藤の儀式 (上)

 ゆったりとした気配があたりに充満している。とても安らかな気持ちになれる。気持ちというものがどんなものなのか、もう覚えていないけど、おそらくこれが安心するということなんだろう。

 そんな風に思っているとどこからか声が聞こえてきた。はじめは聞き取れないぐらいの大きさだったが、次第に大きくなっている。というより、近づいているような気がする。

『誰?何が言いたいの?』

 呼びかけてみても何が言いたいのかはわからないまま、ずっと名前を呼ばれるだけ。

『紡……、紡……』

 その声はとても温かく、懐かしい声だった。

 私は、この声を聞いたことがある。そう確信した。



「夢……」

 目が覚めると見慣れた天井が眼前に広がる。

 結局声だけで姿は見えなかった。誰なのかはわからないがとても懐かしい感じがした。昔、会ったことがあるような、そんな気がする。

「早く準備しないと遅れる…」

 そう独り言ちていそいそと着替え始めた。



 私の一日は掃除から始まる。掃除といっても境内の掃除はさせてもらえず、社務所の中や神社で働く人たちの居住スペースだけだ。決して外の掃除はしない、してはいけない。

 もともと外にはあまり出てはいけないのだから当然と言えば当然だ。私には決められ事が多いから好きに行動なんてできるわけがない。

 昔は参拝客と話をしながら境内を掃除することに憧れていたけど今はそうでもない。決して叶うことのないことに夢を見るより目の前のことをする方がよっぽど現実的だと思う。

 それに内側の掃除も大切。他の人が外を掃除すれば問題ないし、その方が喜ぶ人がいる。

 私はこの神社の、私の決まり事を忠実に守っていれば咎められることはないし何も考えないで済む。きっとそれがこの神社にとって一番いい。

「さて、今日も始めますか」

 社務所に行くとすでに咲さんがいた。

「あら、紡さま。おはようございます。今日はこちらのお掃除ですか?」

「ええ。咲さんは物販の準備ですか?」

 にっこり微笑みながら「はい」と答えた咲さんは掃除道具を持って私の方へと歩いてきた。

「どうぞ、私も準備ができましたらお手伝いしますので先に始めていてください」

「わかりました。これ、ありがとうございます」

 受け取った道具で早速掃除を始めた。まずは上の方の埃を落とすために台に上る。はたきで埃を落としていくが、毎日のようにしているせいかそこまでたまっていなかった。

「これは、すぐに終わっちゃいそうね」

 それからも棚のふき掃除や床の掃き掃除など黙々と終わらせていると横から声をかけられた。

「紡様、何かお手伝いすることはありませんか?」

「大丈夫ですよ。あとはこの埃を捨てるだけですから」

 そう返すと咲さんはにっこりと微笑んだ。何かおかしなことを言ってしまったのかと首をかしげていると彼女が口を開いた。

「昔と比べて紡様も随分と立派になられたと思っていたんですよ。一緒に掃除をしていたことが懐かしく思います。今ではもうすっかり一人ですべて終わらせてしまえるんですから。……成長しましたね」

 そう言われると何だか恥ずかしくて落ち着かない。毎日のように掃除をしていたらどうすれば効率よく綺麗にできるかわかってくるもの。掃除するスピードだって速くなる。私はこの春に中学三年生になった。成長なんて、当たり前だ。

「あ、ありがとう、ございます。作業を早く終わらせて咲さんのお手伝いまでできるようになれたらいいなと思ってるのでこれからも頑張りますね」

 無難にそう返事をすると「無理だけはしないでくださいね」とくぎを刺されてしまった。無理も何も、私がこの神社で出来ることは掃除くらいしかないのだから多少の無理は許してほしいと思うも口には出せない。

「わかりました。では無理のない程度に頑張りますね」

 いつものように笑顔を張り付けてそう答えた。




 掃除が終わればご飯を食べて学校に行く。もちろん一人での登校ではなく神社の結界を張っている人の送迎でだ。そのため学校まで自分で歩いたことはないし、学校についても車で登校している私に近づいてくる人はいない。

 変わり映えのない一人の毎日。それもあと一年で終わると思うと少しは気が楽だ。なにも面白みのない学校生活を送る必要があるとは思えないが、義務教育ということだけで通っている。家で家庭教師でもつければ学校に行かなくてもいいと考えたこともあったが、それは両親に反対されてしまった。あまり知らない人間を家に上げることが嫌なのだろう。

