第8話(第二歌、完)



 コンコドル広場はセイヌ川中心部の右岸に位置し、シャンゼルゼ通りにも面した大広場です。中央に噴水を有し華やかな雰囲気を保っているものの、かつてはF国の王族をギロチンによって公開処刑したという壮絶な過去を持っているのです。

 けれどクリーム色のタイルが敷き詰められた現在の広場はそのような凄惨さは微塵もありません。砂漠の国から送られたという石碑オベリスクのレプリカには太古とロマンの匂いも感じられ、何とも独特な空気を醸し出しているのです。


 そして本日、そこに集まったのは百名を超える大道芸人たちです。

 バトンやボールで巧みなジャグリングを見せる道化、三メートルもある巨大竹馬で見物人を引き連れ練り歩く長足怪人、火吹き男、サッカーのリフティング男、椅子を塔のように高く積み上げてそのテッペンで新体操をする軽業師。怪しげな人形劇を披露するパペットマスター。

 どの芸も華があって、どれを観るか目移りするほどなのでした。

 ハービィ、ライライ、ミアちゃんの三名も午前中から広場へ駆け付けそれぞれの演目を巡り歩いていたのに、半日近くを費やしてもまだまだ全体の半分くらいしか回れていなかったのです。

 意外にも一番興奮していたのは最年長のライライでした。吟遊詩人としての血が騒ぐようで、彼女は他者のパフォーマンスに興味津々なのでした。



「うーん、どの芸人さんも命をかけてるねぇ。魅せてくれるわ」

「ライライも一曲披露ってわけにはいかないのかい?」

「ダメよーお兄ちゃん、今日は芸人さんの日なんだから。音楽は別の月」



 ハービィにとっても夢のような境遇でした。

 こんなにも穏やかで楽しい時間を過ごせるなんて何時以来でしょう?

 ストレンジャーズで下働きをしていた頃には考えらないことです。

 屋台で綿菓子を買っている二人を見ながらついこんなオノロケを口にしてしまったのも、全くもって気分が高揚しているせいなのでした。



「いやー、こうして子どもを連れ歩いていると、もしかして俺達も親子連れに見えたりするのかな」

「は? アンタ幾つよ? どう見ても兄妹、姉妹でしょうが。私はまだそんな年齢ではありませんからね」

「お兄ちゃん、ミアと五つしか違わないんじゃない? おっかしーの」



 おやおや、全否定です。

 ハービィの発言が少しばかりおかしかったにしろ、どうしても繊細な男心はライライに受け止めてもらえないのでした。


 それはともかく、ミアちゃんのお気に入りは長足自慢のタケウマ男です。

 ただ歩き回るだけなのですが、身長が三メートルを超えているとそれだけで充分面白いのです。なかなか気さくで、足元のチビッ子たちに話かけてくる所も人気がある理由のようです。



「どうだい、ワシは世界一背が高いんだぞ」

「素敵ね、お空の星にも手が届くのかしら」

「はっはっは、ワシに届かぬ物などないさ。ホレ、お嬢さんに星をやろう」



 竹馬男はポケットから金平糖を出してミアちゃんにくれるのでした。



 そうやって三人がお祭り騒ぎを満喫していたその時でした。

 すれ違いざまハービィの背筋を凍らせるような話題が耳に届いたのです。



「あの傘屋、なに考えているんだろうな? こんなに晴れているのに傘を買えなんて」

「もうすぐ泥の雨が降るとか言ってたぜ。頭おかしいんじゃないの?」

「あれも何かのパフォーマンスじゃね?」


「ま、まさか、それって」



 ハービィとライライは顔を合わせてうなずきました。

 ミアちゃんに危険なので広場から離れるよう言い聞かせると、二人は悲鳴と怒声が響いてきた噴水の方へと走り出したのです。











 時計の針を戻して三分ほど前のこと、噴水の前に立った怪しい人影が人目もはばからずに何事かブツブツとつぶやき続けておりました。



「へっへっへ、それじゃあ主賓しゅひんも充分祭りを堪能したようだし、こちらもメインイベントを始めましょうかね」



 フード付きローブを華麗に脱ぎ捨てると、その下から現れたのは兜のフサフサを風になびかせたリス人間。そう、ラタ・トスクです。ラタは尻尾をゴソゴソとまさぐり、毛皮の中から何かを取り出したではありませんか。

