第6話



「なぁなぁ、なぜ橋が壊れている。何が起きたんだよ?」

「あのリスは、コイツが壊したって言ってたぞ」

「どうもー、お待たせしました。パリエス衛兵隊のものです。ちょっと詰所で事情聴取をしたいのですが。任意同行をお願いできますか」



 なんということでしょう!

 少女の涙をぬぐうべく、橋を不法占拠する輩に挑んだというのに。

 何時の間にかハービィの方が犯罪者扱いをされているのでした。


 すっかり不貞腐れて言い訳をする気も失せたハービィは、最早そのまま街の衛兵に連れていかれ牢獄にぶち込まれるだけかと思われました。

 しかし、思いがけず 助け船を出してくれる人物が現れたのです。



「まぁ、待つんだ。ソレガシが見た所、その少年は少しも悪くない。橋が壊れたのは、あのリスが持つ武器と技量が凄かったからだ。しかも、あの傘屋は大勢の人に迷惑をかけていたのだろう? どう考えても追いかけるのはあちらの方ではないかな」



 野次馬を割って入り、口を挟んだのは眼帯で片目を隠したいかつい中年男性でした。ハービィよりも頭一つ背が高く、鷲鼻と白髪交じりの髪が歴戦の古強者であることを物語っていました。

 余程有名な人なのか、衛兵たちが完全にかしこまっていました。



「剣聖オデオンさま。ご無沙汰していました」

「貴方ほどの御方がそうおっしゃるのなら、間違いないでしょう」


「すまないね。さあ皆の衆も、疑うのはそれくらいしてやってくれ」



 ちょっと男性が口を利いただけでガラリとハービィの待遇が変わりました。

 質問攻めから解放され、ようやくハービィは一息入れることができました。まずは何がともあれ眼帯の男オデオンへ礼を言わねばなりませんでした。



「ありがとうございます。お陰で助かりました」

「とんでもない、むしろ礼を言うのはこっちの方だ。娘のためにハンカチを貸してくれたのは君なのだろう? 銀髪の少年よ」

「ああ、ミアちゃんのお父さん?」

「娘に泥をかけた連中を懲らしめてやろうと意気込んで、物置きから昔使っていた聖剣を引っ張り出してきたんだがね。みごと君に先を越されてしまったというわけだ」



 なるほど、オデオンの背には何やらゴツイ剣が担がれていました。

 剣聖と呼ばれていたからは余程の伝説を持っているのでしょう。



「すごい剣ですね。なんか俺、出しゃばって余計なことを……」

「とんでもない。ソレガシなんぞ、とっくに引退したロートル剣士よ。今ではしがない宿屋のオヤジさ。それにしても君は泥だらけで酷い有様だな。その服装、旅人かね? どこに住んでいるんだ? 着替えはあるのか?」



 質問の答えは全て「いいえ」でした。

 諦観が顔に出ていたのを読まれてしまったようです。

 オデオンは返答に困ったハービィの肩に手を置き、優しく自然に言ったのです。



「娘も君に会いたがっていたし、良ければウチへ来ないか?」

「いや、そんな。迷惑でしょう?」

「構わんよ、君さえよければな。それに、失礼ながら先ほど橋の上で見せた君の太刀筋は、あまり褒められたものではない。あのリス怪人とどういう関係かは知らんが、奴に立ち向かうというのなら……微力ながらソレガシも助けになれると思う」



 それは宿や着替えの件よりも遥かに魅力的な提案でした。

 あの人間離れした跳躍力や破壊力を目の当たりにして内心うちひしがれていたのです。もしあの化け物が再び現れたら、今のハービィに何が出来るのでしょう?



