第三歌 洗濯女とカエル男爵の詩

第9話


 コンコドル広場での対決から一週間が過ぎました。


 皆が待ち望んだ大道芸の発表会。そこに文字通り水を差す泥の竜。

 暴れる竜を操るはタンバリン片手に大暴れするリス人間。

 敢然かんぜんと立ち向かい、打ち勝ったのは仮面を被った若き英雄。


 まったく出来過ぎた話です。

 物見高いパリっ子でなくともヒーローの正体は気にかかるもの。彼について知りたければパリエスの酒場を転々とする神出鬼没の吟遊詩人、ライチ・ライ・バクスターに歌をせびるしか方法がなかったのです。

 運よく彼女の演奏に耳を傾けることが出来たなら、その耽美たんびな歌声はあたかも現場に居合わせたかのような臨場感を伴って聞き手に英雄の活躍を伝えるのでした。

 例によってその物語は少々誇張されたものではありましたけれど。それだけに情熱的なパリっ子の心をとらえて離さなかったのです。何分、今とは違って娯楽の少ない頃でしたから……。

 仮面の英雄『アルカディオ・ハーン』

 その名はたちどころに芸術の都パリエスで皆に知られる物となったのです。


 歌い手が絶世の美女(自称)歌われるのが正体不明な仮面の英雄。

 この組み合わせはライライの目論見通り、大いに聴衆の好奇心を刺激したのでした。


 ……正体不明?

 そう、ライライは敢えてハービィの名を明かしませんでした。

 その方が「人の口にのぼりやすい」という狙いがあったからです。

 もしかするとハービィの所へ女性ファンが殺到してチヤホヤされないよう配慮したのかもしれません。

 いずれにしろ、名声が高まるのは「仮面の英雄アルカディオ」と歌い手であるライライのみ。中身のハービィはすっかり蚊帳かやの外、人気の絶頂にありながら彼をもてはやしてくれる者は誰も居ないのでした。


 元来、仮面のヒーローとはそういうものなのですが。

 事情を知るミアちゃんとオデオン師匠は面白くないのでした。

 発表会が終わって以来、水晶竜の宿屋はすっかり客足が遠のいて暇だったのです。

店のカウンターに頬杖をつきながらミアちゃんはすっかりオカンムリなのでした。


「お兄ちゃん、あれでいいの? 修行を頑張ったのはライライお姉ちゃんじゃなくてハービィのお兄ちゃんなのに」

「いいんだよ、あれで。役割分担ってものがあるんだから。取り巻きなんて修行の妨げになるだけさ。それに俺が質問攻めにあったら、迂闊うかつなことを言って皆を落胆させそうだし。ライライならきっと何を訊かれても上手く誤魔化しながらやってくれるはずだもの」



 ミアちゃんはどうにか納得したようですが、これまでは弟子のプライベートに口を挟まなかったオデオン師匠も、この件に関しては苦言をていすると決心したようです。



「その心がけは殊勝しゅしょうなものだがね、ソレガシもちと気にかかるな。少しだけ嫌な話をしてもいいかね? 仮に、だ……いつの日か君が戦いで倒れ息を引き取ったとしよう。そうしたら、君を失った彼女は次にどうでると思う?」

「どうするって……何です? 墓前で涙の一粒も流してくれるんじゃ」

「人の死は美談ではないよ? もしかするとライチさんは仮面を別の男へ渡し、すぐに同じことを始めるかもしれない。世界を救うなんて『仮面の中身』を誘う口実にすぎず、実は立身出世と金儲けにしか興味がないのかもしれない」

「まさか、そんな! 彼女はそんな人じゃありませんよ」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。君たち、知り合って間もないんだろう? そう言い切れるだけの判断材料を手にしているのかな? つまりは彼女の素性をどのくらい知っているのかという話なのだが」

「えーと、それは確かにあまり……」

「恋愛と戦争は常に最悪の事態を想定し、そうならないようこちらから先手を打っていくものだよ。チェスみたいなものだね。信頼は大切だが、裏付けのない妄信はあまりにもハリボテだ。彼女が知人からどう思われているか探ってみるのも手だよ」