 それは、鈴と小さなシンバルがたくさんついたタンバリンでした。ラタはタンバリンを頭上に掲げると、全身でリズムをとりながら小気味良く叩き始めるのでした。


 シャン♪シャン♪ チリリリリン♪ タンタタン♪



「それ、そーれ、おいでなさい泥の妖精さん。アッソレ、人間だけに楽しませておくことはない。妖精だって羽目を外して遊びましょうっと」



 ラタの踊りと歌につられたのでしょうか。

 噴水の溜池ためいけが泡立ったかと思えば激しい水柱が噴き上がり、水面を割って大きな泥の竜が姿を現しました。オベリスクに映る怪物の影、広場に吠え渡るくぐもった咆哮ほうこう。たちまち辺りは騒然となり、竜が次から次へと吐き出す泥水を頭から被って人々は逃げ惑うのでした。

 そこへ仮面を被った英雄が颯爽さっそうと駆けつけたのです。もっとも始まるのはしょうもない口喧嘩なのですが。



「止めんか、このリス野郎! 公共物破壊だけで飽き足らず、性懲しょうこりもなく泥遊びか!」

「それはこっちの台詞だよ、英雄気取り。僕は出しゃばりが嫌いだって言ったろ? どうしてもヒーローごっこをやりたいのなら、少しはそれに見合う活躍を見せてみな」

「よーし、言ったな! 覚悟しろ、ラタ!」



 ハービィが腰から木刀を抜き、臆することなくラタへと向かっていきました。

 今こそ修行の成果を世に示す時です。

 迎え撃つラタは、前と同じように尻尾から出した鉄棒を伸ばして如意棒へと変え……おや、タンバリンで塞がっているせいか左手だけで武器を構えています。



「なぁーめるなってんだ!」



 再戦に備えて打ち込みで掌に血豆をこしらえたハービィです。

 右から左からの薙ぎ払い、振り下ろしに切り上げ、身につけた斬撃の型をこれでもかとラタに叩きつけていきました。互いの持ち手が痺れるほどの勢いで武器がぶつかり合い、激烈な金属音が周囲へ鳴り響きました。

 気迫のこもった太刀筋はラタを防戦一方へと追いやりました。

 ですがハービィは素直に喜べません。



「楽器なんか捨てて真面目にやれ。両手で武器を構えろ」

「おっとっと……いや僕はいつも大真面目なんですけどね」



 なんとラタは矢継ぎ早に繰り出される攻撃を防ぎながら、尚もタンバリンの演奏を止めていなかったのです。確かにその技量と度胸は大したものですが、曲芸にしても度が過ぎています。

 猫のように目を皿にして見学するライライが、この時ばかりは声を張り上げました。



「ハービィ、楽器を狙って! 妖精はラタの音楽に惹かれて街へ出てきただけ。楽器が壊れて演奏が止まれば、あとは私の竪琴で説得できるから」


「了解、なんというハンディマッチだろ」

「お前さんなんて、これで充分なのさ! とはいえ、その武器やけに頑丈だね? 僕の如意棒を片手とはいえ受け止められるなんて。えーい、チクショウ!」



 流石に演奏と戦闘の両立は厳しいものがありました。

 ラタの見立てが、修行前のハービィの腕前をもとにしたものなら猶更です。ラタの奴ときたら、美人のライライを物陰から見守るのに忙しくてハービィの監視なんかそっちのけだったのです。



