第二歌 どろんこ橋の詩

第5話 


 さて、リトルマッジの村を旅立った二人はどこへ向かったのでしょう?

 村から三日ほど街道を南東へ進んだ大都会、芸術の都と呼ばれるパリエスにその答えはありました。


 なぜ芸術の都と言われているのかですって?


 パリエスで最も標高の高い「モンマルトラの丘」には素朴なレンガ造りの工房アトリエが軒先を並べ、そこでは芸術家の卵たちが夢を追いかけて日夜活動に励んでいるからなのでした。


 詩人、画家、劇作家、錬金術師、ダンサー、役者、大道芸人などなど。彼らは街中で様々なパフォーマンスを行い、道行く人達から拍手と理解を求めたのです。

 そんな芸術家たちが必要とする相手は何も観客のみならず、資金やコネを提供してくれるパトロンもまた彼らの欲する者であったのです。貴族たちも、おのれの裕福さを示す一種のステータスとして(才能のある者には)援助を惜しみません。劇場や展覧会で子飼いの作家が活躍すれば、パトロンもまた鼻高々だったのです。現代でいえばスポンサーのようなものでしょうか。


 そんなわけで、いつしかこのパリエスは芸術をたしなむ上流階級と若き夢追い人が集まる街となったのでした。


 では、二人の物語と芸術の都にどのような繋がりがあるのでしょう? 

 ライチ・ライ・バクスターことライライ。彼女もまた詩人であることを思い出して下さい。そう、実はライライの拠点であるアトリエと、彼女に援助を惜しまぬパトロンの別荘もまた この街にあったのです。



「ライライにパトロンがいるって……その、あのさ、パトロンって年上の恋人ってことなんじゃ……」

「ちがーーう! どうも発想が下品だな、君は。男だらけの傭兵あがりはそんなもんか」

「はぁ、どうもすいません。んで、実際のパトロンって違うの?」

「デリカシーないなぁ、君は。パトロン本来の意味は『後援者・支援者』しかないから、その言葉! まーね、裏では若い女性がそのまま貴族の愛人になっちゃったりとか良くある話らしいけど。私はないからね、そういうの。オヤジは生理的に無理……じゃなくて私にはやる事があるから」



 パリエスの街に着いたライライとハービィは、飲食店で日当たり良好な席をとり仲良く駄弁っておりました。愛想笑いを浮かべたウエイトレスが食器を下げに来ても図太い二人は席を立とうとはしませんでした。

 ハービィからすれば、英雄の冒険といえば洞窟や廃墟を探索するものだと決めつけていたので かくも華やかな都会に連れてこられた理由を知りたかったのです。



「えっと、わかったよ。君の芸術活動を支援してくれる人がいるんだね。その貴族さまに俺も面通しをしておいた方がいいってことなの? 真っ先にここへ来た理由は……」

「それもあるけど、情報収集がメインかな。世界中が見舞われている異変について知りたければ、国を超えた情報網を持っている人じゃないと。貿易商人なんかと付き合いがあるレベルで、貴族の社交界サロンにも顔が利く人ならなおよし。田舎でゴブリン退治なんかいつまでもやっていたってさ~、らちが明かないでしょ。あと、大家さんに家賃払っておかないと。せっかく手に入れたアトリエ兼自室がなくなっちゃう」


 世界の先行きを心配したかと思えば、今度は家賃。あまりの落差にハービィは苦笑するしかありませんでした。



「あっ、ライライのパトロンさんは家賃を出してくれないのね」

「よく私に仕事を紹介してくれる人……ぐらいの認識でいいよ。ウチのパトロンは。宮廷詩人の代役を頼まれたり、楽器の演奏を貴族の子ども達に教えたり……それと実は他にも極秘任務があるんだけど、そっちは内緒かな」

「秘密の多い人だなぁ」

「秘密は女性を美しく見せるのよ、ふふん」

「へぇ、そういうものですか」



 ハービィからすれば大事な話を隠されると不安しか感じないのですけれど。

 女ってこんなに面倒くさいものなんだなぁ、純朴じゅんぼくな少年(十五歳)は心の中で愚痴るのでした。そんなハービィの憂いなどつゆ知らず、ライライは尚も自分の都合だけで二人のスケジュールを決めてしまうのでした。



