第38話 互いの想い
数刻前まであれほどの大捕物がなされたと言うのに、夕刻の王城内はどこまでも穏やかだ。
わたし達は、お父様の提案で家族のみのゆっくりとした時間を設けることにした。
「……成る程、そういうことだったのですね」
新しく家族に加わったディウラートは、そう言ってひとつ頷いた。
訳もわからないままこの国の王子となってしまった彼は、大いに混乱している様子でわたしに説明を求めて来たのだ。
そこで、互いにことのあらましを説明し合うことにした。
わたしは、ディウラートの存在を知った頃の話から、事件の細かな内容や、今に至る経緯までを話す。
ディウラートも、たどたどしくではあるものの、自らの生い立ちや、新しく知り得たアールヴの情報を教えてくれた。
「つまり、マリーは実は王女で。しかも私は名捨て人ではなく、この国の王子になったと……?」
ディウラートは自分でそう口にしながら、理解できないというように頭を抱えた。
「そうだ。そして私達が、其方の新しい父と母だ」
お父様とお母様が、優しい視線を向ける。
心からディウラートを歓迎していることが伝わり、わたしはそっと胸を撫で下ろした。
「こ、国王陛下と王妃殿下が、私の……?そんな、畏れ多い」
竦み上がって小さく震えたディウラートが、俯いて言った。
わたしの義弟でもあると伝えれば、ますます顔色を悪くしてしまった。
国王と王妃、王女に囲まれれば、誰しもそうなってしまうだろうから仕方がない。
「ディウラート、嫌ならそう言ってね。貴方を救うためにしたことだけれど、わたしの独断だったもの。だから無理をしないで、これからは貴方の望むものを遠慮なく言っていいのよ」
わたしの言葉に、ふるりと、ディウラートが頭を振った。
杖をぎゅっと握りしめて身構えていた体勢を崩し、こちらを向く。
彼の今までの生活を思えば、きっと人前で杖を手放すことは本当に恐ろしいことだろう。
それでも、彼は真摯な瞳でわたしを見た。
「私は、貴女とならどんな苦しみの中でも生きていけると、そう思ったからあの提案に応じたのです……。ですから、嫌などと、そのようなことは思っておりません。貴女と共に居られるのなら、私はそれで……」
震えたディウラートの声が、わたしの心を激しく揺さぶった。
やはり彼が好きだと、思わざるを得なかった。
「ディウラート」
愛しさが込み上げ、わたしはたまらず彼の名を呼んだ。
彼は、微かに口角をあげて、真っ直ぐにわたしを見つめ返してくれる。
あれほど表情に感情をのせることを不得手としていた彼なのに、驚くほど優しい顔を向けてくれる。
何と、嬉しいことだろう。これからは何も気に止めることなく、彼と穏やかに暮らしていけるのだ。
わたしは満ち足りた気持ちで、ほう、と息を付いた。
「其方が我が家族の一員となることを心から歓迎する。我が愛する息子、ディウラート」
「ディウラート。はじめは慣れな事も多いでしょうが、この母を頼って下さいませね」
お父様とお母様の言葉に、ディウラートはこくりと頷いた。
先程まで居心地悪そうに視線をさ迷わせていた彼の肩から、少し力が抜けたのがわかった。
「ところでマリエラ。何か忘れていませんか?」
ディウラートとの話が一段落すると、ふいにお母様が言い出した。
わたしは首を傾いで考える。何かあっただろうか?
