第3話 春を招く会(2)
儀式が終わると、今度こそ社交の始まりだ。
大勢が一斉に動きだすので、大広間は一気に騒がしくなる。
華やかな社交場は、その実貴族たちの腹の探りあいだ。下位や中位の者はより優勢な派閥につくため、上位の者は派閥拡大や王族との関係を築くために、思い思いに動いて行く。
王弟一家がお父様の元へ挨拶に向かうのを横目に確認して、わたしはさっと会場全体を見回した。
婚約者候補たちの姿を探すが、さすがにここまで人数が多いと見つけられない。
少なくともわたしの元に挨拶にはくるはずなので、それ程焦りもないが。
そのかわり、入場直前から姿が見えなくなったリュークの姿を発見した。文官のくせに警備にあたる騎士の格好をして、自由に会場を動いている。
何をしているのだ、と言いたいところだが、正直今更すぎるので何も言うまい。
リュークによると、社交場でもっとも簡単に有力な情報を手に入れるには、会場を自由に動きまわれる護衛騎士に扮するのが一番らしい。騎士はそこに居るのが当たり前なので、近付いても誰にも気にされず、盗み聞きがしやすいのだとか。
突っ込みどころは満載だが、甲冑に身を包んだリュークが生き生きと楽しげに手を振ってくるので、わたしは呆れて笑ってしまう。文官というより、もはや諜報員だ。
と、ここでふと思い出す。ディウラートとという人物の事だ。
儀式の緊張からどこかへ行っていたモヤモヤが、再び戻ってきてしまった。悶々としていると、ふいに声をかけられる。
「王女様、ご挨拶宜しいでしょうか?」
はっと視線をあげると、ゆったりと微笑む細身の若者がわたしの目の前に立っていた。
ゼウンを除く婚約者候補の中で最も身分の高い傍系王族の若君、セルバー・ミルドだ。
いきなりの婚約者候補の登場に少し驚いたが、それを悟られないように微笑む。
「ええ、よろしくてよ」
わたしが頷くと、彼は跪いて首を垂れる。
「深く降り積もる雪を溶かし、大地に新たな芽吹きをもたらす春の光輝くこの日。暖かき木漏れ日のもとに御目にかかれました事を、心より嬉しく存じます。王女様」
これは、春の到来したこの素敵な日に会う事ができて嬉しい、という内容の挨拶だ。
わたしも規定に乗っ取って答える。こちらは王家のみが使う言い回しで、折角出会えた貴方にも春の光が行き届くよう祈って差し上げます、という内容になる。
「ミルド家セルバーに、新たな芽吹きをもたらす春の光が降り注がんことを。わたくしも御目にかかれて嬉しいです、セルバー」
立つように促すと、彼は断りを入れて立ち上がった。
わたしはそっと考える。他の婚約者候補たちはあまり繋がりのない者も居るので、この場では人となりを見ておくつもりなのだ。
だが、セルバーは比較的よく顔をあわせるので今更だろう。物腰が柔らかな好青年である事は知っている。
世間話のついでに、今の時点でそういうお相手がいるかどうか探りをいれてみる。
「セルバーはこの冬で成人したのでしたね?春には何か、新たに芽吹く芽もあるのではございませんか?」
遠回しに、もう成人したのだから良い人との婚約などを考えているのでは?と聞いてみる。
セルバーは人好きのする笑顔を苦笑にかえた。
「そんな、まさか。歳の離れた妹に魔力量で劣ってしまうような私を、好いて下さる女性など居ないでしょう」
おっとりと、彼は否定した。
彼が、自分より魔力を多く持って生まれた妹に負い目を感じているの事は知っている。魔力の量は、貴族として生きていく中でとても重要となってくるからだ。
けれど、その負い目を感じさせない優秀な若者であることも、確かなのだった。
「そう仰る王女様はどうなのです?ゼウン様とのお噂は本当なのですか?」
セルバーの質問に、わたしはため息をついた。一刻も早く否定しなければならない。
わたしが口を開こうとした瞬間、他の声がそれを肯定した。
「ああ、本当だともセルバー。私と王女との婚約は既に決まっている。そうだろう?」
突然わたしとセルバーの会話に割り込んできたのは、噂の当人ゼウンだった。
セルバーは一瞬虚をつかれたような顔をしたが、すぐさますっと下がってゼウンに場所を譲った。下位の者は上位の者には逆らえない。当然の行動だ。
わたしは、挨拶もなしに会話を邪魔したにも関わらず、当然という態度でわたしに笑顔を向けてくる彼に心底腹がたった。
次期国王の夫、という地位にしか興味のない彼と、どうして婚約などできようか。
わたしは、言葉が荒々しくならないように注意して言葉を発する。
「あらゼウン。会話を遮ったうえ、挨拶も無しですか?急かずもと大丈夫ですのに。今からでも仕切り直しましょう」
挨拶をきちんとして、会話を邪魔した事を一言謝ってくれれば、何もなかった事にしますよ。という内容を、急ぎだったのかしら?と皮肉を込めながら微笑んで言う。
王女の言葉を遮ったのだから、本来許されない無礼行為だ。
身分をわきまえて謝りなさいと、オブラートに注意をする。
一歩下がって事の成り行きを見守っていたセルバーは、言葉の意味を理解したらしく顔が青ざめている。
それはセルバーとゼウンについている側近たちも同様だ。皆が顔色を失ってわたしとゼウンの様子をうかがう。
そんなまわりの様子には一向に気づかず、ゼウンがわからないと言うように目を瞬いた。
「私と君は婚約者同士だろう?つまり君は私より上の立場ではないのだ。なぜ私が君に祈りを貰わなければならないのだ?」
これは、わたしの言葉の意味が理解できていないのだろうか?性格と頭の悪さに拍車がかかっているのは気のせいか?