「それでね、そのパトロンは毎年夏至の日からパリエスの別荘にやってくるの。まだあと半月ぐらいあるわけ。それまで暇なのよ」

「ふむふむ」

「だからね、それまで一度解散ってことで良いかな?」

「ファッ!? 一緒に旅しようって誘ったのはそっちだろ? いきなり何なの? まだ何もしてないのに解散!?」

「だってさー、私はここに借家があるけど女の子(十七歳)なんだよ?」

「寝る場所の話か? 贅沢いわないから、床でゴロ寝でもいいから泊めてくれよ。いきなり知らない土地に放り出されて、俺、半月もどうするんだよ」

「だって部屋が汚いんだもん。お客さんを泊めることなんか想定してないしさぁ。君と会ったのは旅先の偶然、生涯を定める運命の悪戯だったから仕方ないね」

「ロマンチックに誤魔化さないでくれよ……所持金も心もとないのに」

「そこはちゃんと自分で稼ぎなさい、修行もかねて。そう、これは勇者に与えられる試練の一つなのです」

「だぁーもう、ふざけんな。試練の内容がリアルすぎるだろ。ロマンの欠片もないだろ。冒険させてくれよ。ここから詩なんか生まれないって、絶対」

「まぁまぁ、何かあった時に連絡をとる方法は教えてあげるから」



 ライライがテーブル上に出したのは貝型のコンパクトミラー二つ。なんでもハマグリの貝殻を鉸歯ごうし部分(二枚貝の接続部分)で切断して二つに割り、上下それぞれをコンパクトの蓋にしたものらしいのです。ハマグリの貝殻は個体によって形状が微妙に異なり、ピッタリ合う貝は世界に二つとないのだとか。

 そんな二枚貝を用いることで対なるコンパクトミラーは魔術的な繋がりを持ち、備え付けの鏡を通じてお互いの姿を見ながら会話ができるというのです。現在で言う所のビデオ通話みたいなものでしょう。

 とても良い笑顔でライライはハマグリコンパクトを一つ、ハービィに押し付けました。



「連絡が入るとコンパクトがブルブル震えるから、すぐ蓋を開けてね」

「本当に泊めてくれないの? 参ったなぁ」

「せめてもの情けとしてここは私のオゴリにしてあげるから」

「どーも……(俺の歌で稼いだお金なのになぁ)」

「じゃあ、今日の所はこれでかいさーん。お疲れ様!」


 ―― なぁーにが『男になりたければ私と来なさいだ』バーロー!



 心の中で毒づきながらハービィは店を出たのでした。


 こうしてハービィはパリエスの都に単身放り出されてしまったのです。



「また独りぼっちじゃないか」



 青空めがけて叫んだ所でどうにもなりません。

 彼の大声をかき消すように馬車がガラガラと音を鳴らし、轍道わだちみちを走り抜けていきました。そこはレンガで舗装され、バラの絵が描かれた大通り。行く人たちは、いずれもフリル付きの高そうなドレスを着た富裕層ばかり。

 格好からして傭兵あがりの旅人であるハービィは浮いているのでした。


 さっさと自宅に帰ってしまったライライときたら身勝手で、ワガママで、肝心なことは教えてくれない秘密主義者です。

 ハービィはこれまで女性に抱いていた美しい幻想がガラガラ音を立てながら崩れ去るのを感じていました。

 彼女だけがそうなのでしょうか? 女性はみんなそうなのでしょうか?


 いやいや、これは軟弱者の考え方です。

 英雄ならきっとそれくらいは笑い飛ばすに決まっています。


 現状は少し不安ですが、別に見捨てられたわけではありません。

 アルカディオの仮面はまだハービィに預けられたままなのですから。

 ライライからアドバイスされた通り、上着の内側に大きなポケットを縫い付けて仮面を常時ふところへ忍ばせておけるようにしたのです。ライライの大切にしている仮面がこちらの懐にあるのですから、それなりに信用はされているのでしょう。

 それに、女性の部屋に押し掛けるなんてハービィの発想が図々しかったかもしれません。


 ハービィは心細い気持ちを振り払って頑張ろうと思い直しました。仮面以外に彼の手中にあるのは銀貨数枚と、調理用の短剣。そして、旅の途中に歩きやすいよう樫の枝を削って作った杖ぐらいなのでした。健康な我が身ひとつで宿代を稼ぐ必要がありました。

