たちと交流のある道楽公ですら舌を巻くほどでした。

 そして、とうとうエチエンヌは決心したのです。学習能力も高く、交渉力に長け、演技や嘘も巧み。そんな彼女にうってつけの任務といったら一つしかありません。



「ライライ君、もし君さえ良ければだが……王宮の作法も覚えてみないか?」



 音楽と美貌で気を許した相手から引き出せるだけの情報を頂く。

 騙し騙される王侯貴族の社交界において、間諜スパイの存在は欠かせないものでした。

 ひとつ、パリエスに自分のアトリエが持てること。ひとつ、急ぎの任務がなければ吟遊詩人として活動することを許す。二つの条件と引き換えにライライは新たな生き方を受け入れたのです。いずれ、新たな英雄と旅に出る時、そこで育んだツテと知識が必ずや物を言う日がくると信じて。


 果たしてその推測は大当たりでした。











 チュンチュンとやかましいスズメのさえずりにまどろみを破られ、ライライは自室のベッドで目を覚ましました。何やら懐かしい夢を見ていました。

 あの頃はまだ、何の根拠もなく自分の将来には希望と成功が満ちていると信じていたものです。今から思えば、そんなの大甘もいい所。

 クリムと旅をしていた時も。道楽公のスパイとなり、活動していた時期も。

 シロップ漬けのドライフルーツみたいに甘い見立てでした。


 大昔は本当に自分とパートナーが世界を救えると信じていました。クリムを失った後は、極端から極端への一転、ライライは半ば自棄ヤケになって「死へ向かう新婚旅行」の相方を探していました。

 条件は最後まで逃げなくて、そこそこ美男子で、騙しやすい熱血漢なら誰でも可。出来れば年下なら、なおのことよし。


 実際それへ挑む段階となった今、考えの甘さに過去の自分をぶん殴ってやりたくなります。本気で「世界を救う」つもりでいたのなら、入念周到に準備が出来なかったのか……と。

 もっと猶予期間を有意義に使えていたら。後悔は尽きません。

 自分さえもっとしっかりしていたら、ハービィにかかる負担を減らしてやれたかもしれないのに。


 仕方がありません。

 ライライとて、未来の全てを見通せていたわけではないですから。

 言うまでもない事ですが、ハービィの頑張りと情熱に感化された今となっては、彼と心中するつもりなど微塵みじんもなくなっていました。



「もう、やるしかないよね? 今の私でも出来ることを」



 そう呟いてベッドの上で背伸びをした時でした。

 早朝にも関わらず、部屋の扉が荒々しくノックされたのです。



「はぁい、どちら様?」

「俺だ、ガナッシュだ。大切な話がある」



 思い出と眠気なんて爽やかな気分と共に吹き飛んでしまいました。

 こっちは、今まさに扉の向こう側で待っている相手は、紛れもない現実なのです。

 なぜ何年も音沙汰がなかったクリムの弟が今朝に限って現れたのか、さっぱり判りませんでした。暗殺者よりはマシなのは確かですが、またあの強烈な敵意にさらされるのかと思えば愛想笑いなど保つのは不可能でした。


 恐々と扉を開ければ、そこに居たのはかつての仲間。

 目元以外を黒覆面と紺色の装束で隠した、見るからに怪しげな男でした。覆面の額に「愛」と金字で記されているのが何とも奇抜なのでした。

 サメのように鋭い眼光を怯えたライライに向けてから、ガナッシュは土足でズカズカと室内に踏み込んできました。部屋の様子をさして興味もなさそうに眺めると、ガナッシュは失笑して口火を切りました。



「相も変わらず……片付けられない女だな、貴様は」

「な、何なの。いきなり来て、大切な話ってそれ?」

「無論ちがう。貴様だってどんな話かは予想がつくはずだ」



 そこで一呼吸おいてからガナッシュは続けました。



ちまたで妙な話を聞いた。お前がまたアルカディオの歌を酒場で披露していると」

「そうだね、また歌ってるよ。でもさ、別に君との約束を破ったわけじゃない。仮面の新しい被り手を見つけたんだ」

「よくもまぁ、そんな事を俺の前で言えたもんだ。犠牲者が一人だけじゃ足りないのか。兄の悲劇を忘れたってのか」

「……違うよ、そんなの違う」

「なに?」

「そんな考え方は間違っている! 死んだ人を想うのは大切だけど、もっと大切なのはその遺志を継ぐことじゃないの?」

「何をお前ごときが……」

「無理かもしれない。諦めたかもしれない。この問題に取り組むのが私一人だったらね。でも、違う。私はこの一年で、大勢の人と出会ったんだ。努力家の新しいアルカディオ、道楽公、そして終末が迫った今の世でも生きることを諦めない沢山の仲間たち……。彼等と会って、未来の為に積み重ねる小さな努力を見てきたんだよ。そんな中で、私だけが何もしないなんて、みんなの為に戦って死んだクリムに申し訳が立たないもの」