「お、お願いできますか?」

「おう、勿論だとも。君を見ていると若い頃の自分を思い出すよ。若き戦士よ、名前はなんという?」

「ハービィです」

「よし、ハービィ。ではまず詳しい事情を聞かせてくれないか」











 さて、一方その頃ライライはどうしていたのかと言えば……。

 せっせと自室の掃除を行っていました。

 さっきはついハービィを追い払ってしまいましたが、流石に自分から旅に誘っておきながらそれはマズイだろうと反省したのです。


 ライライの自室兼アトリエは、モンマルトラの丘を流れるドブ川ぞいの小さな家です。二階建てですが一階は別の人が借りているので、今でいうシェアハウスのような扱いなのです。

 二階へ直通の階段が表に付いているので、間借りでもこれといって不便はないのでした。


 時刻はそろそろ夕方、茜色の窓に紺色が差してくる頃合いでした。

 そう簡単に清掃作業は終わりません。客を上げられるほどに部屋を片付けるのは大変なことです。


 いつも留守にしがちだというのに、どうしてこんなに部屋が汚れるのか? 彼女自身も不思議で仕方がないのですが、悩んでいる暇はありません。すぐに日が暮れ夜になってしまいます。一晩とはいえハービィに野宿をさせてしまえばライライへの印象は大分変わるでしょう。


 ライライは部屋中に散らばった紙屑を拾ってはゴミ袋に詰めるのでした。書き損じの詩の原稿や、飲み屋の請求書、酒場で演奏をしていると必ず現れる口説き野郎の寄越した恋文。そんなものが屑カゴからあふれて床へ散らばっているのでした。

 それから、酒場のおじさんが好意でくれたから 頑張って呑みほした酒の空瓶も目につきます。あとは部屋の隅には付き合いのある貴族からの贈り物。こちらは未開封のものばかり。

 この際だからドンドン捨てるか、売り払うか、してしまいましょう。

 初めこそ片付けが終わったら女性らしく部屋を飾ろうかなどと考えていましたが、そんなことをしていたら何日かかるか知れたものではありません。


 ―― 床に寝るだけのスペースを作ったら、あとは衝立ついたてで仕切ればそれでいいかな?


 ライライが妥協案に甘んじようと決めかけたその時でした。

 コンパクトがブルブルと震えて着信を知らせているではありませんか。


 

『あっ、スゲェ! 本当に映った。ちわーっす、ハービィだけど、今夜泊まる所が決まったので一応連絡しておこうかなと思って』

「はぁ? お金、大丈夫なの? 持ち合わせがないと言ってたじゃない」



 せっかく部屋の片付けがひと段落つきそうだったのに、宿泊予定がキャンセルでは面白いはずもありません。ライライはむくれて頬を膨らましたのです。

 しかも、ライライのコンパクトに映ったのは仮面を被ったハービィの姿ではありませんか。



「なんで仮面を被っているのかな? もしかして何かあったの?」

『あっ、イケネ。外すのを忘れてた。うん、そうなんだ。リスの化け物が悪さをしていてさ……これからその件で助けたミアちゃんの家に泊めてもらうことになって……』



 ライライは何気なく口に含んだ水筒の中身を思わず吹き出してしまいました。



「ガハッ、げほぉ! はぁ? 何それ。ちょっと誰なの、その女は。なんでいきなりそっち方向に話を進めているのよ」

『いや、その、これも修行だって放り出したのはそっちだろ?』

「そうじゃなくて! 冒険したり、誰かとロマンスをするなら、ちゃんと私に言ってよ」

『ええ!?』

「私もその場面を見てネタにしたいじゃない。いい? 勝手にロマンスするのは禁止。事前にちゃんと断りを入れてよね!」

『……なんつーか、その、君が「人を愛せない」と言った意味が判った気がする』


 ハービィの一言でライライは落雷に打たれたような衝撃を受け、固まってしまいました。コンパクトの向こうで相手が何か言っているようですが、もう耳に入りませんでした。

 すると不意に鏡の映像が乱れ、右目に眼帯をした鷲鼻の男性が映ったのです。

 彼は咳払いをすると、驚くライライに話しかけてきました。



『オホン、何か誤解があるようだが、娘はまだ十歳なのでな。ロマンスはお断りだ』

「……あれ、貴方はもしかして剣聖オデオン様?」

『おや、ご存知だとは光栄だね。彼はしばらくウチで預かることにするよ。用があったら水晶竜の宿を訪ねてきたまえ』

「それって、もしかして修行をつけてくれるという事ですか?」

『そこまで本格的なことを教えるつもりはないがね。まぁ、型にはめてしまわない程度に。東洋のことわざにこんなものがあるそうだ。少年老い易く学成り難し、困難な道を行かせるつもりなら備えは早い内にしておくべきだ。そうだろう?』