「いけるわ! やっちゃいなさい!」



 はしゃいだライライの黄色い声援が余程気になったのでしょうか。

 ラタが余所見をした瞬間に、ハービィの上段振り下ろしがリス人間の小手を直撃しました。その衝撃で如意棒は地面に転がり、ラタの手に残るはタンバリンだけになりました。



「チッチッ! まだまだ、泥の竜を退治できるならやってみろ」



 ラタはきびすを返し、ノミのようにぴょんぴょん跳ねながら逃げ出しました。

 そのジャンプ力ときたら一跳び五メートルは裕に達しています。目で追うのがやっとの速度でラタは広場の隅にあるオベリスクのテッペンまでよじ登ってしまったのです。

 挑発のつもりか、尻をこちらに向けてペンペン叩いているではありませんか。


 オベリスクの石碑はハービィが修行で斬った楡の枝よりもさらに高く、しかも三角跳びをしようにも、ここは付近に壁すらない広場なのでした。

 ハシゴでもなければとても登れるものではありません。


 どうしたものか。

 途方に暮れかけた時、ハービィはふと何者かの視線を感じとりました。

 見やれば、タケウマ男が何かを訴えるような目でこちらを見ています。


 彼は丁度オベリスクとハービィに挟まれた地点、中間あたりに立っていました。

 そして、ハービィに背を向け、オベリスク目掛けてゆっくりと歩きだしたのです。


 彼もまた芸人として、発表会を邪魔されたのが我慢ならなかったのでしょう。

 ハービィは力強くうなずくと、その後を追って駆け出すのでした。


 ラタの奴は安全地帯に逃げ込んだ余裕からか、まるで明後日の方向……ライライが居る方へ向き直って、踊りで求愛行動をしている始末です。まるで孔雀かダチョウのようなダンスではありませんか。

 奴を放っておけば今後もライライにどんなちょっかいを出してくるのか知れたものではありません。


 ―― いくぞ、本番! 師匠、どうか力をお貸し下さい。


 心の中で念じながらハービィはひた走りました。

 遠巻きに観衆が見守る中、ハービィは大地を強く蹴って粉塵をまき散らしながら跳び上がったのです。

 オベリスクの傍で立ち止まるタケウマ男。ハービィはその背中を足場にして駆け上り、両肩から踏み切って古の石碑を飛び越えてやろうと目論んだのです。

 高さは充分、ラタが彼らに気付いて振り返った時はもう手遅れでした。



「ゴーカイ流体術、とび影落竜斬り!」



 不意をついた木刀の面打ちは見事ラタの額を直撃しました。


 ラタとハービィはもつれ合ってオベリスクから転落し、屋台の屋根でバウンドしてから地へと落ちたのでした。


 持ち主の手を離れたタンバリンも落下の衝撃で砕け、もう使い物になりません。


 ラタは額を打たれた驚きと激痛から、ハービィは背中を打った衝撃で息が詰まり、お互いがもう動けませんでした。中腰の姿勢で不動のまま両者の睨み合いが続きました。荒い呼吸音だけが両者の間を流れていました。


 やがて、そこから口火を切ったのはハービィの方でした。



「はぁ、はぁ、な、なんで、アンタはこんな事をするんだ」

「あん?」


 渾身の一撃をくわえたにも関わらず、ハービィの心に込み上げてきた感情は怒りでした。修行に取り組んだからこそ判る相手の実力、それに見合わぬふざけた態度。言わずにはいられませんでした。



「おかしいだろ? あれだけの腕前があって、俺よりもずっと強いのに、やってることは悪戯の泥遊びなんて」

「いいだろ別に、僕の勝手だ」

「よくない! そこまで強くなるのにどれだけ努力を重ねたんだ? それなのに! お前って奴は!」

「うるせぇな~! 僕だってさ、昔は真面目にやったんだよ。お前みたいに一生懸命やって笑われる側だったの。でも、現実は残酷で、薄情で、どうにもならないから、仕方なく笑い飛ばす側に回ったんだよ! 判れよ、それくらい」