「勉強になります……」

「大きなお世話かもしれないが、君を見ていると無鉄砲だった若い頃を思い出すのだ。人は誰しも恋愛でやらかすもの。転ばぬ先の杖だと思ってくれ」



 しかし、何分彼女は嘘つきなので。

 その嘘を純朴じゅんぼく少年が見破ろうとしても容易ではありません。

 ラタが口にした『破滅の預言』についても気にかかります。

 まだまだ修行で学びたいことも多いし、アルカディオの仮面を育ててもっと強くならなければ。そう、どちらにせよファンと戯れている時間など英雄にはないのでした。

 運命に選ばれた勇者であるならば、すぐさま次の事件が戸口を叩くものなのです。

 時刻は夜の八時を回っているにも関わらず、来訪者は叩きつけるように扉を開きました。



「オデオンさーん、大変なんだよぉ」



 息を切らせながら入ってきたのは、宿屋と専属契約を結んでいる洗濯女のメアリでした。

 洗濯女、皆さんには馴染みのない職業かもしれませんね。この時代に、洗濯機なんて気の利いたものはありません。洗い物はすべて川で手洗いなのです。そうなると洗い物もなかなかに重労働。専任の女性はそれだけで食っていけるほどに。

 クリーニング屋さんのご先祖さまのようなもので、当時としては一般的な仕事でした。

 ここ水晶竜のお宿では、長期滞在するお客様の服を預かって洗濯を代行するサービスも提供していました。

 それゆえに幼いミアちゃんだけでは手が足りず、他所の手を借りることも必要だったのです。


 まぁ一般的な職業とはいってもその身分が高いわけではないので、着ているドレスや被った頭巾は色あせてくすんでいるのですけれど。大切なのは中身ですよね。

 ソバカスがあって陽気なメアリは皆の人気者でした。

 そんなメアリが今晩は血相けっそうを変えて大慌てではありませんか。



「大変なのよ、オデオンさん。仲間のスージィが妖精にさらわれてしまったの。このままだと彼女、化け物の嫁さんにされてしまいそーなのよ」

「なんだ、なんだ、やぶから棒に。少し落ち着きなさい。ミア、水を一杯たのむ」



 実の所、こうした飛び入りの依頼は珍しいものではありませんでした。

 今でも剣聖オデオンを頼ってくる人は少なくないのです。

 そのおかげでオデオンやミアちゃんの対応もすっかり手慣れたものです。


 コップの水を飲んで一息ついたメアリの話は実に珍妙なものでした。











 全ての原因は、メアリの同僚であるスージィがとてもだらしない性格をしていることでした。

 スージィはカードゲームやギャンブルが大好きで、昼間から仲間と集まって酒を飲むことも珍しくありません。そんな時は仕事もほっぽらかし。それで迷惑をこうむるのは同僚のメアリたちなのです。

 洗濯女にギルドのような所属団体はありませんが、同じ河原で洗い物をするうちにいつしかグループが出来上がっていくものなのでした。スージィとメアリがくみする集団のボスは、ロザンヌという三十過ぎの女性で、彼女はこうしただらしなさにあまり寛容的ではありませんでした。

 ちゃんと彼女がさぼった分は洗い物を残しておき、深夜までかかろうと自分でやるように命じたのです。それでなくともその日はロザンヌが知人の執事長から請け負った大仕事があり、人手不足だったのですから当然の処置です。

 断ればもうロザンヌからお屋敷の仕事を回してもらえなくなるのは明白でした。

 そんなワケで、日が落ちたセイヌ川でスージィは単身洗濯をすることになったのです。

 自業自得ではありますが、メアリは放っておけず手伝ってあげることしました。

 何故って、彼女がギャンブルに勝った時はよくご飯をおごってもらったからなのです。


「まったく、もうすぐ夏だからって夜に洗濯なんてするもんじゃないわ」

「ゴメンって、謝っているじゃないメアリ。今度、男を紹介するから許してよ」

「いらないわ、貴方のお友達は浮気性な人ばかりなんだもの」


 洗濯板でゴシゴシゴシ。

 岩にのせた衣類を洗濯ベラでゴンゴンゴン。

 タライに入れたシーツを石鹼水にひたして足で踏み踏み踏み。

 その光景は皆さんの知る洗濯とは大分異なるものでした。


 普段は噂話や労働歌が飛び交う明るい職場ですが、夜中の川辺は流石に勝手が違いました。生暖かい風がぴゅうと吹いてきて、遠くで魚が跳ねただけでも気味が悪くて背筋が震えるほどでした。そこは、整備された街中のどろんこ橋よりもずっと上流の郊外。ガマの穂やアシが生い茂る緑多き岸部なのでした。