「あっ、はい。お願いします。色々と娘さんに失礼なことを……すいませんでした」

『三日で見違えるようにしてみせるよ。楽しみにしていたまえ! はっはっはっ』



 豪放磊落ごうほうらいらくな笑いを残してコンパクトの映像は消え、鏡には戸惑ったライライの顔だけが映されていました。

 それにしても、たったの半日で住む家と師匠まで見つけるとは何という豪運でしょう。


 ―― どうもあの子は考えが足りなくて行動も無茶苦茶なんだけど、それでもガムシャラに動いていく中で自然と道を切り開いてしまう吸引力を持っているようね。


 運命を引き寄せる手段を心得ているというべきか。

 何もオデオンの事だけではありません。

 ライライは先ほど味わった奇妙な胸のモヤモヤと、それをアッサリ自分から引き出したハービィに感心していたのです。もしかして、あれが皆の言う嫉妬って感情ではないのでしょうか?

 ロマンスをネタにしたいから勝手にするな……なんて、いかにも男性を独占したい気持ちが先走った大嘘ではありませんか。


 ―― おぉ! 今度ロマンスを歌う時は、もっと艶っぽく歌えそうね!


 発露した嫉妬の感情を恥じるどころか喜んでいる時点でちょっとおかしいのですけれど。今のライライは芸術に魂を囚われているので、そこまで想いは至らないのです。


 そして、妙ちくりんなライライを、遠くから眺めている妙ちくりんな影がひとつ。

 通りを挟んで向かいの屋根に寝そべり、足をパタパタさせているのはリス人間のラタ・トスクでした。騎士の兜に隠れて判りませんが、面当ての下では恍惚こうこつの表情を浮かべているようでした。



「あぁ~美人だな~。あんなにも可愛い娘のためなら、僕は喜んで悪役になるんだがなぁ。良い悪役が居てこその英雄譚だろうに。それを察してくれる人はこれまで誰も居なかったんだね、可哀想に。でも、もう心配いらないよ。ここに僕がいるからね」



 ブツブツ独り言を呟いて自分に酔いしれている暇があれば、さっさと声をかければよいものを。

 どうしてもラタにはその踏ん切りがつかないのでした。



「こんなに醜い姿でなければ仲良くなれたんだがなぁ……どうしてあんな英雄気取りを選ぶのかね、解らないなぁ」



 本当にわからないの? それって容姿以前の問題じゃない?



「主役が奴だというのは気に入らないけど、君の物語を完成させ、有名な詩人になるのを手助けしてあげるからね」



 やがてラタが寝そべっている屋根が衝撃でドンと鳴りました。

 階下から棒で突かれたようです。

 そう、真下の住人よりクレームが入ったのでした。



「こらっ、うるせーぞ。人の家の屋根でブツブツ言うな」

「あっ、はーい、ゴメンナサーイね。通りすがりの恋わずらいだから、気にしないでね~」



 素直に謝れるのはとっても良い子?

 いえいえ、何ともはた迷惑で困った奴なのです。











 厄介者がライライに見れていることなど露知らず、ハービィはその日から激しい修行に励んでいました。

 彼がお世話になっているオデオンの宿は、セイヌ川の東部マレ地区の一画にありました。マレとは沼地を表す古語で、かつては湿地帯だった所が整備されて貴族の館や商店街がつくられた地区なのでした。「水晶竜の宿」として旅人に知られたその店は、暖炉の上に飾られたクリスタルドラゴンの首が有名で、それこそ主人であるオデオンの武勇を示すものでした。建物自体は木造りでなんとも素朴な雰囲気ですが、主人の機嫌さえよければ剣舞や奥義披露といったパフォーマンスも見られるのでその道を志す者からも人気がありました。

 娘のミアちゃんから聞いた話によると、何でも昔は弟子をとって剣の道場をやっていたのですが、あまりにも道場破りの多さに辟易へきえきし、妻が病気で亡くなった折に彼女の実家である宿屋を継いだそうなのです。