 その声はラタらしからぬ神妙な響きがありました。

 ハービィは思わず兜の奥をのぞき込みました。

 面当ての奥で相手が泣いているような……そんな気がしました。


 でもそれは一瞬だけ。すぐにいつものお道化た口調に戻り、ラタは続けました。



「おっといけない。僕はサーガの悪役をやるのさ、詩人である彼女のためにね。こんなものはヒーローごっこだ」

「そんなの、おかしいだろ」

「いーじゃん。どうせこんな世界はいずれ滅びるんだから。それまで好きなことをして遊んだらいい。せいぜい楽しくやろうよ」

「なに?」

「いーか、お前に世界を救うのは無理だ。ハッキリ言ってやる。その仮面を育てて、お前がどんなに強くなろうとも、そんなの関係ないない! 災いの源は、誰であろうと どうにもならない。無理なモンは無理だっての!」

「なんだよ、その言い草。それじゃ……それじゃまるで」



 世界が滅びる原因を知っているみたいじゃないか。

 その想像は余りにも空恐ろしく、ハービィでは口に出す事すら躊躇ためらわれました。


 世界が滅びの危機にあるなんて、もしかすると勘違いからくる流言なんじゃないのか。あわよくば、そんなオチを期待していたのに。


 いずれ世界は滅びる。

 そう言い切られてしまうと会話に空白が出来、もう言葉が続きません。

 そんなハービィの様子が余程おかしかったのでしょうか。

 ラタは失笑すると、啓礼の仕草をしました。



「口を滑らせちゃったね。僕らの教団には『破滅の預言』があるってだけ。ただそれだけの話! 天眼さまがそう仰っているだけだから、実際は未来なんてどうだか知らないよ~」

「……!?」

「じゃあ、今回はこの辺で! チャオ!」

「待て、ラタ!」



 誤魔化すな。お前、何かを知っているんだろ?

 そんな質問の代わりに口をついて出たのは、こんな強がりでした。



「俺は、どんなに笑われても諦めないからな。滅べと言われて誰が従うものか」

「ああ、そう。じゃあ最後まで付き添って慰めの言葉をかけてやるさ」



 それが最後の会話でした。

 落とした如意棒がコロコロ転がって独りでにラタの所へ戻ってきました。

 それを拾い上げ短く縮めて尻尾にしまうと、ラタはもの凄い速さで逃げていったのです。


 残されたハービィは茫然ぼうぜんとするばかり。

 そんな彼の耳に届いたのは、ライライの歌声でした。


 噴水の傍らで美声を披露するライライ。泥の竜はそれに聞き惚れているようで、首を垂れ、そのまま溶けてしまい濁った水溜まりへとなり果てたのでした。

 真に優れた音楽の使い手は、妖精すらも魅了し、従えるものなのです。


 ―― やったのか? これで終わったのか?


 ハービィが立ち尽くしていると、遠くから拍手の音が聞こえてきました。

 振り返ればその音源は肩を貸してくれたタケウマ男です。落水した小石が波紋を立てるように、拍手はタケウマ男から広場に居合わせた大勢の市民へと広がっていったのでした。


 今度ばかりは嘘じゃありません。若き勇者をたたえる歓声は間違いなく本物。

 また一歩、ハービィは英雄に近づいたのでした。


 集まって来る観衆たちと、その先頭に立つライライ。

 その嬉しそうな笑顔を目にするとハービィは胸がいっぱいになってしまうのでした。ハービィが戦い、ライライが歌う、それを聞いてみんなが少しでも明るい気持ちを取り戻してくれるのなら……そして詩人である彼女が世間に認められるのならば、ハービィはいかなる苦難にも立ち向かうと心に決めたのでした。


 他人の夢を叶える為、少年を立ち上がらせたのは本当に小さな切っ掛けだったのです。その小さき希望が世界を救うか否か? それはどうぞ続きをお待ち下さいませ!

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