わたしは頭を抱えたくなるのを必死に堪え、笑顔を保つ。
「何か勘違いをされているのではなくて?わたくしは貴方と婚約した覚えはありません。仮に婚約をしていたとしても、次期国王であるわたくしと貴方が対等な立場となる事など、決してありませんわ」
今度は分かりやすくはっきり言ってあげると、ゼウンはキッとわたしを睨んだ。
「何を言うか、無礼な。母上に言いつけてやるぞ!」
ゼウンのあげた大声に、会場中の視線が集まる。何だ何だとわざつきはじめた。
わたしは呆れてものも言えない。いい年をして母親に言いつけるなんて、子供でもあるまいし。いくらなんでもあり得ない。
貴方たちの坊やが癇癪をおこしてますよと、わたしの叔父夫婦でもある王弟夫妻に視線をやる。
王弟は興味無さそうに目をそらしたが、王弟妃はにこりと笑ってこちらへやって来た。
王弟は基本的に、家族にすら興味を示さず国の政に没頭する人間なので、息子の事も気にならないのだろう。
やっとこの癇癪坊やから解放されそうだ。
そっと息をついていると、王弟妃がわたしの前に跪いた。
会場中が、事の成り行きを見守る姿勢に入っている。
「深く降り積もる雪を溶かし、大地に新たな芽吹きをもたらす春の光輝くこの日。暖かき木漏れ日のもとに御目にかかれました事を、心より嬉しく存じます。王女様」
「王弟妃ウォルリーカに、新たな芽吹きをもたらす春の光が降り注がんことを。わたくしも御目にかかれて嬉しいです」
きちんと挨拶をしてくれた事に満足してわたしが微笑むと、ウォルリーカは一瞬ニッと口角をあげた。
弧を描く真っ赤な唇に、ぞわりと悪寒が背中をはしる。何だか嫌な感じだ。
ウォルリーカは、跪いたままで言葉を発した。
「我が子であるゼウンがお騒がせをしてしまい、大変失礼を致しました。非礼をお詫び申し上げます」
「ええ、許します」
わたしは軽く頷いて、詫びを受け入れた。
一件落着かと思ったその時、ウォルリーカがさらに低く首を垂れる。いったい何だと思っていると、彼女は口を開いた。
「あの、恐れながら王女様。ゼウンが無礼を働く原因となった王女様の先程のお言葉は、どのようなお心から来たものなのか教えて頂けないでしょうか?確かにゼウンにも非はありましたが、王女様にも非があったように思います」
「いったい、どういう事でしょう?」
何を言いだしたのかわからず、わたしは聞き返す。
嫌に視線が集まっていくのを感じる。
「婚約者であったとしても、次期国王であるご自身の方が立場が上なのだ、と仰いましたよね?そのように言われたのであれば、婚約者であるゼウンが憤るのは当然ではございませんか?」
すっ、と血の気が引いた。わたしに非はない。それは自信を持って言える。
だが、この状況は非常にまずい。
目の前に跪く王弟妃。それを見下ろすわたし。端から見れば、権力を振りかざして理不尽に目下の者をいじめる悪者だ。
はめられた、と思った時には遅く、会場がざわりと揺れる。
わたしがそんな意図で発した言葉でなくても、今の状況がそれを信じさせる。
王女がそんな事を?ゼウン様が可哀想だ。そんな声が一部の貴族たちから漏れ聞こえてくる。
ゼウンを見れば、彼は得意げな顔でこちらを見ていた。
焦りを押し殺して、穏やかな笑みのままどう言い返すのが得策か必死に考える。ウォルリーカが何を意図し、何が狙いでこうしているのかわからない。
「真に対等となる事は無かったとしても、婚約者同士であるならば、王女様も少しは譲歩すべきなのではないでしょうか?ゼウンは王女様の未来の夫なのですから」
ウォルリーカの言葉に、わたしはそういう事かと納得した。
つまり、この騒動でゼウンとわたしが婚約者だ、と印象付けたい訳だ。ついでにわたしの好感度が下がり、求婚する殿方が居なくなればいいと言ったところか。
そんな事のためによくもここまで芝居がうてるなと感心してしまう。
ゼウンの行動からすでにこの芝居が始まっていたのなら、とても恐ろしいと思う。
だが、ゼウンにはそこまでできる賢さはないので、息子の言動をうまく利用したのだろう。
わたしが一人納得していると、気が付かないうちにお母様がわたしの隣に立っていた。
「あら、ウォルリーカ。貴女は何を見ていたのです?いいえ、何もわかっていない、と言った方がいいかしら?」
お母様の言葉に、ウォルリーカが顔をあげた。