 メアリは顔を青くしながら率直な感想を述べました。



「夜というだけで、いつもの仕事場がこんなに不気味なんてね…」

「あら、セイヌ川にも怖い話は沢山あるわよ。たとえば、ホラ、流れてきた紫色の液体に触れたら全身が溶けてしまった人の話とか」

「やめてよ、スージィ! おしっこしたくなっちゃう。夜中に怖い話をしたら『良き人々グッドピープル』がやってくるって言い伝えを知らないの?」

「へん、妖精なんて怖いものですか」

「バカね、その名前を口にしてはいけないわ。あの方々が機嫌を損ねたら大変よ」

「おかしいの、世の中には妖精を怪物呼ばわりして退治しようとする輩もいるっていうのに。それに比べたら名前を呼ぶくらいなによ。本当に迷信深いんだからメアリは」



 『良き人々』とは妖精を示す異名なのです。

 噂をすれば影が差す、そんなことわざどおり彼らが陰口を聞きつけて馳せ参じたりしないよう敬称を用いて誤魔化すのが通例だったのです。もっともスージィはそんな決まり事を気にかけるタマではなかったのですけれど。


 そして、その手の不敬な輩には罰が下るのも古き時代からの伝統だったのです。

 ついさっきまで河原に居るのはメアリとスージィ二人だけのはずでした。ですが、いつの間にか少し離れた水際に別の洗濯女たちが集まっているのでした。

 その集団ときたら五~六人は居るのにまったく静かで誰もお喋りをしようとしません。黙々と岩へのせた服にアイロンをかけ続けています。アイロンは中に石炭を入れて温める方式で、すぐ近くにある火鉢で使う予定の炭を熱しているのです。その石炭が放つオレンジ色の光に、洗濯女たちの顔が浮かび上がります。

 なんと全員がのっぺらぼうではありませんか。

 目も鼻もありはしないのです。まるで畑のカカシみたいです。

 メアリ達が震えながらその光景を見ていると、やがて彼女たちの一人がこちらに気付いて指をさしたから大変です。

 ついで、口もないくせに互いの顔を見合わせて喋りだしました。



「人間だわ。こんなおぞましい夜に人間が洗濯してる」

「なんたること! 夜は私達の領域なのに」

「人間に見つかるなんて、ケロヨン様はお怒りになるわ」

「どうしましょう? 黙らせてしまう?」

「いっそのこと仲間に入れてしまいましょう。ケロヨン様は綺麗なお洋服だけでなく、美人の花嫁も欲しがっていたから」



 話がまとまった途端、彼女たちは一斉にこちらへ振り向くと言ったのです。



「どちらか一人、残りなさい。もう一人は見逃してあげるから」



 いったいどうしたら? 

 しかし、この問題に関して少しも悩む必要などありませんでした。

 メアリが相談しようと振り返った時、スージィときたらもう友達を見捨てて走り出していたのですから。


 メアリは開いた口が塞がらず、顔のない洗濯女たちも背後でゲラゲラ笑っていました。



「おやおや、御覧よ。変わった立候補の仕方じゃないの」

「あの上品なお嬢様は『良き人々』はそういうのが大嫌いと知らないようね」

「何故かしらねぇ、同族嫌悪って奴かしらねぇ……」

「お黙り!」

「じゃあ逃げた方をイジメませんこと? そうしましょうよ」

「それがいいわ、根性曲がりのケロヨン様には根性曲がりの花嫁がピッタリ」

「お黙りったら! でも悪くないアイディアだわ」



 顔なし洗濯女たちがうなずいて何事か呪文を唱えると、つる草が伸びて逃げるスージィの足へ絡みついたのです。派手にすっころんだスージィの所へ、顔なし洗濯女たちが滑るような速さで駆け寄ります。

 そして、御神輿おみこしみたいに嫌がる彼女を担ぎ上げると、一人がポケットからハンドベルを取り出してチリリンと振り鳴らすのでした。

 それが合図であったのか、川の上流から一艘いっそうの船がゆっくりと下ってきました。暗がりの中でも船首につけられたランタンの光でそうとわかるのでした。

 近づいてくると、それが二階建ての楼船ろうせんだということが見て取れました。岸部まで船を寄せると向こうから渡し板がかけられて、顔なし洗濯女たちとかつがれたスージィは瞬く間に板を渡り乗船してしまうのでした。

 メアリはただ去っていく船を眺めていることしか出来ませんでした。特に片付けをしていた様子もなかったのに、顔なし洗濯女が使っていた道具の類すら跡形もなく消え失せていました。

 全ては夢幻のごとく。『良き人々』は夜風と共に去って行ったのです。

 しかし、スージィがさらわれたのは紛れもない現実でした。











「……というわけなのよ。オデオン様なら何とかならないかと思って、そのまま此処へ駆けつけたんだけど」



 二杯目の水を飲み干してから、メアリはそう話を締めくくりました。

 けれど、いくら何でも相手が妖精ではオデオンとて安請け合いはできません。



「ふむ、貴族の息子が決闘ゴッコに興じているとか、そういう日常的な話であればどうとでもなったのだが。得体の知れない連中にさらわれた友達を取り返すとなればその道の専門家でなければ難しいだろうな」

