第14話
王国歴六百十年、ウンディーネの月、二十一日。
夏至の日。一年でもっとも夜が短いとされるこの日、試練を乗り越えた二人の若者が本当の意味で人生の門出を迎えようとしていました。
二人の間には隠し事があったかもしれません。誤魔化しや打算がまったくなかったとは言い切れません。しかし、それは最早過去の関係にすぎないのです。
運命の女神はその全てを白日の下にさらけ出し、両者に清算を迫ったのです。
約束の時間は午後二時。
コンコドル広場からでもパリエス時計塔の文字盤はハッキリと目視できる程度の距離でした。
二時を告げる鐘の音色が澄み切った空に吸い込まれ、残響すらもやがて街角に吸われて消失していきました。
噴水の前に立つライライは、小さく溜息を零しました。
鹿の角が生えた帽子を被ってドゥルドの正装に身を包んだライライ。うつむく彼女の背後では、噴き出す流水がアーチを描いていました。
見る角度次第で、その形と
されど今、ライライは一人でした。
「来ないか……そりゃそうだ。女は私一人じゃないものね。愛だ、正義だ、平和だ、名声だ、そんなものに本気で命を張れるもんじゃない。嘘ほど綺麗な現実なんてあるわけでなし。君の勝ちだよ、それでいいんだ。真っ当に生きてくれ」
未練がましく待つような真似はせず、ライライは待ち合わせ場所の噴水を立ち去ろうと背を向けました。
するとそこへ、噴水の反対側から奇声が飛んできたのです。
「おい、ちょっと、気が早いな。待て、ちょっと待って! まだ覚悟が」
「……ふふっ、同じセリフを戦場でも吐くつもりかい? 女も敵も、いつまでも君を待ってはくれないよ」
寸前までとは大違い。
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべてライライは振り返りました。
そこに立つのはなめし革の衣とマントを身に着けた銀髪の青年。
そう、もう誰も彼を少年とは呼べなくなりました。
リトルマッジの村で二人が出会ってから僅か一か月足らず。ですが、そのひと月で少年は多くを学び心身ともに成長したのです。
ハービィは恥ずかしそうに後頭部を搔きながら言いました。
「いやね、来るのは決めていたんだよ? でも、土壇場で気が付いたんだ。この場面で何を言うか決めていなかったって……」
「だからって『待った』なのかい? 答えは『イヤ』だね。君が心に浮かんだ感動をそのまま言葉にしてくれたら、それでいい。それがきっと私達にとっての本物だから」
「やれやれコッチは詩人じゃないっていうのに……」
二人の距離はおよそ十メートル。会話を続けるには少し離れた間合いでした。
ハービィは細く息を吐きだすと、勇気をもって一歩を踏み出したのです。
これまでも何度となく戦いの中で同じ気分を味わっていました。勝てるか判らない相手へ無謀にも向かっていくあの感じとソックリでした。
間合いが狭まり対決が実現するその瞬間までに、
そして恋とバトルは本質的に似通ったものだったのです。
この数歩で詩人をほれぼれさせる名言を生み出せればよし。
さもなくば……英雄の資質が試させる時でした。
ハービィは歩みを止め、ライライの顔を覗き込みました。
何かを、人生が変わるような感動を期待しているその顔を。
「俺、死なないから」
「そう? 無理してない?」
「どんな綺麗ごとも絶望も乗り越えて、俺は最後まで君のかたわらに立ち続ける」
「え……はは、ホント?」
「そう決めてきた。君との将来をつかみ取る為なら、この先いかなる努力も惜しまない。だから君も、
「うん、そうだよね。きっとそう。頑なに心を凍らせてはいけないわ、私達は生きているんだもの」
「そうさ、君が探す感動は長生きしないと見つからないものなんだよ。色々体験して感性を育てなければ、本物を見てもわからない。だから……」
ライライは静かに目を伏せ、首を横に振りました。
「先代のクリムはね、もう故郷に帰る所がないから、私の居るパリエスに墓を建てたんだって……。アルカディオの仮面を叩き返された時、彼の弟さんがそう言っていたわ。生涯その墓を忘れるな、それがお前の
「故人を思うのは大切だけど、それはきっと遺族の意志であって本人の遺志であるもんか」
「わからないの、彼が何を思いながら死んでいったのか。私はそれを知りに行かなければならないと思い込んでいた」
「そんな瞬間は、この先ずっとない。くるもんか。俺たちが目指すのは二人が辿り着くはずだったもう一つの到達点だ。それこそが皆の望んでいる英雄譚だと思う。皆を励ませる幸福な歌が望まれているんだよ、今は! 君が
「……ありがとう、ハービィ。君を選んで本当に良かった。その日を楽しみにしているよ」
「お礼を言うのはこっちも同じさ。傭兵団のストレンジャーズで見習いをやっていた頃、俺の手には何もなかった。未来への希望も、夢も、生きがいも、全部見失っていたんだ。成長とは無縁の下っ端だった。でも、このひと月で俺は生き返った。君がくれた新しい人生なんだ。俺はこの機会を絶対無駄にしない」
「……これで嘘はもうないね。私達は潔白。嘘つき詩人は卒業だ。改めて宜しく、私のアルカディオ」
涙目で微笑みながら、ライライは仮面を差し出しました。
それを受け取ると、ハービィは素早く装着しました。
例えこちらの方が素顔になろうと構わない。
それこそがハービィの生きざま。もう、そう決めたのですから。
自分の格好良さに酔いしれているその時、ふと疑問が浮かんできました。
「えーと、ちょっと待ってよ。この後、二人で君のパトロンに
「うん、モチロンだよ! 昨夜、君が強く抱きしめてくれたから……その後は、テンションが爆上がりして筆がのるの、なんの。あの後、一時間も経たずに完成したよ。午前中に練習しておいたから、どうにかいけると思う」
「ははは、待ち合わせに俺が来なかったら……どうするつもりだったんだよ」
「信用してたもん! むしろ新作という土産もなしに挨拶なんかできないわ」
「そういうもんか。しかし、いいのかね、洗濯女がさらわれたなんて庶民的な話で」
「あー、そこは夜中のテンションで書いたからね。色々と変更したよ」
「うん?」
「さらわれたのは貴族の令嬢にしておいた。君に救出された後、囚われの令嬢から熱いキスを頂戴してカエルの変身魔法が解ける感じに変更したから。その方が貴族は喜ぶでしょ? ヘーキヘーキ、すごくロマンスにリアリティを込められたから絶対バレないって」
「は、ははははは、当人たちは聞いたら怒るだろうな。君はやっぱり嘘つき詩人だよ」
「これくらい皆やってるもーん。現実をお客様向けに美化するのが私達の仕事なの」
二人は高らかに笑うのでした。
そしてライライはハービィの手をとって言いました。
「さぁ、行こう。お昼はもうすんだ? これからはもっと忙しくなるよ?」
「そうだな、二人で世界を救うんだからな」
見つめ合ってうなずくと、
その楽しげで希望に満ちた様子は、まるで教会から飛び出て新婚旅行へと出かける新郎新婦のようでした。
これこそが二人の門出。祝う者はおらずとも彼らは幸福だったのです。
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