第4話 初日の夜
「グレン様、お帰りなさいませ!」
「グレン様の凱旋だ!」
「赤龍ウェルシュだ! 直接見られるなんて運がいいぜ!」
グレンが都市の中心部にある広場へ降り立つと住民がわあわあと騒ぎ始めた。
「すごく歓迎されてますね」
「当然ですよトーマ! グレン様といえば、レイシス帝国と戦い、差別されていた多くの種族を救った英雄です。さらに被差別階級の人々から優秀な人材を見出し、世界で初めて民主主義を採用された方ですから!」
「おー、すごく主人公っぽいな」
「そしてトーマはそんなグレン様と同じ勇者様。同じくらいすごいのです!」
「じゃあグレンさんも誰かに召喚されたのかな」
「いや、俺は召喚者じゃなくて転生者だ。戦ってる中で勇者って呼ばれ始めただけさ」
民衆に手を振りながらもしっかり聞こえていたらしい。
「さあ、ウェルシュから降りてくれ。俺の家に案内しよう。詳しい話はそこで」
グレンは軽い身のこなしでウェルシュから飛び降りた。一際大きな歓声が上がる。
トーマはグレンから少し離れたところに向かってジャンプした。あの注目の中に降り立つのは憚られた。
「と、トーマ……」
消え入りそうな声に呼ばれて振り返ると、フィオナが震えていた。
「ちょっとその、高くないですか……」
ウェルシュは身をかがめていても二メートル以上ある。トーマも転生前なら飛び降りることを躊躇する高さだ。
トーマはわずかに逡巡し、フィオナに直接訪ねることにした。
「飛び降りて受け止められるのと抱えられて飛び降りるの、どっちがいい?」
「う……じゃあ、受け止めてくれますか?」
「はいよ」
「ぜ、ぜったいですからね!」
意を決した様子でフィオナはウェルシュの背から飛び降りた。
スカートを押さえ目をつぶっている。気持ちは分かるが逆に危ない。放置したら膝から地面に激突するだろう。
そんなことにならないようトーマはそっと受け止めた。左腕で足を、右腕で背中を支え、膝で衝撃を吸収する。
フィオナは「ひゃっ」と声を出し、おずおずと目を開いた。すぐ近くでトーマと目が合う。フィオナは赤面して顔を背けた。
すると「ひゅー!」と冷やかす声がした。指笛を吹いているものまでいる。
グレンがにやにやと生暖かい視線を向けていた。
「な、なんですか」
「いやー、べっつにぃー?」
「お熱いなお二人さん!」
「お似合いよ!」
「可愛いカップルだね!」
グレンに続き住民たちに冷やかされ、ちょっとだけいたたまれなくなった。
「早く移動しましょう」
トーマが逃げるような気持ちで促すとグレンは苦笑いしながら歩き出した。
すれ違う住民たちに挨拶をされるグレンについていくことしばし。グレンの家に到着した。
グレンの家は中心街から少し離れた住宅街にある、こじんまりした一戸建てだった。
「なんか、意外と普通の家なんですね」
「あまり大きくても持て余すんだ。ただいまー」
「おかえりなのです!」
グレンがドアを開けると元気のいい声がした。
バタバタと足音を立てて現れたのは黒髪に狐っぽい耳を生やした女性だった。ふわふわした黒い尻尾がご機嫌に揺れている。
「今日の夜ご飯はハンバーグなのです! さっそくご飯にするのです? それともお風呂に入るのです?」
「ミオ、急で悪いけれどお客さんだ。挨拶してくれないかい?」
「お客様なのです? ……あ、申し訳ないのです、ミオはミオというのです!」
「どうも、トーマと申します」
「フィオナといいます。ミオ様はグレン様の奥様ですか?」
「お、奥様なのです!? ええと、その、ミオは……」
ミオはちらちらとグレンの顔を見ている。
グレンは微笑みミオの頭をなでる。ミオはぷしゅーと音を立てそうな勢いで耳まで真っ赤になりうつむいてしまった。
「ミオは幼馴染なんだ。奥さんじゃないよ」
「そ、そうなのです……」
ミオはあからさまにがっかりする。どんよりした空気を出す。
「今はまだ、ね」
「!? そう、まだなのです!」
グレンの言葉にミオは顔をあげる。グレンの目が合いにっこりと笑顔を浮かべる。
