邂逅




 ゼンバッテン地方に唯一在る苔や。

 苔色の髪に、しなやかな躰、目元から色気が匂い立つ男性の登場に、この店の娘であり、店員でもある多枝たえは、眼福眼福と喜び勇んで接客に走ろうとしたのだが。


「まずい」


 この店で最高級品である一点ものの苔。

 育てるのに十年かかった。

 しかも観賞用。

 をごくごく自然に口に放り込んだかと思いきや、顔をしかめつつ、まずいとさえのたまった男性に、多枝は顔面蒼白になった。


「ちょっ、と。お客様。お代金をお払いいただけませんことか?」


 空腹のあまり、苔を食べてしまったのだろう躰は大丈夫だろうか。

 いやいやいや、姿かたちは私たち人間に似ているけど苔を食べる種族なのかもしれないし。

 鑑賞するのはいいけど、面倒事に関わるのはごめんだ。

 丹精込めて育てた苔をコケにされたのは、業腹だけど、口に合う合わないは客次第だ。


 思考が駆け巡った結果、多枝は店員として堂々と笑顔を張り付けて男性に話しかけた。


「まずい。逆に賠償金を払ってほしいんですけど」


 警察を呼ぼう。


 全面的におまえが悪いと言わんばかりの態度に、瞬時に判断した多枝は、見張り役に奥で苔を見ている父を楚々として素早く呼んだ。


「申し訳ございません。何がどうお口に合わなかったのか教えてもらえないでしょうか?」


 言動はしおらしく、けれど、瞳だけは爛々としている父を見て、多枝は嘆息した。


 イケメン好きめ。

 てやんでえうちの苔がまずたあどういう了見だぐらい啖呵切ってみやがれ。


 思うが口に出さず、男性は父に任せて、店の奥に行ってさっさと警察を呼びに行こうとしたが、父に肩を掴まれて叶わず。

 眼光鋭く、けれど笑顔は絶やさず、父を見る。

 すれば、脂下がった顔をひっこめて、丹厳としている父がそこには居た。


(お父さん?)


 警察を呼ばなければとの一点だけを考えて、父と男性の会話は一切遮断していたが。




「わかりました。ならば、行きます」

「いけません。あの城は厳重で警察もやつの傀儡。忍び込むなど不可能です」




 本当に何を話してたんだ!?




「ちょ」

「忍び込む?」


 無視するのが一番だと思いながらも、好奇心が抑えられず父に話しかけようとしたが、男性がうっすらと笑ったと同時に悪寒が多枝の全身を走った。

 動こうにも動けない。


 威圧感、と言えばいいのだろうか。

 まるで、何千年も生きてきた老木のような。

 まるで、獲物を前に鋭い牙を立てる狼のような。


「いいえ。堂々と行きますよ」


 突如として、白い煙が男性の全身から噴き出したかと思えば、男性が数知れず増えていました。



 呆然とする多枝の耳は、父の小さな歓声を捉えていた。





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