藤の儀式 (中)
私はフジくんとともに玉依姫について調べるため書庫へ向かった。向かう途中で私の調べ物を手伝ってくれるというので内容について話すとフジくんはただ一言「そうか」と笑って呟いた。
部屋に一歩足を踏み入れると中の様子に立ち止まってしまった。
どこを見ても本ばかりで、古いものから最近のものまで幅広くそろっている。この神社の歴史が書かれたものもある。
そんな本の山に呆然としていた私の横からフジくんが声をかけてきた。
「本当にどこへ行くにしても誰かに声をかけなければならないんだな」
「そうね、今回は巫女さんがキッチンに来てくれたからすんなり来れたけど、普段は社務所に声をかけないといけないの。それがお母さんに伝わるようになってるんだよ」
私が巫女さんに書庫へ向かうために説明をしているのを見ていたから彼は言葉を漏らしたんだろう
「窮屈ではないのか?」
「前はそんな風に思ったこともあったけど今はもう慣れたから。それにしても、ふふっ」
フジくんはサクラと同じ質問をしてきた。
それがなんとなくおかしくて、つい笑ってしまったらフジくんは目を見開いて驚いたような顔をしていた。あまり表情を変えないフジくんにしては珍しい。
だが次はとてもやさしい顔になった。温かく包み込むような微笑みを向けられ、なんだか恥ずかしくなり下を向いてしまう。
「ちゃんと、笑えるじゃないか」
「え?」
顔をあげたときにはすでにフジくんは本棚に向かって歩き出していた。私もフジくんが調べている棚とは別のところに行き、あてもなく資料を取り出していく。
そうして夕ご飯の時間になるまで部屋の中には紙をめくる音だけが響いていた。
「うわ、もうこんな時間か。フジくん、今日はそろそろ終わろうか」
「紡は明日もここで調べ物をするのか?」
「そうだね。まあ、学校があるから帰ってきてからになるけど」
少しの間何かを思案するようなしぐさをとった彼は、おもむろに口を開いた。
「では、紡が学校に行っている間、私が調べ物の続きをしておこう」
正直ありがたいが、そこまでしてもらうのは少々申し訳ない。明日以降も手伝ってもらうなら私と同じ時間の方が彼の時間を奪わずに済む。
そんな風に考えて返答ができずにいると、ため息が聞こえてきた。
「紡が今考えていることを当ててやろう」
「え?」
「どうせそこまでしてもらうのは申し訳ないとか私の時間を奪いたくないとか、そんなところだろう。紡の考えることくらいお前を見ていればわかる」
完全に言い当てられてしまい驚きで声が出せずにいる私をしっかりと見つめて、再び彼が口を開く。
「いいか、私のことを気にかけてくれるのはありがたいが気にしなくてもいいんだ。私がしたくてするのだから、ただのおせっかいとでも思っておけばいい。私は初めから紡が調べる時間が取れないときは私が調べようと思っていた。それと、私の時間はこの世に形を持つずっと前からお前のためだけにあるのだから奪う奪わないの話ではない」
力強くそう言い、有無を言わせぬ迫力の彼の瞳に射抜かれてしまえばもう何も言えなくなってしまう。
「わ、わかった……。それじゃあ、私が学校に行ってる間はお願いします。帰ってきたらすぐ行くから」
私が承諾すると彼は嬉しそうに頷いて、出した資料を元の棚にしまい始めた。
翌日、いつもより学校が長く感じた。いつもと変わらない時間のはずなのに、フジくんのことが気がかりであまり授業に集中できずにいた。HRが終わると同時に教室を出て足早に学校を出ると、いつものように迎えの車が校門前に待機していた。
「玉依姫様、今日は出てくるのが早いですね。いつもこのぐらいにしていただきたいものですが…」
「少し急いでいるので早く車を出していただけますか?」
いつもの嫌味を無視して早口で急かす私を見てあからさまにムッとしたようだが、今はそんなことを気にはしていられない。こうしている間もフジくんは一人であの膨大な量の資料をあさっていると思うと一秒でも早く帰りたいと思うのだ。
そんな心情を表すかのように車は静かに発車し、いつもよりも少し速い速度で神社に向かった。
「あら、おかえりなさいませ紡様。そんな慌ててどうなさいました?」
「ちょっと急いでるんです!」
境内の掃き掃除をしていた咲さんへのあいさつもそこそこに、荷物を部屋に置くなり速足で書庫へと向かった。