パタパタと尻尾を振るミオとグレンは自分たちの世界に入り込んでいるようだった。
「仲が良いのですね」
「のです……」
微笑ましげにするフィオナの横でトーマは無の表情になっていた。
街に到着しても世界から置いてけぼりにされることにトーマは愕然とした。この世界でやっていけるのだろうか。
漠然とした不安と戦っているとグレンとミオはこの世界に戻って来た。
「悪かったね、トーマ君。そっちに座ってくれ」
リビングに通され、ミオが用意してくれた椅子に腰かける。この世界に来てからようやく一息付けた気がする。思わず深いため息が漏れた。
よく考えるとそんなに疲れるほど時間が経っていないのだが。短時間にイベントを詰め込まれたせいで主に精神が疲弊していた。
そんなトーマを見てグレンは同情するように笑った。
「とりあえず、事情をざっとで良いから聞かせてくれないかな。なんとなく察しはついているんだけどね」
「あ、そうなんですか。ざっくり言うと……異世界召喚されたら雑に追放されて、暗殺者に襲われているところをグレンさんに助けられて今に至るって感じです」
「だいたいわかった。やっぱりねって感じだ」
「分かったんですか」
「トーマくんを召喚したアマザ王国は過去にも似たようなことをしているからね。聖女まで追放されたのは初めてだけど」
アマザ王国は転生者が産まれたり召喚されることが多い。
国民は即物的かつ性悪なので、使えそうと思っているうちは優しくするのだが、邪魔になったり役に立たないと思ったりすると手ひどく切り捨てるのだという。悪いことが起きたらすべての責任を転生者に押し付けて上層部が責任逃れをするのも日常茶飯事らしい。
「絵に描いたような悪役国家ですね」
「でも違和感ないでしょ」
「ないですね」
王様やミヤイを見ているので疑う気も起きない。
ミオが用意してくれたドリンクに口をつける。冷えた水にレモン果汁がたらされており、疲れた体によく染みる。
ちなみにミオは台所でトーマとフィオナの夕食を追加で作っている。のですー、のですーと不思議な鼻歌が聞こえる。
「何はともあれ、だ。今日は疲れただろう。難しい話は明日にしよう。ああ、心配はしなくていい。当面の生活費と住居は俺が確保しておこう」
「何から何まですみません」
「謝る必要はないさ。俺が勝手にやってるだけだからね。ま、この街が気に入ったら力になってくれると嬉しいけど。夕食の後はどうする? すぐ寝るなら寝室用意するよ」
「疲れてはいるんですけど眠くはないんですよね。交感神経が活性化してる的な」
「わかるわかる。転生されてすぐはそうなる人が多いよ。ところでトーマ君はどうやってこの世界に来たんだ? 召喚系ってことは足元に魔法陣が発生したとか?」
「俺は死んだところを召喚されたパターンです」
「あ、俺も俺も。ちなみにどうやって死んだの?」
「聞いて驚いてください。かの有名なトラック転生です」
「えっウソすげえ! 仲間じゃん!」
「てことはグレンさんも?」
「何を隠そうトラック転生です。ナカーマ! いえーい!」
「いえーい!」
「夕ご飯できたのですー!」
「ミオ様ありがとうございます、私もお手伝いできればよかったんですけど」
「平気なのです! ミオは料理が好きなのです。それにうちの台所はミオの聖域なのです」
自分の死因という謎な話題で盛り上がるトーマとグレン。楽し気に会話するフィオナとミオ。
雑なイベントが詰め込まれた一日は穏やかに過ぎて行った。
過ぎ去ったはずだったのだが。
ひと風呂浴びたのち、トーマとフィオナは寝室へ案内された。
「……どうすんだこれ」
「ええと、その」
二人は同じ部屋に案内された。
トーマにとって、出会って初日の女子と同室で寝るのはハードルが高い。こっそりフィオナを窺うとためらいがちなので、フィオナ側も近い考えだろう。
同室だけなら許容範囲内だった。フィオナは気が気ではないかもしれないが、トーマはフィオナに手を出すつもりがない。疲れていることもあり、床に就けば一瞬でスヤアだろう。