 お陰様で私は鬱陶しい送迎で家と学校を行き来する羽目になっている。

 誰とも仲良くなれず、外に遊びに行くこともできず、ただ日々を過ごすだけ。私の目には明るい生活なんて映らなくなっていた。

「姫様、今日は学校から出てくるのが遅かったようですが、何かございましたか」

「少し教室でぼうっとしていただけです。特に何かあったわけではないので詮索しないでもらえますか。あと、姫様と呼ぶのはやめてください」

 少し戻るのが遅くなっただけでこれだ。結界を張る陰陽師の人たちは特に私を拘束しようとする。私という人間ではなく、私の持つ玉依姫という力だけを見ている。

 だから陰陽師は嫌いだ。神社の巫女さんたちにも似た人はいるが、それでもまだ私を私として見てくれる。だから嘘でも笑顔を作るが、彼らは違う。

 まるで道具のように応対をする彼ら相手では笑顔なんて作れない。

「貴女は玉依姫なのです。それをもっと自覚していただきたい。本当は学校もなるべく行かずに外部との接触を断った方がよいというのに、海斗様のご意思があるから学校に通っている。それならなるべく早く帰り、安心させてあげるべきではないかと思うのですが」

 彼の言葉には自分の考えしかなく、私の意思など微塵も入っていない。意思の尊重とはいったいどこに行ったのだろうか。

 特に言葉を返すでもなく車に乗り込むと静かに動き出した。そこまで距離が離れていないため、神社には五分程度で着いた。

 家に帰っても私にはすることがない。せいぜい学校で出された少しの課題だけ。

 ほぼ閉じ込められるように部屋でじっとしている。何をするでもなく時間が過ぎるのを待つだけ。

 お風呂に入ってご飯を食べる。それ以外にすることがないなんて、なんだか寂しい気もするが私にとってはそれが普通。これ以外の過ごし方を知らない。そんな毎日を繰り返す。

 だが最近は楽しみなことが一つできた。夢だ。

 最近毎日のように夢を見る。夢といっても誰かの声が聞こえるだけで、私の名前を呼んでいるということ以外何を言っているのかわからないが、とても安心できる。

 心地よくて優しくて、あたたかい世界にたゆたう夢。懐かしい声が響いてくるあの場所だけが心休まる時間。

 今日も見れるといいなと思いながら布団に潜り込んだ。




『紡……紡、外へ……』

 またこの夢。懐かしい声が聞こえる。

『外の世界へ目を向けて。今のままではだめだよ』

 今までよりもはっきりと声が聞こえる。だが、やっぱり姿は見えない。

『どういうこと?あなたは、いったい誰なの?』

『君の力は魂の依り代ということだけではないんだ。新しい力をきちんと制御し、扱えるようにならなくては危険なんだ』

『どういうことなの?あなたは何が言いたいの?』

 新しい力とは何なのか。危険とは一体どういうことなのか。

 聞きたいことはまだまだあるのに、私の問いかけに答えは返ってこない。次第に世界が揺れ始め、気が付けば見慣れた天井が眼前に広がっている。

 私の力とはなんなのか、危険とは何か。心休まるはずの夢で疑問ばかりが増えていく。

「考えてもわからないし誰かに聞いてみようかな……でも、誰に聞けば。お父さんなら知ってるかな?」

 知らないとしても書庫には古い文献もあるし、それを読むのもいいかもしれない。

 そんな風に考えながら着替えを済ませると部屋の外から声がかかった。

「玉依姫様、御父上がお呼びです。併設の会議室までお越しください」

「わかりました。支度を終え次第向かいます」

 こんな朝から呼び出しとは一体何だろう。

「あ、フジくんの儀式のことか。」

 おそらく日取りが決まったのだろう。精霊たちの儀式は宿るものによって仕様が異なる。そのためにどういう風に行うかを決めなくてはならない。

 わざわざ力のある陰陽師が集まって会議をするなんて面倒だ。本当はこんなことをしなくてもいいんじゃないのかとも思うが、それでは陰陽師側の人間の気が済まないようだし仕方がない。

 精霊は道具じゃない。操り人形でもない。だからどれだけの精霊がいるかを把握するという名目で力を制御するなんて、私は納得できない。

 何とも言えない憤りを抱えながら私は会議室へと向かった。




 神社や居住スペースとはまた別に併設されている建物は三階建てで、中には会議室のほかに待合室や談話室などもある。つまり、来賓者を通すための建物だ。

 来賓といっても参拝者ではなく、陰陽師のようにお父さんと密接な関係のある人だけ。事務所のようにも思える。

 目的地の会議室は最上階の一番奥にある部屋だ。重要な話をするときに使われるため、扉の前には見張りもいる。

「姫崎紡です。父に呼ばれてきました。通していただけますか」

「聞いています。どうぞお通りください」

 見張りの人が扉を開けると、中にいた人たちが一斉にこちらを見た。

「来たか。紡、そこの空いている席に座りなさい」

 上座に座る父に従って、私は末席に座った。

「ではさっそく本題に入ろう。まず紡、新たに精霊が現れたというのは本当か?」

「はい。神社の裏にある藤棚の精霊です」

 私が父の質問に答えると会議室が少しざわついた。

 あの藤棚に、ついに藤棚から、などと口々に言葉を発している。彼らの表情を見るに、フジくんが生まれたことは喜ばしいことなのだろう。私だって新しい仲間ができることは嬉しく思う。