「……おやおや、言うようになったな。一丁前に」

「そりゃそうでしょうよ。私はもう、あの頃とは違う。何を言っても、もう死んだ人は墓の下から帰ってこないんだから……だから私は前を見据えて進むと決めたの。今更、貴方に何を言われても怖気づいたりするものですか」

「進む? お前まさか、荒野に潜む連中と戦うつもりなのか? 兄を殺した奴と」

「奴ら、いつまでも荒野に留まっていないみたい。ベルサーユ宮殿が今の根城みたいね。私は近々そこへ潜入するつもり」

「ふーん、それも『世界を救う為』にか。ろくにF国から出たこともないような小僧を連れて」

「簡単な謎かけじゃない。世界を救うとはいったいどういうことか? 被害が世界規模に及ぶ災厄を食い止めれば、それで世界を救ったことになる。でしょ? わざわざ各国を旅して時間を無駄にする必要なんてないワケ。言ったでしょ、何を言われても、もう怖気づいたりしないって」

「屁理屈だな。だがそうかい、お前はずっと時計の針を止めなかったのだな。それなら良いんだ……やれやれ、邪魔をしたな」

「え?」



 言い争いになると思いきや、ガナッシュは速やかに矛を収めライライに背を向けたのです。意外な態度にライライはただ驚くばかり。

 出口の前で立ち止まり、ガナッシュはこう続けました。



「俺は季節の移ろいをただ悲しみと過ごした。てっきり貴様もそうだと思い込んでいたのだよ。失礼したな、お前の愛や慕情ぼじょうが実弟の私より深いはずもなかった」

「なによ、その言い方。本当に失礼……なら言わせてもらいますけどね」

「なんだ?」

「お兄さんが今の私たちを見たら、どっちを応援してくれると思うの?」

「聞くまでもなかろうよ」



 肩越しの会話を冷笑で終わらせると、ガナッシュは敷居を超えて乱暴に扉を閉めました。

 そして朝方の空を見やりながら呟いたのです。



「お前に決まっている」



 故人がガナッシュの頭を撫でる日は二度とやってこないにしても。

 それでも彼は兄にほめられたいと願い続けていました。

 どうしたら望みは叶うのか、その答えが今見つかったのです。


 ガナッシュはそでの下からガラス瓶を取り出すとおもむろにふたを開けました。



「行け。『薄っぺらな聞き耳野郎ホムンクルス1号』よ」



 容器の中身は緑色の液体を泳ぐカラフルな魚。瓶を飛び出した魚は、水中を潜航するかのように床へもぐって姿を隠しました。床の上に見える背びれと魚影は扉の下を潜り、ライライが居る室内へと侵入していくのでした。

 ガナッシュはこの二年半、亡き兄を蘇らせようと錬金術の研究に打ち込んでいたのです。



「これで居所は判る。後方支援サポートなら任せな、兄の意志を継ぐ者たちよ」



 それだけ呟くと、ガナッシュは足早にその場を立ち去るのでした。











 一方で、ハービィもまた深い悩みに直面していました。

 道楽公が手配した住み家を丁重に断り、またも水晶竜のお宿に戻ってきた彼はお店の手伝いをするかたわら時間を見つけては自主練習に励むのでした。


 時刻は夕方、仮面を被ったハービィは木の台に並べられた酒瓶を前に身構えていました。

 後方では師匠の娘であるミアちゃんが、何事かと見守っています。台所で使うまきを取りに来て、この面白い見世物を見つけたのです。

 


「いくぞ! アルカディオ英雄術、ミズチ!」



 掛け声と共に突き出された右手の人差し指。そこから水の糸がピューっと伸びて並んだ酒瓶の一本に絡みつきました。

 その距離はおよそ二十メートル。

 間合いをものともせず、酒瓶は水縄に引き寄せられて台からハービィの手中へと飛んでいました。それはまるでカウボーイの投げ縄でした。

 これには見ていたミアちゃんも大喜び、拍手をしながら歓声をかけてくれたのです。



「すごーい、奇術みたい? 他にもできる?」

「えーと、じゃあ英雄術、魔風」



 クラウチングスタートの構えをとったハービィが、次の瞬間には舞い上がる砂煙と共にかき消えていました。目を見開きミアちゃんが辺りを見回すと、何時の間にか彼は台のすぐ傍に立って笑いながら酒瓶を元の所へ戻していました。瞬間転移かと見まがう超高速移動、これもまたミアちゃんは大喜びでした。



「わぁー! お兄ちゃんは手品師だったんだねぇ!」

「奇術、手品か……そうだよね。剣士や騎士の戦い方じゃないよなぁ」



 義勇兵としての活躍をライライが歌にしてくれたこと。そして、天ノ瞳教団が発行している正教新聞にアルカディオの英雄的行為が紹介されたことで、ハービィの知名度は大いに高まっていました。

 高速移動と水の投げ縄はそれによって収得できたアルカディオの新たな力でした。嬉しく思う反面、気がかりも増えました。

 一つは、英雄術共通の欠点で使った後に疲労が襲ってくるという点です。どうも効果の大きい術ほど疲れも大きくなるようで、迂闊うかつに多用すれば立ち上がることすらままならなくなってしまうでしょう。

 もう一つは、アガタに教えてもらった黒騎士の誇りに関する話です。

 この英雄術は仮面の力であって、ハービィ本人のものではありません。マスクを外せば失われる仮初かりそめの力です。言ってしまえば黒騎士が街中で用いたバリスタと同じもの。もし、黒騎士を力でねじ伏せるのではなく、何らかの形で説得しようというのなら「借り物の力で戦うこと」は大きなマイナスポイントになりかねません。

 客観的に見て、こちらも戦士としてズルをしているのですから。お前だけズルをするなと叫んだ所で何の説得力もないではありませんか。

 黒騎士の心を折りたければ、この力で勝っても意味はないのです。かといって仮面の力なしでアイツと戦えるのかと言えば……溜息しか出てきません。

 勿論、それはそれとして新しい力に慣れておくのは悪いことじゃないので、こうして特訓に励んでいるのですが。どうにも目的と手段が一致しておらず気が晴れないのです。


 ―― 俺も自分の力だけじゃ戦えない男なのか。ゴーカイ流剣士が聞いて呆れるよ。


 そんな悩みは、長らくホームステイ状態で一つ屋根の下で暮らすミアちゃんにはお見通しなのでした。


「なーんか、浮かない顔ね。ハービィお兄ちゃん、また悩みごと?」

「またって……」

「考えすぎはダメだって。自分にできることをキッチリしよーよ」

「そうなんだけどね。そう簡単にはいかなくて」

「ライライお姉ちゃんとデートだって喜んでいたのに、失敗しちゃったの?」

「いやいや、そんなことないよ。海王亭ってお店で生牡蠣を堪能して……」

「その生ガキにあたっちゃったとか? おなか壊してデートで醜態を……」

「ま、まさか。でも、やっぱり海産物は漁港で食べるのが一番なのかもしれないね。海沿いからここまで運んでくる頃には、どうしても痛んじゃったりするし」

「んー? 別にそうとも限らないよー」

「え?」

「このパリエスでも美味しい貝料理を食べることは出来るの。むしろね、この都だからこそ食べられる とっておきの調理法があるもの」

「ええ? それ本当?」

「なによー、ミアちゃんはこう見えても『水晶竜のお宿』の美人シェフなんですからね」

「お見逸れしました……その話、詳しく教えてもらえないかな?」



 あるいは、この袋小路を切り開く活路になるかも。

 そんな予感からハービィはミアちゃんのご高説に耳を傾けたのです。



 そして二日後、ライライは道楽公エチエンヌの手引きによってベルサーユ宮殿で催される晩餐会ばんさんかいに潜り込みました。連絡をとる最後の手段として例の貝型コンパクトミラーがあるにはあったのですけれど、任務中に怪しげな振る舞いを見せない為にもハービィの方からは決して連絡をとらない約束でした。

 ハービィにはヤキモキしながら報告を待つことしか出来ませんでした。


 ―― 心配だなぁ。下手をすれば国王を敵に回すかもしれないのに。


 悩みは尽きませんが、宿屋の手伝いとして頼まれる仕事もあります。

 不足分の食材を仕入れにハービィは夜の通りを歩いていました。


 彼はまだ理解が足りていなかったのです。

 国王を敵に回すことがどんな事態を招き寄せるか。

 それが今となっては我が身にも降りかかる災難なのだと、ハービィは考えてもみませんでした。


 そして、すぐにそれを思い知らされる事となるのです。



「君がハービィ君かな? またの名をアルカディオという?」

「え? ええ…そうですけれど。何です? まさかサインとか? ははは……」

「ふん、サインなら囚人向けの書類にしたまえ。我々はバスチイユ監獄の者だ。国家反逆の罪で君を拘束する」

「え? ……はい!?」



 ハービィの腕を掴み話しかけてきたのは、なんと制服を着た正規兵でした。

 王を敵に回す、それはつまり国を敵へ回すという事に他なりませんでした。

 哀れ英雄、一転して監獄の人となる。

 檻の中で待ち受けるは、いかなる試練でしょうか?



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