「スージィはあんな子だけど友達なのよ、何とかなりません?」

「あの、横からスイマセン。何とかなりそうな専門家なら、心当たりがあるんですけど……」



 オデオン師匠に恩返しをするなら今しかありません。

 ハービィは遠慮がちに話を切り出したのでした。

 ライライは竪琴で泥の竜を追い返していました。彼女から預かったアルカディオの仮面にも見えざる妖精を見る力が備わっていました。

 きっとそこには何かしらの繋がりがあるのです。

 妖精について詳しいのは間違いなしでしょう。


 師匠の了承を得ると、ハービィはすぐライライへ連絡をとることを決めました。貝殻のコンパクトミラーを荷袋から出してくると、柄にもなく緊張してきました。

 大道芸の発表会以来一週間ぶりです。あるいはずっと連絡がなかったことに不満を口にしたり、可愛くすねてみせたりは……。



「えっ? 妖精の人さらい!? 行く行くー、良かったー! お客さんから新作はまだ出来ないのかって催促されていたのよ。助かるわー」

「おいおい、良くないだろ。誘拐されたのはメアリさんの友達なんだよ。ホラ、宿屋の洗濯物を頼んでいる彼女」

「あら? 本当? そうなんだー、前に同じ河原で洗濯をした仲だね。ロザンヌの姉御には昔から何かとお世話になっているし……他人事じゃないね。判った、すぐ行くよ」



 彼女みたいに可愛くすねる……そんなことは起こり得ぬことでした。

 本音は新しいネタが提供されたことに大はしゃぎのご様子です。


 ―― 別に、俺だって強くなりたいし、彼女の立身出世に協力するのはやぶさかでないけれど……。


 単なる仮面の中身、使い捨てのコマみたいに思われているのだとしたら少しばかり面白くありません。

 真相がわからぬことへの苛立ちや安っぽい男の矜持きょうじ、裏切りへの不安と恐れ。夢を信じ、前へ進むにつれて未知の感情が色々とハービィの心を悩ませるのでした。

 オデオン師匠に言われた通り、彼女の知人から話を聞いてみるべきかもしれません。


 さて、コンパクトによる通話からおよそ三十分後、水晶竜の宿屋にライライが急ぎやってきました。ハービィが事前に強く注意しておいたた甲斐もあって、被害者であるメアリの前ではライライも事件を歓迎する素振りなど見せず、専門家らしく振舞うのでした。

 まだ少し喋り方がご機嫌すぎるようにも見えますけれど。



「はぁーい、お待たせ。よく呼んでくれました。実の所、私ライライはドゥルド族出身の吟遊詩人。森の民であるドゥルド族にとって妖精はとっても身近な存在なのです」

「専門家って貴方だったの、ライライ? そんならスージィを助けられる?」

「安心してメアリ。地元の森じゃそんなことは日常茶飯事よ」

「そ、そうなんだ。ずいぶんと物騒な地元ね」

「妖精というのは異界からの訪問者なの。性質が悪い黒妖精たちの世界はスヴァルト・アールヴヘルム。頑固な小人たちの世界はニダヴェリールだとされているわ」



 オデオン師匠が話を聞いて微かに眉を動かしました。



「異世界か。やはり実在するのだな。しかも複数あるとは。その妖精たちはどうやってこちらの世界にやってくるのかね?」

「円を描くように生えたキノコの真ん中や、枯れ木のウロなんかに、妖精しか知らない秘密の抜け穴があるのだと聞いています。もしくは満月の晩にチョークで壁に扉を描くと、妖精界への入り口が開くのだとも」

「ロマンチックな話だが、満月まではまだ日があるぞ?」

「実際に妖精界へ行き、戻ってきた人間の話はほとんど残っていないんです。それはちょっと森の民でも無理。ですからドゥルド族の冴えたやり方は妖精の方から来てもらった上で、交渉するんです。彼らは音楽や踊りといった人間の芸が大好きなので住処の近くで演奏すると我慢しきれずに出てくるんですよ。召使を連れ船まで持っているような大所帯なら、まだこちらの世界に隠れているんじゃないかしら」