 だが、この会議室の人間はそんな風には思っていないだろう。

 長い年月をかけて生まれてくる精霊は、その年月に比例して力を持つ。そのため神社が建てられる以前からあった御神木である桜の精のサクラは神に近い力をもちながら、精霊としての力も強大だ。

 そしてあの藤棚も、桜ほどではないが神社設立当時からあるもの。おそらく強大な力を持っているだろう。陰陽師はその力にしか目を向けていない。

「静かに」

 父の発した一言で室内は一気に静まり返った。

「あの藤棚から精霊が現れ嬉しいのはわかるがまずは落ち着け。儀式の日は一週間後だ。それまでに儀式の準備を進めなくてはならない。まず必要なものだが……」




 会議室から出るころにはお昼前になっていた。朝ご飯を食べる暇もなくずっと会議に参加していたためおなかはペコペコだ。

 早めの昼食にしようと居住スペースのキッチンに行くと一人の女性がいた。

「おかあさん?」

「あら、紡!会議はもう終わったの?」

「うん。朝ごはん食べ損ねたから早めのお昼ご飯にしようと思って。お母さんは何してるの?」

「海斗さんたちに差し入れをと思っておにぎりを作っていたのよ。でも会議が終わったってことはもう会議室にはいないかしら」

「まだいるよ。他にも話し合うことがあるみたいで私だけ先に出されたの」

 何を話し合うのかは知らないが厄介な話なのはわかっている。

 私が会議室を出るときの空気が明らかに変わったからだ。全員が殺気を放っているというか、何かに対する嫌悪の感情をあらわにしているというか。

 あの感じからすると妖絡みなんだろう。

 それに、父の言葉も引っかかる。『』とはどういうことなのか、藤棚には以前も精霊がいて今まで消えていたということなのか。

 会議のことを考えこんでしまっていたのか、気が付くと目の前に心配そうな母の顔が浮かんでいた。

「紡?どうかしたの?」

「あ、大丈夫。少し考え事をしてただけだから。さて、お昼どうしようかな」

 母はまだ心配そうな顔をしていたがやがて元のかわいらしい笑顔に戻った。

「それならまだご飯が余ってるから使ってもいいわよ。私は海斗さんたちにこれ持っていくわね」

 そのまま母はキッチンを出て行き、私だけ残された。





 簡単にチャーハンを作り終え一人で食べていると朝考えていたことをふと思い出した。

 新しい力のことや私に降りかかろうとしている危険など、父に聞こうと思っていたのにそんな暇もなく会議室から出されてしまったのだ。

 父を待つこともできるがいつ会議が終わるのかわからないとなれば時間の無駄になってしまう。

「やっぱり書庫で資料探したほうがいいかな。危険がどうとかはなくても玉依姫に関する資料ならあるはず」

 おそらく勝手に行くと後々面倒なことになるかもしれないから誰かに声をかけなくてはならない。これは本当に面倒だ。神社の中なら自由に行動してもいいようになれば楽なのにとどれだけ考えたことだろう。

 これではまるで籠の鳥みたいだ。どこにも行けない、飛べない鳥。

 そんな風に自虐的な考えになっているというのに口元には笑みがこぼれていた。苦笑と言ってもいいかもしれない。

「飛べない鳥、か。紡はこれからもここにいるのか?」

 いつの間にかキッチンの入口にフジくんが立っていた。しかも、考えが声に出ていたようで聞かれてしまった。

「外に出てみたいとは、思わないのか?」

 フジくんは再び質問をよこした。無表情のままだから何を考えているのかは読み取れず返答に困っていると、フジくんは目をうつ向かせて小さく「すまない」と呟いた。

 なぜ謝るのか、不思議に思っているとフジくんと目が合った。

「紡にはこれからも笑っていてほしいと思っている」

「……突然、どうしたの?私はこれからも笑って過ごしていられると思ってるよ」

「今のような笑顔ではなく、心からの笑顔を、昔のような笑顔を取り戻してほしいと、願っているんだ」

 その言葉を聞いて、私は答えることができなかった。図星をつかれた気分になってしまったからだ。

 確かに今思えば最後に心から笑ったのはいつだったか思い出せないでいた。それだけではなく、自分の意思というものを表に出さなくなってしまっていた。だが、それでいいと思っている。

 自分の意思を胸の内に閉まっておいても何も問題がないから、誰にも迷惑をかけずに済むから。

「時間は流れていくもの。それがこの世の理」

「そうだな」

「一度失ったものは、もう戻らないの。昔みたいに笑えなくても、今だって十分笑って過ごせているんだから、平気よ」

 何が平気なのか、自分で何を言っているのかよくわからないまま口に出していた。

 案の定フジくんは気まずそうに黙ってしまった。

 そんな重苦しい空気を払拭するかのように私は話題を変えた。

「そんなことより、私これか書庫に行くの。フジくんも一緒に来る?」

 私の誘いにすぐ頷いてくれた。

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