扉を開けると本棚に綺麗にしまわれていた本の半分以上が床や机に散らばっており、その中心にフジくんがいた。
「え、フジくん?この散らばってるやつ全部確認したの?」
「ああ、紡か。おかえり。そうだが、そんなに驚くことか?朝から調べ物をしていれば普通ではないのか?」
この量が普通?床や机に散らばっているといってもそのどれもが高く山になっている。広い書庫の中には千冊以上の書物がある。昨日私が手を付けた本はほんの十冊程度だ。半分以上が棚の外にあり、空っぽになっている棚もある。
それを一人で確認したというのがなんとも信じられない。
「普通ではないかな……。これ、片付けるのも大変そうだね」
「そんなことはない。どの棚にどの本がどんな順番で整理されていたかはすべて覚えている」
「え、全部覚えてるんだ。それでも、一つずつしまうのは時間かかると思うけど」
「私の術を使えば一つずつしまう必要はない。つまり、すぐに片付けることができる」
「そうなんだ。精霊ってすごいんだね。私、知らないことが多すぎだね。精霊たちのことももっと知っていけたらいいな…」
精霊というものはそんな便利なことができるのかと、感心してしまった。玉依姫について調べるついでに精霊のことも調べてみようと思い、さっそく本を手に取り始めた。
帰ってきてから一心不乱に本を漁るが、耳寄りな情報はいまだ得られていない。玉依姫についての記述はあるがどれもこれも表面的なことや神話などばかりで詳しいことが何一つ残されていない。強いて言うなら精霊にはそれぞれ異能力―――火や水など何かを自在に操ったり、傷を癒したりすることなどがあるらしい―――を持っているということ。
それはフジくんも同様のようで、彼は万物を浮かすことができるらしい。
力の源である霊力が高い精霊になるにつれて異能力も強くなるという。これは精霊に限らず妖にも人間にも言えることのようだ。
妖にも精霊のように異能力を持つ者もいるらしい。すべての妖がというわけではなく、妖にとっての力の源である妖力が生まれつき高かったり何百年、何千年もの間生きながらえてきた妖だけが使える、という風に書かれていた。
また、人間の場合異能力と呼べるものはとても数少ないとも書かれていた。千年以上も前の世では異能力を使うものもいたらしいが、今では陰陽道の血筋の者のごく一部だけという風に言われている。それも、何らかの道具を使わなければならない。護符や
霊力が高い人間はほとんどが妖を見ることができ、その中でも術を扱う素質がある者だけが陰陽師になれる。自分の霊力をコントロールできないと術は扱えないため、今は人数が少ないらしい。
「妖や精霊のことはなんとなくわかるぐらいには書いてあるのに、どうして玉依姫のことは記述が少ないんだろう…」
「それは私も思っていた。この書庫にあるものもあらかた見終わったがめぼしいものは見受けられなかった。ただ、これは私の推測でしかないのだが、誰かが隠蔽しているのではと思うのだが……」
いくつかの本を手に取り私のそばまで持ってページを開いた。それはところどころに墨のシミがあるものと破られた跡があるものがあった。
そういったものなら私も見つけたが、古い書物だから破けているのは仕方がないと思って流していた。墨のシミも同じだ。何らかの作業をしているときに汚れてしまったのだと思っていた。
だが、彼はそんな風には思わなかったらしい。
「このシミの位置だが、適当に散らばっているというのは見せかけで本当は玉依姫の記述なのではないかと思うのだ。どれも玉依姫について書かれる部分と重なっている。破られているページも然りだ。破られる前後のページを読んでみると間に玉依姫について書かれていたというのがわかる」
フジくんの話を聞きながら本の細かい部分まで見てみると、確かに絶妙な感じで玉依姫のことを隠しているようにも取れる。
よくもまあ短時間でこんなことに気付けるものだと感心してしまった。
「でも、それじゃあ何のために隠しているの?」
「そこまでは私にもわからない。ただ、痕跡から見るにこれらはそんな昔にできたものではない。おそらくまだ十年ほどしかたっていないだろう」
それを聞いて私はひとつの答えにたどり着いた。
何のためなのかはわからないが、おそらく私が生まれたからだろう。
そう考えれば十年ほどしかたっていない痕跡に説明がつく。玉依姫に関することを玉依姫である私に知られないために消した。
