1章  玉依姫

 ―――白木神社の玉依姫たまよりひめ―――

 それが私の肩書。どこの神社にもいるような普通の巫女なのに、私が持っている力のせいで玉依姫なんて呼ばれることがある。それに本当は素質があるだけで玉依姫なんて大仰なものでもない。



 私は、空っぽなんだ。



 玉依姫とは日本神話に出てくる女神のことで『神霊の依り代となるヒメ(巫女)』という意味らしい。私の肩書の意味も同じで「神の依り代」ということだ。俗に妖と呼ばれるものを見ることができるのは「見鬼けんきの才」と呼ばれる。私にもそれがあるがそれだけではない。もっと上の存在、八百万の神々や精霊たちを見ることができ、彼らの魂の依り代となることができる。それが玉依の力だ。かんなぎという精霊と意思疎通ができる人も存在し、小さい頃は玉依か巫のどっちかだと言われていたらしい。「玉依姫」はそれらをまとめる一番上の位のことだ。

 見鬼の才を持つ人間も今ではその筋の家系の一部だけでそう多くはない。そうなれば私のような者なんてさらに少ない。母曰く、玉依は日本神話の女神さまの生まれ変わり、もしくは女神さまの魂の一部を持っているらしい。そんな人の話を聞いたことはないから、秘匿されていない限りは日本に私一人だけだそうだ。だからこそ玉依のトップである玉依姫と呼ばれている。

「はぁ」

 部屋の窓から外を眺めてため息をつく。毎日それの繰り返しだ。

 玉依姫の素質というのはとても貴重なようで、学校以外で外に出ることは禁じられている。学校に行っても、この白木神社がここら一帯の総元締めである地主ということだけで進んで近づこうという人はいない。たまに話しかけてくれる人もいるし遊びに誘ってくれる人もいるがすべて家の者の手によってカットされてしまう。お陰様で私には友達と呼べるがいない。

「つむ!遊びに来たわよ!」

「サクラ、今日も来たのね」

 そんな風に物思いにふけっていると元気な声が部屋に響いた。

 後ろを向くと中学生くらいのかわいい女の子が立っている。

 桜の柄がきれいな薄桃色の着物をミニドレスに仕立てたものを着ていて赤い鼻緒の下駄をはいている。腰まである長い髪は暗めの茶色で桜の髪飾りをつけている。無邪気な笑顔で私に抱きついてくるその子の頭を私はそっと撫でた。

「今日は何をして遊ぶの?この部屋には余り物がないから何もできないかもしれないけど」

「今日は何もいらないわよ!なんてったってお外に行くんだもの!」

「外?私出られないけど…」

「神社の中ならいいのよね?じゃあ大丈夫だよ!お散歩だから」

 神社の中だとしても建物の外に行くなら誰かに声をかけなければいけない。

 私たちはそろって部屋を出て社務所の巫女さんの元へ散歩することを伝えに行った。



「わざわざ人間に声をかけないと建物からも出られないって窮屈じゃないの?」

 私の手を握っているサクラがふとそんなことを聞いてきた。

 確かに面倒だし、窮屈だと感じていた時期もあった。この家から逃げ出そうと思ったことも。だが、そんなことをしても結局神社の周りを囲むようにしてかけられている私と妖が対象の結界のせいで簡単には出られない。無理やりこじ開けることは私にはできないし、かといって解除することもできない。術者の許しがない限り出ることができない。

 そう理解してからは逃げることを諦めてしまった。それに、この中にいれば少なくとも危険な目に合う確率が下がる。あんな目に合うのはごめんだし、私を守るため、不用意に外へ出すことはできない。そんなことを両親から言われてしまえば何も言い返すことはできない。

 だから、もういいんだ。

 そんな風に言われるままに神社の中で生活をしているうちに私は空っぽになってしまった。悲しいも、嬉しいも、私にはわからない。表面だけ取り繕うように笑顔を浮かべ、人と言葉を交わす。