 まずは家探しからです。最悪、夜露が凌げる橋の下でもいいかな? そんな考えから街中を通るセイヌ川へと向かっていったのです。時刻は昼過ぎだったでしょうか。


 事件に出くわしたのはその道中でした。

 道すがら一人の老婆とすれ違ったのですが、彼女の着ている服が不自然に泥だらけだったのです。


「あの、大丈夫ですか、お婆さん? 転んだんですか?」

「大きなお世話だよ、放っといておくれ」


 思わずハービィが声をかけるも、むしろそれは逆効果で老婆を怒らせてしまいました。

 老婆はブツブツ言いながらそのまま行ってしまったのです。


 それだけなら個人のトラブルだと判断し、すぐに忘れてしまったでしょう。

 ですが、服を汚しているのは老婆一人だけではありませんでした。

 その通りをなおも進むと、頭から汚水をかぶったみたいにつま先から髪まで泥だらけの人があちこちにいるではありませんか。実に、五人に一人の割合で服が泥まみれだったのです。


 ―― この先でいったい何が起きたんだ?


 泥水をかけあう祭りでもやっているのでしょうか?

 それにしては誰もこの状況を楽しんではいないようです。

 横目で被害者を睨みながらも(老婆を怒らせてしまった経緯を思い出し)素通りを決め込んでいると、やがて絶対に見過ごしてはいけない光景がハービィの視界に飛び込んできました。


 まだ十歳かそこらの少女が全身泥だらけになってワーワー泣いているのです。

 頭で深く考える前に、ハービィは少女の前へしゃがみ込んで声をかけていました。



「君、いったいどうしたんだい?」



 黒髪をお団子にまとめ、エプロンつきでウエイトレス風のドレスを着た……我々の時代でいうディアンドル民族衣装を着た女の子でした。前掛けにはクマのアップリケがついてさぞや可愛らしかったものが、今は見る影もなく汚泥に染められているのでした。



「ヒックヒック、橋を渡ろうとしただけなのに、泥をかけられたの~」

「橋を……? どういうことだい?」

「ミアにもわからないよ、新しいお洋服を汚しちゃってお父さんに怒られるよ~」

「大丈夫。君が悪くないと説明すれば、きっとお父さんも判ってくれるからさ。早く帰って着替えた方がいいぜ、そのままじゃ風邪ひいちまう」

「う、うん。ありがとう、銀髪のお兄ちゃん」


 ハービィは綺麗なハンカチで泥だらけの顔を拭いてやりました。

 少女はペコリと頭を下げると去っていきます。なんでも家はすぐ近所なのだとか。


 それにしても、なにやら悪事の臭いがプンプンします。

 ハービィの家探しは一時中断。「生憎ですが、こっちもそれ所ではないので」なんて、そんなおためごかしは、英雄を目指すなら口が裂けても言ってはならないのでした。



「……行ってみるか」



 耳をすませば細い路地の向こうから悲鳴や野次馬どもの下卑た笑い声が聞こえてくるではありませんか。どうやら現場はすぐそこのようです。

 少女を見送ったハービィは、覚悟を決めてそちらへ足を向けたのです。



「お天気だったら傘をさせ~! この橋を渡るなら是非リス屋の傘を」



 待ち構えていたのは想像の斜め上をいく、おかしな局面でした。

 セイヌ川にかかった一本の石橋。そのたもとで宣伝文句を叫んでいるのは傘屋です。

 その傘屋は誰かが橋を渡ろうとする度に、声をかけて何事か交渉しています。すると通行人は渋い顔をしながらも代金を支払い、カサ立てから一本引き抜いて傘をさしながら橋を渡り出すのです。ハービィが試しに天を仰げばそこにあるのは雲一つない青空です。そして通行人が橋を渡り終えると、対岸に立ったもう一人の男が貸した傘を回収するのです。


 そう、お客が借りた傘をさせるのは橋を渡る短い間だけなのでした。

 なんとおかしな話なのでしょう。

 橋の上で傘をさす、その為だけにお金を払うとは。


 この近くに他の橋はないようです。

 少女が言っていたのはきっとこの橋のことに違いありません。

 ハービィはゴクリと唾を飲み込んでから傘屋に近づいていきました。



「おや、お客さんも橋を渡りたいんですか? ならリス屋のレンタル傘が欠かせませんよ。一本たったの二千オーラム。リスだけにリース業、なんちゃって」

「随分と高いな、それに雨なんか降っていないのにどうして傘がいるんだい?」

「いえいえ、それが本日の天気予報は大雨。それもアナタが橋を渡る間だけ、泥のどしゃぶり警報が発令中なんですよ。服を汚したくなければ、素直に払った方が身の為ですよ、旦那」