私に知られては困ることがあるということになる。
「この書庫は、代々宮司と
もしそうだとしたら、いったい何を隠しているんだろうか。別に何でも話してほしいというわけではないが、自分の体質のことについてくらいは隠さないでほしい。
私が両親に歯向かうようなことをするはずがないというのに、それを信じてもらえていないかのような気がしてしまう。
「これも私の推測でしかないが、隠さなければならない何かがあったのではないだろうか。私は今の紡の母にも父にも会ったことがないからどういう人間なのかはわからないが、私の記憶の中にいる昔の紡の母は理由もなくそのようなことはしないと思うのだ」
「そう、だね……」
なんとも重苦しい雰囲気が漂い始め、無表情の彼が持っていた本を閉じた。
「もうじき夕食の時間だろう。本の山を元に戻さなければ」
彼はおもむろに両腕をあげた。すると散らばっていた本たちがふわりと浮き上がる。浮き上がった本たちはひとりでに本棚へと向かい、ものの数秒ですべて綺麗に棚に収まったいた。
「すごいね、あっという間に片付いちゃった」
「この程度のこと、造作もない。それに、私は元来攻撃に特化した精霊だ。そのための力は別にある」
「浮かせる以外の能力もあるってこと?」
私の質問に彼は静かにうなづいた。持っている力は精霊によって異なるが二つ以上持っているということもあるらしい。
彼曰く、確かめたわけではないがおそらくサクラも二つ以上の能力を持っているという。
長く一緒にいるサクラだが、私は彼女のほんの一部しか知らないんだと思った時、書庫の扉が開いた。そこには一人の陰陽師がいた。
「あなたは確か、
「それはこちらのセリフです。部屋に向かった世話係の一人が紡様がいないと言っていたので手が空いてるもので探し回っていたんです。むやみに部屋を出てはいけないと言われているでしょう?それに、今回は巫女への連絡もしなかったそうですね。部屋を出るなら巫女の誰かに声をかけなければならないはずです。それと…」
「誰にも告げずに部屋を出たのは悪いと思っています。このほかにもまだ何かあるんですか?」
東さんは警戒心をむき出しにして静かに私をにらみつけている。正しくは、私のすぐそばにいるフジくんをだ。
「紡様、横にいる者は誰ですか?侵入者なら直ちに捕らえますので紡様はこちらに来てください」
それを聞いた私は驚きを隠せないでいた。フジくんは藤棚の精霊だ。玉依にしか姿は見えないはず。そして東さんは見鬼の才は持っているものの玉依ではない。ではなぜフジくんが見えるのだろうか。
正直信じられないという思いでもう一度確認をしてみる。
「あの、私の横にいる人が見えているんですか?」
「ええ、だからその者が誰なのか聞いているんです」
「彼は、藤棚の精霊です。まだ儀式をしていないので一部の人間しか彼の存在は知らないと思います」
私の答えを聞いて東さんは眉をひそめている。当たり前だ、精霊だと聞いて彼が簡単にそうなんですねと矛を収めるはずがない。どうして玉依でもない人間に精霊が見えているのか、疑問に思いフジくんを見やるが彼はいつもと変わらない無表情のままだった。
「あの、フジくんは藤棚の精霊なんだよね?私みたいに玉依にしか見えないはずなんだけど、どうして東さんにも見えるのかわかる?」
「ああ、その者にも私が見えるのは私が隠れていないからだ。見えないようにしようと思えばできるがこの神社の中で隠れる必要はないだろう?」
こともなげにうなづいて耳を疑いたくなるような事実を口にするフジくんに私も東さんも驚きを隠せないでいた。
彼の言葉をそのまま信じるのなら彼は自由に姿を見せることができるということだ。玉依にしか目視できない精霊が他の人も目視できるようになる。そんな話は聞いたことがない。
「紡様、彼の言うことをすべて信じることは出来ません。一度拘束をし、海斗様に引き渡しをするべきです。どうかこちらに来てください」
「拘束なんて!そんなことをすれば私が許しません!彼の言っていることは確かに信じがたいですが、それでも彼が精霊であることは確かです。父のもとへ連れていくというのならば拘束はしないでください。それと私も一緒に行くことが条件です」
東さんはフジくんを睨みつつ逡巡するようなしぐさを見せ、硬い声音で答えた。
