第7話



 決して届かぬ高所の枝に剣を届かせるには?

 師匠から出された課題の答えを求めてハービィは延々と跳ね続けました。

 なんせたった一晩でやり遂げるように言われているのだから休む時間などありません。


 憎むべきはノッポなにれの木です。何度も何度も地面の線から跳躍して虚しく木刀を空振りするだけのハービィ。そんな彼をすました顔で見下し続ける巨木は、相当なサディストに違いありません。


 しかも、当然ですが失敗を繰り返すほどに疲労はたまっていきジャンプは低くなる一方なのでした。とうとう息が切れて、宿の裏庭でハービィは大の字になってしまいました。


 するとそこへ、諦めの悪いハービィを気にかけたのか、師匠の娘であるミアちゃんが進捗状況を見に来ました。



「お兄ちゃん、今日はもう休んだら?」

「いや、今の俺には寝ている暇なんか……イテテ、太ももがパンパンだ」

「ほーら、見なさい。だいたい無茶なのよ~。たった一日で何ができるの。どんな特訓をしようが、そんなすぐ成果が出るわけがないもん。そんなことやらせるお父さんがおかしいんだわ」

「……言われてみると確かにおかしいね。いや、ミアちゃんのお父さんじゃなくて、出来るわけがないことをくり返している俺の方が……あまりにもおかしい」



 子どもの素直な目線から指摘を受けて、ハービィはとうとう気が付きました。

 オデオン師匠が自分に求めているのはまったく別の事だと。


 課題を出す時、オデオンは何と言っていたでしょうか?

 戦場で危機を脱する為には、視野を広く持つことが大切なのだと……確かそのような話をしていたはずです。その重要性がピンとこなかったハービィを諭すべく、新たに課されたのがこの修行です。


 ―― つまり、俺が見落としているとんでもない解法があるってコト?


 ハービィは野原で胡坐あぐらを汲んでウンウン悩み始めました。

 ミアちゃんはそんなハービィが心配で仕方ない様子です。



「真面目ね、お兄ちゃんは。悩んでばかりいないで、もっと周りを見たら? 世の中には楽しいことや素敵なことが沢山あるのよ」

「そうだねぇ、俺の『楽しい』は少し皆とは違うのかもしれないな」

「その分じゃ、来週の十三日が発表会なのも知らないんでしょ。街の人はみんなアレを楽しみにしているのよ? ミアが案内してあげようか?」

「発表会? 演奏会かなにか?」

「ちがーうの、大道芸。音楽の月もあるけど、今月は大道芸。町中の芸人がコンコドル広場に集まって、鍛えた技を見せてくれるのよ」

「へぇ、そりゃ面白そうだ。でも、今はそんな気になれないよ」

「仕方がないお兄ちゃん! そこいらの草むらを見てよ、虫たちがそんなにいつも悩んでいるかしら」

「はは、そりゃそうだ」



 ちょうどそんな話をしていた時、一匹のバッタがぴょんと跳び上がってハービィの肩へとまりました。驚いたハービィがちょいと肩をゆすると、そのバッタはすぐに住処の草むらへと逃げ戻りました。

 本当に何でもない、それだけのことだったのですが。


 それを見た瞬間、ハービィの頭にある閃きがあったのです。



「あっ! そうかぁ! そういうことか!」



 見つかった答えのシンプルさに、腹の底から笑いが止まりませんでした。

 いきなり笑い出したハービィをミアちゃんは怪訝けげんそうな顔で見るばかり。

 ハービィは疲れなど吹き飛んでしまったかのように元気よく立ち上がりました。



「よーし、あとは実行するだけだな。ありがとう、ミアちゃん。でも、ここからまだまだ長くなりそうだから、君はもう休んだ方がいい。また明日ね」











 そして翌朝のこと。

 オデオンが日も上る前から起き出して稽古けいこ場の様子を見に行くと、ハービィが息も絶え絶えな憔悴しょうすいしきった姿で楡の下に座っていました。



「おいおい、一晩中やっていたのか? その情熱は買いたい。だがね……」

「いや、師匠の伝えたいことはきっちり受け止めたつもりです」

「……ほう」

「だから、答え合わせをお願いします。俺に三分だけ時間を下さい、一発で決めますから」



 師匠は無言のままうなずき、ハービィはユラリと立ち上がりました。練習用の木刀も今や杖がわりの有様でした。

 汗まみれ、埃まみれで、ハービィの姿は雑巾みたいにボロボロなのに、その両目だけは未だ強い光を宿しているのでした。

 深呼吸をして最後の気力を振り絞ると、ハービィは楡の木から少し距離をとって走り出したのです。



「うぉおおお!!」



 明け方に何とも近所迷惑な雄叫びを発しながら、全力疾走。そのまま、地面に引かれた白線を踏み切ってハービィは跳んだのです。それも真上の枝ではなく楡の巨木めがけて。

 体のバネをフル活用した全身全霊のジャンプ。

 それは、タックルで巨木を砕かんとする勢いでした。その勢いを殺さぬまま楡の太い幹を足蹴して反転、ハービィの体は更なる飛躍を見せるのでした。放物線を描くその軽やかさはまるで羽根のようでした。

 大木を利用した三角跳び。

 それこそが絶対に届かぬ高さへ武器を届かせる唯一の手段だったのです。


 カァーン!!