 ふざけやがって。ハービィは心の中で呟きました。

 だいたい、傘屋の格好がふざけています。フード付きの擦り切れたローブをまとい全身を包み隠しているではありませんか。顔の部分には未亡人みたいなヴェールを垂らし、中をのぞけないようにしてあるのです。


 チラリと石橋を一瞥すれば路面のあちこちに泥の水溜まりができていました。

 ハービィは怒りを抑えて素知らぬ顔で尋ねました。



「ここは公共の橋だろ? アンタ等は何の権利があって通行料を巻き上げるんだ。傘を借りなかった相手には後ろから泥水をぶっかけるつもりなのか?」

「いえいえ、とんでもない! 僕たちはただ親切からここで傘を貸しているだけ。別に傘なしで渡りたいんでしたら、どうぞどうぞ。渡ってごらんなさい」



 すると近くに集まっていた野次馬の中から警告の声が聞こえました。



「やめとけ、若いの。何もない空中から泥が降ってくるぞ。きっと橋の上で妖精が悪さをしているんだ。そいつ等は見ているだけ、何もしてないからな」



 野次馬といっても地元民です。この橋が通れないのは彼らにとっても痛手のはず。つまり、どちらかと言えばコチラの味方と言えるでしょう。そうそうデタラメを口にしたりはしないはずです。

 ハービィは腹をくくると傘屋を押しのけ、石橋に足を踏み入れました。



「おやおや、困った人だ。どうぞごゆっくり!」



 傘屋の嘲笑を無視してハービィは警戒しながら歩を進めていきました。

 欄干らんかんの台座に天使の像が置かれた芸術的で見目麗しい橋です。ですが確かに肌をピリピリさせる怪しい気配が漂っているのです。一見するとそこには何も居ないのですが。


 ふと思い出して、ハービィは懐から山羊の仮面を取り出しました。

 リトルマッジの村で称賛を集めて成長させたのですから、少しは役に立つかもしれません。早速、ハービィは仮面を装着したのです。すると、何やら視界に変化が起きたではありませんか。


 橋の手すりに無数のドス黒い手がかけられ、川底から何かが橋に上がってこようとしていました。

 ハービィが慌てて仮面を外すと、やっぱりそこには何も居ません。仮面をつけた時だけ「それ」は見えるのです。


 ワラワラと欄干を越えてきたのは、腕が生えたナメクジのような生き物。真っ黒で艶のある体は透き通って体内で星々が瞬いているかのように見えました。宇宙を内蔵したナメクジどもは、ハービィを取り囲むと手にした柄杓ひしゃく(英語ではディッパー)で泥水をぶっかけてきました。

 柄杓が空になると、自分の柔らかい体に容器を突っ込んで内側にためこんだ泥水を補給しているようです。


 多勢に無勢、かわしきれるはずもなく。

 たちまちハービィは泥だらけにされてしまいました。

 しかし裏を返せば他には何もしてきません。

 ハービィはコメカミに怒りの筋を浮かべながら樫の杖を握りしめました。



「お前ら! そうやって女の子やお婆ちゃんにも泥水をかけたっていうんだな」



 バシャ!

 返答は顔面への泥水でした。



「よし! 覚悟しろ! テメェら!」



 不可視の泥ナメクジが実際に何だったのかは判りません。妖精の一種だったのかもしれません。しかし、一匹一匹はせいぜい猫ぐらいと そう大きくない上に、体も柔らかいので樫の杖のフルスイングに耐えられるような怪物ではなかったのです。


 見えないと言うことは、詰まる所それだけ非力な存在なのでした。杖が当たるとナメクジは水風船のように弾け飛ぶのでした。

 泥ナメクジはハービィの奮闘によって大部分が駆逐され、残りも欄干を越えて川へと逃げていきました。



「さぁどうだ、傘売りども! これでお前らの商売も終わりだ」



 意気込んで振り返るハービィの目に入ったのは、今まさに「その場へ崩れ落ちようとする」空っぽのフード付きローブでした。傘立てと商売道具をそこに残したまま、擦り切れたローブは風に吹かれてチリ紙みたいに飛んでいってしまいました。


 さっきまで話していた中身の傘売りは、いったい何処へ消えたというのでしょう?