「妖精界まで逃げられたら手の打ちようがないということか、急いだ方がよさそうだな」


 師匠とライライの話を聞いている限り、今回はライライが主役でハービィの出番はなさそうに思えました。台所ではミアちゃんが腹をすかせたメアリとライライの為に夜食を作っているので、そっちを手伝おうかな……そんなことを考えながら席を立とうとしたら、後ろから肩をつかまれ強引に席へ連れ戻されました。

 やったのはもちろんライライです。



「ちゃんと、聴く! これは君の英雄たんなんだぞ」

「ああ、悪い。でも出番ないだろ?」

「もう! 判ってないなぁ! 妖精は芸が大好きなの。武芸だって芸のうちでしょ」

「うん? そうなの? そういうもの?」

「ちなみにドゥルド族が妖精と交渉する際は『女性の奏者に男性の護衛をつける』習わしになっているの。こう言ったら君がやる気になるのかな? なら言ってあげるよ。ちょっと恥ずかしいけど……君が私のナイトだ」



 両手の人差し指をモジモジこすって目を逸らしながら言われても……いや、効果は抜群なのでした。安い矜持きょうじやありがちな疑惑など何のその。悲しいまでに男のサガは単純明快、オデオン師匠もサジを投げるしかありませんでした。



「やれやれ、こればっかりは指導しようがない……」











 真夜中のパリエス、郊外の河原に竪琴の音色が響きます。

 夏の始まりも近いこの時期、夜気はもう肌に心地よいぐらいで外套コートなどまったく不要でした。上天を見やればそこには薄くたなびく雲があり、その隙間で輝く星々も相まって音楽会を催すには最適の環境でした。

 なるほど、これなら妖精たちも我慢しきれずに出て来ようというものです。


 セイヌ川の岸辺に転がった適当な大きさの平べったい岩。そこに腰掛け、両目を閉じて一心に弦を鳴らすはライライです。その傍らに立つのはハービィとメアリのみ、オデオン師匠は気を効かせ辞退して下さったのです。

 妖精を招く時は人間の数が少ないほど成功しやすい。

 ライライがそう言った結果なのですが、お陰でナイト役のハービィは口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張していました。なんせ事前に仮面を被っておくことすら忘れてしまうくらいでしたから。

 懐から仮面を取り出しかけて、ハービィはそこでメアリの存在を思い出しました。


 一応ですが、アルカディオの素顔は秘密という事になっているではありませんか。



「あの、これから目にすることはくれぐれもご内密に」

「あーら、アルカディオの仮面じゃない? 貴方が正体だったのね。まぁ、彼女ったら貴方のことをやたら気にかけているし、多分そうだと思ったけど」



 コレ、正体を伏せておく意味は何かあるのでしょうか? わざとらしくトイレに行くフリでもしてから、コッソリ被るべきだったのでしょうか?

 いずれにせよ済んでしまったことです。

 気まずい空気の中、ハービィが仮面を被ると当たりの光景が一変しました。


 なんと、周囲にはもう見えない小妖精たちが集まっていたのです。

 泥ナメクジや、小鬼。背中はハリネズミのようだが顔は猫の怪生物。ヒトデのように這いまわるもの。人間界では見かけない連中が遠巻きにライライの演奏を聴いているのです。



「マジかよ……メアリさんあまり離れないで。奴等はもう来ている」



 ハービィが黒塗りの木刀を抜いて構えると、川の上流から鐘の音が響いてきました。現れた楼船ろうせんは二階建てで、メアリに聞いた通り人間界の洗濯船とそっくりでした。


 洗濯船とは、セイヌ川及びその分流を水路として利用し、より広範囲のお客様から仕事を受けられるようにした洗濯業界の革命児です。

 それは正に「動くコインランドリー」さん。その移動力と積み荷の運搬力は旧態依然の洗濯女では太刀打ちできぬものでした。二階には物干し竿が何本も並び、川の風で洗い物を乾かせるよう出来ているのです。されど、普通の洗濯船が夜中に漕ぎ出すことなどまず有り得ません。

 船首についた二つのランタンが大蛇の瞳みたいにこちらを睨みつけていました。

 川辺に寄せられた船、かけられた渡し板。

 何者かが船を降り河原に降り立つのと、ライライの奏でる曲が終わったのはまったく同時でした。降り立った人影は羽根飾りのついた帽子を脱ぐと、丁寧に会釈をしてから口を開きました。その、耳まで割けた大きな口を。 



「おや、もうオシマイなのか? ミイのハートを鷲掴わしづかみにしておきながら、これで終了とは。歌姫は生殺しがお好きと見える」



 キザったらしい喋り方をするのは、体がヒト、頭がカエルの蛙人間でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る