ブライダルベールの花言葉

takemot

ブライダルベールの花言葉

 向かい風が、私の頬をかすめる。私の手には花束。風に乗った花の香りが、ふんわりと鼻腔をくすぐった。


「これが本当の薫風! ……はあ、何言ってんだろ私」


 少しだけ、テンションを上げてみる。ただ、私の口から出たのは溜息。当然だ。元から私のテンションは低いのだから。


「ダメダメ。今日は二人にお祝いを渡しに来たんだから」


 そう呟き、無理やり笑顔を作る。だが、足取りは重い。





 真新しいアパートの真新しいドア。それが今、私の目の前にある。今、私が住んでいるアパートとは大違いだ。


 インターホンを押す。ドアが開き、一人の男性が顔を見せた。彼は、にこりと私に微笑む。


「妹さん、いらっしゃい。早かったですね」


「……姉さんは?」


「実は、ちょうど今、出かけてるんです。さ、中に入ってください」


 彼は、私を部屋の中に招き入れようとした。だが、私はゆっくりと首を横に振る。


「大丈夫。今日は、二人の結婚祝いを渡しに来ただけだし。それに、この後は予定もあるしね」


 私は今、きれいな笑顔を作ることができているのだろうか。まあ、鈍感な彼のことだ。ちょっとくらい歪な笑顔でも、彼なら気が付かないだろう。


 私は、手に持っていた花束を彼に差し出した。


「ありがとうございます。綺麗ですね、この花」


「ブライダルベールって言ってね。新婚の二人にはちょうどいいかなって。ちなみに、花言葉は『幸福』だよ」


 私の言葉に、彼はまじまじとブライダルベールを見つめる。そして、一言。


「妹さんにこんなセンスが……って、痛いです。叩かないでください」


 軽口をたたく彼の頭を、私はパシリと叩く。


 そんなやり取りが、妙に嬉しかった。





「さて、お祝いも渡したことだし、私は帰るね。二人の愛の巣にいつまでもいるのもなんだかむず痒いし」


 そう言って、私は彼に手を振る。


 今度はいつ彼に会えるのだろうか。いや、もしかしたら、もう彼には二度と会うことはないのかもしれない。むしろ、その方がいいのかも。だって、彼は、姉さんを選んだのだから。


「妹さん」


 帰ろうとした私に、彼は声をかけた。


「何?」


「実はですね。生活が落ち着いて、資金がたまったら、お店を始めてみたいなと思ってるんです」


「お店?」


「はい、来る人皆が癒されるようなお店。まあ、どんなものにしようとか、具体的な構想はないんですけど」


 彼は、恥ずかしそうに、少し顔を赤らめてそう言った。


 彼の言葉に驚く私。まさか、彼がそんなことを考えているなんて思っていなかった。彼がとんでもなく優しい性格なのは知っているが、まさか、『来る人皆が癒されるようなお店』なんて……。


「それでですね、お店ができたら、妹さんにもぜひ来てほしいんです」


 私の心臓がどきりと跳ねる。


「私に?」


「はい、なるべく、妹さんが通いやすい所に作りたいなーとも思ってまして」


「どう……して……?」


 もう二度と会うことはないのかも、そう思ったところだったのに……。


「だって、妹さん、忙しい身ですからね。きっかけでもないと会えないじゃないですか」


 どうして彼はこんなに優しいことを言うのだろうか。


 彼の言葉に、私は沈黙するしかなかった。


「えっと……妹さん?」


 心配そうに私の顔を覗き込む彼。


 本当に……もう……。


「……じゃあ、楽しみにしてるね! あ、そうだ。構想ないなら、バーとかどう? いろんなお酒が飲めるの。私、最近お酒にはまっててね」


「バーですか……。いいですね。まあ、まずはいろいろ勉強してからですけど」


「じゃ、お店ができたら連絡してね。ずっと待ってるから」


 そう言って、私は駆け出す。後ろから聞こえるのは、「また連絡しますねー」という彼の声。さよならの言葉は、言わなかった。


 軽い足取りで走りながら、私は『願い続ける』。彼が、私のことをこれからも思っていてくれるようにと。


 それは、ブライダルベールのもう一つの花言葉。

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