王妃の登場に、彼女は表情を少し固くしながら問いかけた。
「王妃、どういう意味でしょうか?」
お母様はわたしの肩に手を置くと、にこりと笑った。
わたしに答えさせたいのだとわかり、わたしは頷いてみせる。
魂胆がわかったので、それをすっぱり切ってしまえば早いのだ。会場中に聞こえるように、わたしは声を張る。
「わたくしがお答えしますね、ウォルリーカ。わたくしはそのような意図で発言した訳ではございません。ゼウンが突然、挨拶もなしにわたくしの会話の邪魔をしてきたものですから、注意をしたのですよ。王家への無礼にあたりますよ、と。婚約者でも何でもないのですから、勿論立場が対等な訳がありませんよね?」
婚約者でも何でもない、を強調してにこりと笑えば、先程とは違うざわめきがうまれる。
王女と婚約したのではなかったのか?婚約の話は嘘だったのか?と、会場中が驚きの声に包まれていく。
わたしは、思ったよりも婚約の噂が広まっていた事に驚き、お母様と目を見合わせた。
「改めて言いますが、王女とゼウンは婚約をしていません。王家から公式な達しもないというのに安易に信じ、噂を広めてはなりませんよ。王弟妃、あなたもです」
お母様がそう言うと、ざわめきが次第に落ち着いていく。
積極的に噂を広めていたのであろう一部の貴族たちが、居心地悪そうに視線をさ迷わせた。
「大変失礼を致しました。重ねてお詫び申し上げます。王妃殿下、王女殿下」
ウォルリーカは一度深く頭を下げると、一瞬形のいい唇を歪めて、にこやかにわたしたちの元から退散していった。
ゼウンは、その姿を納得できないと言うように見やる。
事が終わると、ずっと控えていたセルバーも去り、わたしは気を取り直して他の婚約者候補との接触をはかる。
ただひとつ問題があるとするならば、何故かゼウンがわたしの元から離れない事だ。
「ゼウン、王弟夫妻のもとへ行かなくても大丈夫なのですか?」
わたしが問いかけると、彼はフンと鼻を鳴らした。
「納得がいかないからな。身分も魔力も性格も、何もかも完璧な私に勝てる者など居ないだろう?つまり、君の婚約者となるのは私以外ありえないのだ。だから私は、婚約者として君の側に居なければならない」
わたしは思わず遠い目をした。とてつもなく前向きなのか、とてつもなく馬鹿なのか、いったいどちらなのだろう?
「そうですか。もう好きにして下さいませ」
わたしは諦めてそう言った。
それからというもの、ゼウンは何をするでもなく会場中わたしに付きまとった。
婚約者だと言い張るくらいならば、エスコートのひとつでもすればいいのに、その考えはないらしい。
正直なところ邪魔でしかなく、彼の濃い赤毛が視界にうつる度に苛々してしまう。
わたしの隣を陣取るゼウンに一瞬表情を固くするものの、皆わたしと話に近付いて来る。
「王女様お久しぶりです」
「その後、お変わりありませんか?」
上流貴族の大人と言葉を交わしたり、同じ年頃の令嬢達との会話に花を咲かせる傍ら、わたしは他の婚約者候補たちとの接触を試みる。
けれど、結果は散々だった。
まず、クード・ガルムステッドだ。
彼は、わたしの考えをすぐに察したようだった。
「私は傍観者で居るつもりですよ、王女様。なるべく、面倒事には巻き込まれたくないのでね。それに、当分の間は結婚も婚約もする気はありませんから」
彼は早々に言うと、少し言葉を交わしただけで、すぐに去ってしまった。
ここまで堂々と傍観宣言をされればそれ以上何もできない。彼との婚約は望みが薄いだろうと、わたしは考えた。
最後のひとりであるエドヴィン・ハーヤネンにいたっては、恋人を伴って挨拶に来た。残念、と思うよりも早く、全身を脱力感がおそう。
結局のところ、この社交界は何も収穫がないままに終わったのだ。
婚約者候補たちの中にめぼしい殿方は居らず、状況は後退したと言っても過言ではない。
それにくわえて、社交界中ずっとゼウンに付きまとわれ、無駄に体力と精神を削ってしまった。もう踏んだり蹴ったりだ。
早く社交界を終えて明日を迎えたい。そしてディウラートと言う人物について、詳しく聞こう。
わたしは、隣でどうでもいい事を得意気に話すゼウンの声を聞きながら、そればかり考えていたのだった。
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