「……わかりました。ではお二人ともついてきてください。くれぐれも、怪しいことはしないように」
そう言って彼は部屋から出てしまった。私たちは顔を見合わせ扉の方へ歩き出した。
「フジくん、ごめんなさい。巻き込んでしまって……」
「巻き込まれたとは思っていない。私が姿をさらしていたことが問題だったのだ。せめて儀式が終わるまでは隠しておくべきだった。配慮が至らずすまない…」
フジくんのせいじゃない、紡のせいじゃないという終わりのないやり取りをしながら私たちは先に出た東さんの後を追った。
父は基本的に拝殿か一般の立ち入りが禁じられている御本殿にいることが多いが神社関係以外の仕事をするときは併設された建物の一室に籠ることが多い。今も儀式の準備をするためにその部屋にいるのだろう。東さんについて歩いていくとやはりあの併設された建物に向かっていた。
やがてある一室の前につくと彼はノックをし、かしこまった声を発した。
「海斗様、突然申し訳ありません、夜神です。至急お話ししたいことがあり参りました」
「話?わかった、入りなさい」
中からくぐもった声の了承を得てから私たちは中に入った。
部屋の中には大きめのデスクや本棚があり、デスクの上には書類がたくさん置かれている。そして私の目を奪ったものはこの部屋にあまり合っていない豪華な置物や鈴だった。おそらく儀式に使われるものだろう。華やかで繊細な装飾が施された壺や、綺麗に磨かれた藤柄の食器、漆塗りの鼓までは豪華で丁寧に保管されていたものだということがわかる。しかし、その中にあった神楽鈴だけは色が剥げていたり、少々さび付いていたり、柄の部分から伸びている装飾の布もくすんでしまっている。なぜこの鈴だけこんなにも汚れてしまっているのか疑問に思っていると、少し驚いた声が耳に入ってきて思考を遮られてしまった。
「おや、紡もいたのか。それと、そちらの男性は?」
「はい、至急お話ししたいことというのは彼のことです。紡様曰く、彼は藤棚の精霊なんだそうです。そして精霊である彼が玉依ではない者に見えているのは彼が隠れていないからだそうです。なんとも信じがたい内容だったため、拘束してこちらに連れて来ようとしたのですが紡様がお止めになり、拘束せずに自分も連れて行けとおっしゃるのでともに参りました」
事のあらましを簡潔に聞いた父はなんとも難しい表情をしていた。やはり信じられないのだろうか。だが、儀式をしていない以上彼が精霊だという印の紋章はないため証明ができない。それ以外の方法でとなると彼が持っている力を父に見せる以外ないのだが、それでも妖だと思われてしまえば意味がない。
どうしたものかと考えあぐねていると私の横でずっと黙っていたフジくんが唐突に声をあげた。
「私は正真正銘、藤棚の精だ。貴様らが何を考え、何を疑っているのかは知らんが私は紡に危害を加えるつもりなど毛頭ない。私は、私の命をもって彼女を守ると誓っている。何ら心配することはない、安心してくれ」
突然の発言にその場にいた誰もが目を見開いて彼を見ていた。それは私も同じで、それと同時に胸が締め付けられ、ドキッとした。私に危害を加えない、それどころか守るなんて言われてしまえば恥ずかしいのは仕方ない。そう、仕方ないことだ。
「お、お前!海斗様に向かってなんて口の利き方だ!無礼だろ!」
「いや、大丈夫だ。君が藤棚の精霊かどうかはともかく紡に対して敵意がないことはわかった。本当に精霊ならば儀式に現れるはず。もしも精霊ではなく妖だった場合は君をここから出さなければならないが、そもそも厳重に結界が張られているこの神社にいる時点でまたすぐに戻ってこれてしまうだろうし、紡に敵意を持たない限りは見逃しておこう。夜神、それでいいな?」
有無を言わせない声音で父は話している。この場にいる誰もが軽々しく口を開けないでいた。
東さんは納得がいかないような面持ちでいながらも上司であり陰陽道筆頭家系の出身でもある父の命令は絶対に等しいようで渋々頷いた。
「わ、わかり、ました……他の術師たちにも伝令が伝わるよう手配をしておきます」
「さあ、話はこれで終わりかな?もう夕食の時間だ。紡はもう戻りなさい」
その言葉に促され、私はフジくんと共に部屋から出された。
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