「度胸はあるね。でも、ええ格好しいが好きじゃないんだわ、僕は」



 空から降ってきた声にハービィが顔を上げると、天使の像に足をかけた傘売りがこちらを見下ろしていたのです。

 そいつは逆光の影法師でもはっきりそうと判る異形のカタチをしていました。

 腰から生えているのはクルンと巻いて柔毛で膨らんだリスの尻尾。明らかに人間と異なる股関節のつくりと毛皮に覆われた動物の下半身。腰から上はヒトの半身で、引き締まった胸板に前垂れとシャツを着用し、頭には騎士さま御用達のクローズヘルムを被っています。それは「スリットが入り、面当てフェイスガードが格子状となった」兜で、頭頂部に真っ赤なフサ飾りがついているのが特徴の立派なシロモノです。馬に乗ってランスで突撃しそうな風貌ふうぼうなのです。


 まったく見たことも聞いたこともない、異形の姿でした。

 フルフェイスの兜を被ったリス人間、それが一目見たハービィの感想でした。

 リス人間は天使の像から飛び降りて、ハービィの目前に着地しました。

 前垂れに入っている瞳のマークはどこかで見覚えのあるものでした。



「よう、ハービィくん。教団の調べで君の友達がパリエスの人間だと判ったからね、急いで先回りして傘屋の準備をしたんだ。急ごしらえだけど悪くないだろ?」

「な、なんだお前!? 教団って、天ノ瞳スター・アイズ教団か」

「僕はラタ・トスク。アガタ様の命を受けやって来たお目付け役だよ。君がイイ子でいてくれるなら、英雄ゴッコの悪役は僕が務めてやるよ。これからもよろしく、ヒーロー。仲良くやろう」

「……バカにしてるのか?」

「そうだよ、何だと思ったの?」



 ハービィの脳裏に蘇ったのは、泥まみれになって泣く少女の姿でした。

 思わず樫の杖で殴りかかるも、ラタは風のように身をくねらしまったく当たりません。

 ラタは失笑して自分の尻尾をまさぐると、棒状の何かを取り出したのです。



「なっちゃいないね、棒術だって極めればこんな事だって出来るんだぜ。そーれ、如意棒にょいぼうおおきくなれ~」



 小さな棒を手中で一回転。するとたちまち両端に鉄球のついた鋼の棍となったのです。

 ラタは後退してハービィとの間合いを大きくとると、鋼の棍で軽く足元を叩いたのでした。それは見た目には繊細せんさい腑抜ふぬけた一撃でした。ですが、その撫でるような一突きが二人の立つ石橋に大きな影響をもたらしていたのでした。



「きゃー、英雄気取りが橋を壊したー!!」



 ラタはそう叫ぶと一転、ハービィに背を向けて走りだしたのです。

 咄嗟とっさに後を追いかけようとしてハービィが駆け出した途端、ラタが殴った箇所から凄まじい勢いで橋にひび割れが広がっていったのです。


 ピシ、ピシピシピシ、ガッシャーン!


 セイヌ川に立つ巨大な水柱。崩落に巻き込まれハービィは橋と一緒に水中へ落ちてしまいました。幸いにも瓦礫の下敷きとなることもなく、何とか川岸へと這い上がったのですが。

 その頃にはもうラタは仲間と一緒にトンズラしてしまった後でした。

 しかも……。



「おい、アンタ。何がどうなってるんだ? 橋が崩れたのは、アンタが何かしたのか?」

 


 野次馬に取り囲まれてこっちが詰問きつもんされる始末です。

 英雄的行為を完遂するどころか公共物破壊の罪を押し付けられ、ハービィは絶句するしかありませんでした。心なしかアルカディオの仮面もまた悲しそうなのでした。


 思えば見知らぬ土地で宿無しになり、泥水をかけられて、挙句犯罪者扱いです。

 これぞ人生最悪の日と言えるでしょう。

 

 ―― きっとこの世界を作った神様は俺が嫌いで仕方ないんだろうなぁ。


 ハービィはそう思わずにいられません。

 まさかここから逆転、幸運が巡ってくるなど予想だにしないことでした。

 残念ながら神様とライライは誠に気まぐれ、人間万事塞翁が馬なのです。

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