 まるで、生きた人形のように。

 それでも私は、そんな自分を悟られないよういつものように笑顔でサクラに言葉をかけた。

「確かにできることも限られちゃうけど、もう慣れたから。それにサクラや他の子たちだって遊びに来てくれるから毎日楽しいよ」

 そんな私の言葉にサクラは少しムッとしたように眉間にしわを寄せていたいた。

 どうかしたのか聞いてみても首を振るだけだった。

「なんでもないわ!早く行かないとお散歩する時間なくなっちゃうわよ」

 そう言って私の手を引いて走り出した。

 引っ張られるままに私も廊下を進んでいると横から声が響いた。

「紡様?どちらに行かれるのですか?あなた様は大事な玉依姫です。むやみに動き回らず部屋にいるべきです。外に出てはなりません」

「あなたは確か、陰陽師の」

夜神やがみあずまと申します。神社周辺の結界を張るお手伝いをさせていただいております」

「そう。確かにあなたの言う通り、私はむやみに外へ出てはいけないといわれています。ですがそれは用があれば出てもいいということです。今回は神社の中を散歩するだけですのでご安心ください」

 サクラが待っているし早口でそう答える私に東と名乗った男性はわかりやすく訝しんで見つめてくる。

 何か不審に思われることでも言っただろうかと少し考えていると男性が口を開いた。

「神社の中を散歩、ですか。わざわざ神社内を散歩する必要があるのでしょうか?ただただ歩きたいということなら外に出ずとも拝殿やら社務所やらを歩けばいい。外の空気が吸いたいというのなら中庭にでも行けばいい。外に出る必要はないと思われますが」

 なるほどそういうことか。彼にはサクラがから私が一人だと思ったのか。それなら何を言っても無駄だろうな。

 手っ取り早く証明するにはサクラに手伝ってもらうしかないか。

「東さん、見鬼の才を持っていますか?」

「は?まあ、ありますが。それがなにか?」

 サクラに手招きをして耳元でささやいた。

「あの人に私がサクラと一緒にいるっていうことを証明しなきゃいけないの。だから私に憑いてサクラの紋章を出してくれない?」

 そういうことならということでサクラは快く承諾してくれた。

 東さんに再び向き合って彼の目をじっと見つめる。

「一つ、訂正していただきたいことがあります。私は一人ではありません。あなたには見えないでしょうが、すぐそばに桜の精がいます。あなたはどうせ信じないでしょうから証拠も出します」

「はっ、何を言うかと思えば。証拠なんてどうやって出すというのですか。お遊びはいらないので早く部屋に、」

 彼が何か言っている間にサクラは自分の姿を光に変え、私の中へと入っていった。

 その瞬間、私の体は薄ピンクに光始めた。胸の中があたたかい感じがする。サクラが中にいる証拠だ。

「ほら、ちゃんと紋章もあるわよこれでいい?」

 袖をめくった腕には桜の模様がしっかりと浮かび上がり淡く光っている。玉依姫に憑いている間は見鬼の才を持っていれば周りの光も紋章も見ることができる。

 私はサクラに憑かれているという状態だから意思はあるけど体を動かすことはできない。つまり今話しているのもサクラということになる。向こうも声の質で私が私でないことはわかっただろう。極めつけに桜の紋章があるしこれで理解はしてくれるはず。