 ハービィの修行場はそんな宿屋の裏手にある野原です。

 奥ににれの木がポツンと一本生えた手入れの行き届いた広場で、打ち込み用のカカシや弓道の的場まとばにあるカスミ的などが設置されているのです。

 ハービィも初めはそのカカシや、楡の木からぶら下げたボールを相手に打ち込みをやりました。打ち込みこそ剣技の基本。まずは基本的な型を体に沁み込ませる為、動かない人形に木刀で何度も繰り返し斬りつけるのでした。それに慣れてきたら次は動くボールが的になりました。一度斬りつけると反動で揺れるため、連続で続けるには跳ね返ってきたボールをかわしながら、動きを予想して木刀を振るう必要がありました。

 師匠であるオデオンは、剣術の型を教えてくれたり、それが崩れてきたら警告してくれたりはするのですが、基本的に放任主義で訓練内容はハービィの好きにやらせるのでした。

 というより、宿屋が忙しくて付きっきりの指導など出来なかったのです。

 ですが、二日目の晩のこと。遂に師匠はハービィを呼びつけて言いました。いつもより厳しい口調がやけに印象的でした。



「良いかな、我が『ゴーカイ流』は自立、自戒、自重の『三自さんじ』を旨とする。要はテメーのことぐらいテメーで面倒を見ろって話だ。戦場じゃ誰も助けてなんかくれない。自らピンチを打開出来なければ死ぬ。シンプルにそれだけだ。ここまでは判るな、ハービィ君?」

「はい、師匠(それって全然、豪快じゃなくない?)」

「君には友達が貸してくれた魔法の仮面があるようだが、うぬぼれてはいけない。ソレガシの見立てではその仮面が育つまで君の体の方がもたないだろう。体格や技量うんぬんを言う以前に、考え方が甘っちょろいからだ」

「やっぱり、そうなんでしょうか……」

「バカもの、甘いと言われたら『甘くねぇ』と怒るもんだ。敵に舐められてどうするんだ。戦場には審判なんて居やしない。使える手札をフル動員して何が何でも生き残れ。常に視野を広く保ち、どれほど些細な情報でも見逃すな。何が生き残りのカギになるかわからんぞ」

「は、はい」

「うーん、どうも判っていないようだな……なら、これをやってみなさい」



 オデオンはハービィを楡の下まで連れていき、木刀で地面に線を一本引きました。それから頭上の枝を指さしながらこう続けるのでした。



「この線からジャンプしてあの枝に斬りつけてみなさい」

「ええ!? 五メートル以上ありますよ? 届くわけありませんよ」

「そうかな、ソレガシが斬り落としたクリスタルドラゴンの首はもっと高かったぞ。それに君の敵であるリス野郎の跳躍力を思い出してみたまえ。もっと高く跳んでいなかったかな? それに対抗するには君の機動力を高めなければ勝ち目はない。何も剣を振るう場所は地面の上だけとは限らないのだよ」

「で、でも、いきなりこの高さは……」

「戦場は君が強くなるまで待ってなどくれない。この程度の無茶も出来ないようなら、今すぐ彼女に仮面を返して謝るべきだ」



 参考までに述べておくと、垂直跳びの世界記録は百二十九センチだそうです。

 ハービィの身長がおよそ百七十センチ。木刀の長さが百センチ。合わせて四百センチ程度で世界記録保持者だろうと届かないのは明白なのでした。

 楡の巨木は余りに大きく、幹から突き出た目標の枝すら一番下なのです。


 ですが、ハービィはライライと旅をして歌に残るような英雄を目指すと決めたのです。それに、実現不可能な課題をギデオン師匠が出すとはどうしても思えなかったのです。



「わかりました、やってみせます!」

「よし、このくらいは一日でやろうな」

「うへぇ! し、師匠」

「ゴーカイ流は飴とムチ。出来たら報酬があるから頑張るんだぞ」



 真に人生は「少年老い易く学成り難し」なんせ世界を救って歌になろうという人材ですから。そこに甘えなど許されるはずもなかったのです。

 果たしてハービィはこの修行を乗り越え、戦場で生き抜く術を身につけられるのでしょうか?



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