 空中で振り切った上段斬りは、見事に高所の枝を揺らしたのでした。

 木刀が当たった確かな証拠として、枝は揺れ、落ち葉が数枚舞い散っていました。その一枚をオデオンは指二本でキャッチすると、ハービィに示してやるのでした。



「見事だ、ハービィ君」

「あ、ありがとうございまーす」



 ハービィときたら、枝へ武器を当てることに全神経を集中していたものですから、着地に失敗して受け身もとれず地面をゴロゴロ転がって目を回していました。

 格好はよろしくない。ですが、確かに与えられた課題を一晩でやり切ったのでした。オデオンは満足気に微笑みました。



「戦場に存在するあらゆるものを足場となし、縦横無尽じゅうおうむじんに駆け巡る。これぞゴーカイ流の体術その一、名付けて『とび影』なり」

「と、とび影」

「君は誰に教えられることもなく、みずからの考えでそこに辿り着いた。柔軟な思考と広い視野、それこそが勝利の秘訣ひけつなのだ」

「今度は……何となく判った気がします」

「とび影の派生技はまだまだある。君はもっと速く、高くまで飛べるはずだ」

「はい!」

「それでは……ちょっと待っていたまえ。報酬のアメ玉を持って来よう」

「へ?」



 飴玉というのはもちろん比喩です。

 オデオンが物置きから引っ張り出してきたのは黒塗りの木刀でした。

 柄の部分には滑り止めのサラシが巻かれ、ツバの部分より可愛らしい双葉の芽が一本生えている以外は至って普通に見えました。受け取ってハービィが木刀の柄を握ると、あつらえたように掌へ吸い付き、あたかも昔から自分の持ち物であったような懐かしさすら感じるのでした。

 そして、心なしか懐にしまった仮面が共鳴して震えたような……そんな気がしたのです。

 ハービィはその風変わりな木刀について尋ねずにはいられませんでした。



「師匠、これはいったいどんなイワクつきの代物なんです?」

「本当かどうかは知らないが、何でもその木刀は世界樹の枝から作られているそうだ。恐ろしく頑丈で本物の剣と打ち合っても傷ひとつ負わない。君なら役立ててくれるだろう」



 世界樹というのは別名「宇宙樹」とも呼ばれる大木のことです。様々な神話や伝承に登場するその樹木はこの世界そのものよりも大きく、その根や枝はまったく別の世界まで伸びているそうなのです。

 ハービィもそんな話を耳にしたことがありました。もっとも彼は世界樹を単なるおとぎ話だとしか思っておらず、それについて深く考えたことなどこれまで一度たりともありませんでした。



「世界樹、本当にそんなものがあるんでしょうか?」

「わからん。だが一説によれば、ソレガシの退治した水晶竜も世界樹の枝を伝ってこの世界を訪れた『別世界からの侵入者』だという。少なくとも、この世界で奴の同種族や逸話はこれまで一度たりとも見つかっていない。この木刀も調査隊と訪れた水晶竜の巣で拾ったものだ」

「へぇー、別の世界。もしかすると、この木刀もそこで作られたものかもしれませんね」

「あるいは、世界の異変に関わるものかと思ってな……本気で災厄の中心に向かっていくのなら持っていくと良い。娘の居る私には、とてもそこまで引率いんそつしてやることなど出来ぬ」



 ハービィは世界樹の木刀をベルトに差すと決意も新たに言ったのです。



「心遣い感謝します。師匠の教えを活かして、必ず生き残ってみせます」



 そんなことを話していると母屋から寝間着姿のミアちゃんが出てきました。



「あー! 課題終わったのね! じゃあ遊びに行こう。大道芸、きっと面白いよ」

「いや、あの、修行が全部終わったわけじゃなくてさ」

「実は、その発表会が原因でウチの宿もしばらくはかき入れ時なのさ。ミアを遊びに連れて行くことも出来ずに困っていたのだよ。君が付き合ってくれると、とても助かるのだが」

「師匠……」



 修行はあくまで個人的な指導。一宿一飯の恩義はしっかり労働で返さねばなりません。

 ハービィは宿屋の営業を手伝って(そこから宿泊代を差し引いた)賃金を得るかたわら、修行に精を出すのでした。まったくもって目が回るような忙しさでした。されど、学ぶことや得ることもそれだけ多く、その日々は非常に充実していました。


 実はライライもちょくちょく宿に顔を出しては、大量の洗濯物を片付ける手伝いをしてくれたのですが……何分、セイヌ川の洗い場は女性の領域なのでハービィにはそこで何の話をしているのか見当もつかぬのでした。

 ただ、何度か行動を共にしただけでミアちゃんからお姉さんのように慕われている様子には感心させられるばかりでした。

 けれど、洗濯物を取り込むライライがリス怪人に付け回されて困るとボヤいていた点だけは少しばかり気になりました。

 奴はまだハービィ達の身近に潜んでいるようです。


 そして、ミアちゃんが楽しみにしている発表会の日がやってきたのです。



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