「マリエラ。この冬の終わりに、其方はいくつになるのだ?」
呆れ混じりに笑いながら言うお父様の言葉に、わたしははっとして声をあげた。
「あっ、婚約!」
「婚約……?」
不思議そうな顔をするディウラートに構う余裕もなく、わたしは一瞬間に様々に思考を巡らす。
そもそも、全てのことの始まりはこの婚約の話だったのだ。それを、すっかりと忘れてしまっていた。
わたしは改めて婚約者候補として名の上がっていた者の顔を思い浮かべる。
そこには、数日後に処刑を控える犯罪者となってしまったゼウンと、新たな一面を垣間見て頼もしさの増したセルバーの顔がある。
そして、わたしの愛しい人の顔も、そこにはあった。
セルバーとは一応、婚約内定という形になっている。
けれど、そのセルバー自身がわたしに言ったのだ。我が儘になれ、と。
「お父様、お母様。わたくし、セルバーとの婚約内定を破棄したく思います。セルバーには既に了承を得ています」
わたしが言うと、お父様は面白そうに笑みをつくった。
「ほう。では、一体誰と婚約をするのだ?あてはあるのか?」
わかりきった質問に笑って頷く。
「はい、勿論です。けれど、彼が求婚を受けてくれるかわかりません。応援して下さいますか?」
わたしが意気込んで言うと、お母様がクスクスと笑った。
「あらあら」
お父様と顔を見合わせて笑い合っている。
わたしは本気で心配をして言っているのに、二人だけとても楽しそうで少しむっとしてしまう。
「勿論、私たちはマリエラを応援している。頑張っておいで」
にやにやと、両親からの生暖かい視線に送り出され、わたしはディウラートに向き直った。
マリーと陛下、王妃殿下の交わす会話に付いて行けず、私は首を傾げた。
そもそも、自分が王子となったこともいまだに信じられていないのだから、いちいち正しく状況判断ができるはずがなかった。
「ディウラート、少しいいかしら?」
ふいに、マリーが居ずまいを正して問う。
彼女が王女で、私の義姉になったことも、まだまだ受け止めきれていなかった。
私はマリーの雰囲気の変化に気が付き、表情を固くした。
「何でしょう?」
緊張した面持ちで深呼吸をし、頬を染めてそわそわとする彼女に、胸がざわめく。
マリーはおもむろに席を立つと、騎士のように私の前に膝をついた。
「ディウラート、貴方を愛しています。貴方にはこれ以上苦しんで欲しくない。幸せに笑っていて欲しい。そしてそれが、わたくしの隣であって欲しいのです。わたくしは、生涯貴方と共に有ることを望みます。この手を取り、我が夫となって下さいませんか?」
私はしばらく呆気にとられていたが、やがてぎょっとして勢いよく椅子から立ち上がった。
「ま、マリー!?」
徐々に顔が熱くなっていくのがわかる。心に渦巻く感情の波が激しく私を襲う。
私は、膝をついたままのマリーを立たせて、しっかりとその瞳を見据えた。
本当にいいのか?と罪悪感がさいなむ。けれど一方で、溢れだす歓喜に溺れそうな自分が居た。
私の知っている下流貴族の令嬢、マリーはもう居ない。けれど、彼女は彼女だった。
マリーが下流貴族であろうと王女であろうと、さして違いはない。
身分がどうであれ、私が慕ってやまないのはマリーだけなのだった。
葛藤したのは一瞬のこと。私はマリーの手を取った。
「私も貴女を愛しています。貴女と生きて行きたい。望んで下さるなら、生涯を貴女と共に有ることを約束致します」
言葉足らずだと、いつも彼女は私を叱った。
だから、精一杯の言葉でこの想いを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。
マリーはおかしそうに笑っていて。泣きたいほど愛しかった。
彼女はいつも私の想像を遥かに越え、私の望むものを与えてくれた。
希望や愛情、忘れていた沢山の感情を、もう一度教えてくれたのだ。
何よりも愛しく、私の支えとなってくれたマリー。
そんな彼女に望まれたのだ、どうして断れようか。
私がぎゅっとマリーの手を握ると、彼女は何を思ったのか、その手を勢いよく引き寄せた。
体勢を崩した私は、前へふらつく。
その時、ふいにマリーの顔が近付き、一瞬頬に柔らかなものが触れて去っていった。
驚いてマリーを見ると、上目遣いにこちらを見る瞳と目が合う。
――あぁ、この人は。何て愛しいのだろう。
頬に口付けられたことを理解し、途端に触れられた場所が熱を帯びる。
国王夫妻から祝福の言葉が贈られ、私たちは正式に婚約するこことなった。
マリエラ・アレクシス・ヴィデーン・エルランス
ディウラート・アドティア・アレクシス・ヴィデーン・エルランス
二人の名が記された婚約の契約書が、婚約成立の証である淡い光に包まれた。
離宮に閉じ込められた幼い少年はもうどこにも居ない。
突然この国の王子となった私は、同時に、義姉となった王女マリエラの婚約者となったのだった。
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