「これは、この神社の御神木の紋章ですか?本当に、あなたは精霊なのですか?」

「だから、本当だって言ってるじゃない。声だってつむの声じゃないししゃべり方も違うでしょ。もういい?」

 彼がすみませんと謝罪をこぼすと同時にサクラが私から出た。

 すると光っていた体も腕の紋章も消えた。

「わかっていただけて何よりです。では、サクラと散歩をしてきますのでこれで失礼します」

 廊下に男性を残して私たちはまた歩き出した。

 進んでいる方向に違和感を持ったのか、サクラが不思議な顔をこちらに向けた。

「ねえつむ?これって社務所に向かってる?さっきの人間に言ったんだからもうよくない?」

「あの人はこの神社の人間じゃないから駄目だよ。まあお父さんに話は伝わるかもしれないけど、ちゃんと神社の巫女さんを通さないといけない決まりだから」

 そう説明してもサクラは口をとがらせてぶつくさ言ってるままだった。

 そんなサクラに微笑みながら歩いていると社務所についた。

 襖から中をのぞいているとそれに気づいた巫女さんがそばに来てくれた。

「あらあら紡様、どうかなさいましたか?」

「咲さん、実は少し外に出たいと思いまして。神社の外にはいきませんので付き人はいりません」

「また、どなたかの遊び相手ですか?」

「はい。今日はサクラと散歩してきます」

 私が産まれてすぐにこの神社へ来た咲さんは私のことを様付けで呼ぶが普通の巫女と変わらない接し方をしてくれる少ない人物だ。私も随分と気を許していると思う。

 微笑みながら「葵様にお伝えしておきますね」と言って外まで見送ってくれた。



「あのね、つむ。今日は紹介したい子がいるの!」

「紹介したい子?」

 この神社にいる精霊たちとは全員と顔を合わせている。どれだけの精霊がいるのかを確認するために必ず私が確かめるのだ。時間がたつにつれてその数は変わってくる。宿っているものの寿命で消えてしまったり、逆に新しく生まれたり、めったに数は変わらないが数年に一度は新しい精霊が生まれる。

 今回はどんな子なのか、サクラに聞いてみると「会ってからのお楽しみ!」と笑顔で返されてしまった。

 私の手を引いてサクラが向かったのは境内の奥にある小さな森だった。あまり奥に行ってはいけないなと考えるもそれは杞憂に終わり、入ってすぐのところにある神社自慢の藤棚だった。

「おーい、フジくーん?どこー?」

 サクラが声をかけると柱のそばに長身のきれいな男性が現れた。とても儚げで、目を離すと散ってしまいそうな、そんな男性だ。

 そういえば、ずっと前からある藤にはまだ精霊がついていなかったなと、いまさらになって気づいた。

「おい、娘」

 無言で見つめ続ける私に違和感を抱いたのか男性が口を開いた。

「貴様は誰だ?」

 見た目とは裏腹に芯のこもった声だった。口は少々、いや、結構悪そうだ。

 少しムッとするが自己紹介はしなくてはと思い口を開こうとしたら突然サクラが大きな声を上げた。

「こら!そんな風な口の利き方はよくないわよ!それに今日つむを連れてくるわねっていったでしょ?私たち精霊の拠り所だし、何かあったときは守るのが役目になるのよ?そんな不機嫌じゃなくてもっとにこやかに!」

「いいんだよサクラ。私もじっと見つめちゃったし、気分悪くなるのもしょうがないよ。改めて、えっと、フジくんでいいのかな?私はこの神社の巫女、姫崎紡です。玉依姫なんて呼ぶ人もいるけど、大体の人は名前で呼ぶからフジくんもそう呼んでくれると嬉しいかな」

「紡?しかもその声、お前が、紡なのか?」

 私の自己紹介を聞いてフジくんは目を大きく見開いた。

 あの時とは、いったいどの時のことを言っているのだろう。そもそも生まれたばかりのフジくんは今日初めて私とあったはず。それなのに昔会ったことがあるみたいな言い方は少し引っかかる。

 どういう意味なのか聞こうと口を開くよりも先に彼は私の手を取りひざまずいていた。

 私は突然の出来事に呆気にとられているし、サクラも驚いている。だが、彼はいたって真剣な目をしていた。

「私はずっとあなたと話してみたかった。こうして姿を持つことができ、とてもうれしく思う。やっとあなたに触れられる。昔はあなたの声を聞くだけしかできずとても歯がゆく感じていた。最初はだいぶ雰囲気が変わっていたので気が付かなかったが、その声を忘れたことは一度もない。それに紡という名前、それも一致する。あなたが玉依姫だったなんてあの頃は知らなかったが、そうであるなら私はこの刀であなたを守る。どうぞこれからよろしく頼む」

「まってまって。昔って、いつの話をしているの?私がこの藤棚に来たことはないはず、それなのにどうしてあなたは知っているの?」

「覚えていないのか…」

 彼はそう小さくつぶやくと少し寂しそうに立ち上がり、藤棚の柱に手をついてぽつぽつと話し出した。

「紡、何度もその名前をここで聞いた。私が姿を持つ前、意識だけはすでにあったんだ」

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