「ミオさん、ベッドがひとつしかないんですけど」
下に布団が敷いてある、なんてこともない。部屋には寝ることができそうなソファもない。むしろベッド以外はクローゼットくらいしかない。部屋の面積の大半をベッドが占有しているので床で寝るのも難しいだろう。
どういうことかと視線を向けるとミオはむふーと鼻を鳴らした。
「お二人ならベッドひとつでいいって思ったのです! じれじれしてないでガッといけなのです!」
「ほぼ初対面の相手にガッと何しろと」
「どうせくっつくことになるのです、ここでぐずぐずしてるとグレンとミオみたいになっちゃうのです!」
肩を掴まれ力説された。そこはかとない圧を感じる。グレンは何をしたのだろうか。それとも何もしていないのだろうか。
体力的には余裕で振り払えるはずなのだが、空気に飲まれている。こうなったらもう敵わないのだ。
意外な力強さで部屋に放り込まれるトーマ。トーマに気を取られた隙にフィオナも部屋に突き飛ばされ、バタンと音を立ててドアが閉まった。がちゃりと鍵が閉まった。
「内側から開かないタイプの鍵かー。この部屋牢獄なの?」
壁を軽く叩いてみるとごすごす鈍い音がする。防音が効いていそうな頑丈さである。窓はあるが嵌め殺しなので開閉しない。こちらも一目で分かるほど分厚い。
全力でドアを蹴れば開けられる気はするが、部屋を貸したり世話してくれている人の家を破壊するのは憚られる。
夕飯を食べてうとうとしているので、さっさと寝てしまえばいい気がする。
「よし、切り替えていこう。フィオナ、俺は壁とベッドの間に挟まって寝ることにするよ。意外とフィット感良くて落ち着きそうだし」
「待ってくださいトーマ! トーマを床に寝させるわけにはいきません。そこは私が」
「断る、恩人床に寝させるなんてできるかい」
トーマにとってフィオナは終わったはずの人生に続きをくれた人である。あんまり実感はないが。
「フィオナがベッドで寝ようが寝まいが俺は床に寝ます。ならフィオナだけでもベッドで寝ればいいじゃない」
「……私が床に寝なければいいんですね?」
「そうだよ」
「じゃあトーマも一緒にベッドで寝ればいいと思います」
「は?」
「これで万事解決です」
「???」
ドンと押されてベッドに倒れ込むトーマ。その横に寝転がるフィオナ。
ベッドは大きいサイズなので二人がそれぞれベッドの端っこに行けば触れ合うことはない。
しかしベッド。異性と一緒にベッド。石鹸のなんかいいにおいがする。
年頃の女性としてこの状況は許容範囲内なのだろうか。
「明かり、消しますね」
トーマの脳みそがバグっているうちに部屋は真っ暗になる。
フィオナと触れ合ってはいないが、距離は近い。意識すれば左腕にフィオナの体温を感じる気がする。ちらりとフィオナを見れば月明かりに照らされて妙になまめかしい。
こんなそわそわした気持ちで眠れるわけが――
「おやすみなさい」
フィオナにそう言われた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。
この世界に召喚されてまだ半日ほど。それでも発生したイベントは数多く、慣れない環境に疲弊していた。体力に余裕があっても精神的にひどく疲れている。あまり意識していなかったがストレスも溜まっているだろう。
「おやすみ……」
なんとかそれだけ口にして、トーマの意識は眠りに落ちた。
―――
「トーマ、起きていますか」
フィオナを照らしていた月光がトーマにかかる頃のこと。
部屋に響く音は一人分の寝息だけ。規則的に繰り返される呼吸は深く、声をかけられても揺らぎもしない。
トーマは眠っていると確信したフィオナはそっと身を起こす。
隣には安らかな寝息を立てるトーマがいた。
その顔に手を伸ばして、触れる直前でひっこめる。
フィオナは静かにトーマの寝顔を見ていた。
月明かりがずれて部屋が真っ暗になるまで、ずっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます