第2話 春を招く会(1)
春の社交界は毎年、まだ雪のちらつく時期に始まる。
季節の中でも得に春が重要視されるのは、春の始めに、雪解けの季節の到来を願い祝う儀式として、春を招く会が催されるからだ。
今年も例にたがわず粉雪が舞っている空を、わたしは窓越しに眺める。
ただ、わたしの心持ちはとても例年と比べられない。この場でよい婚約者候補を見つけられなければ、と気が急いていた。
社交界用のドレスに着替え、わたしは控え室で会の開始を待つ。
今までにこれほど意気込んで参加した事があっただろうか。時間が近づくにつれて、好奇心とほんの少しの緊張が入り交じり、高揚した気分になる。
どうにか落ち着こうと一人奮闘していると、リュークが一枚の報告書を差し出して来た。
「姫様、頼まれていた報告書でございます。婚約者候補となりえる方々のお名前をまとめております。開始前に、目をお通し下さい」
「ありがとうございます、リューク」
わたしは報告書を受けとると、深く息を吸い込んだ。ただの報告書をこんなに重いと感じたことは無かった。
ゆっくりと目を通すと、そこには五つの名前が記されていた。
ゼウン・ヴィデーン
セルバー・ミルド
クード・ガルムステッド
エドヴィン・ハーヤネン
ディウラート・ヴィデーン
ふむふむ、とひとりひとりの顔とプロフィールを思い出してみる。
本来、わたしの婚約者となりえる者はもう少し多いはずだ。だが、爵位を継ぐことが決まっている者などを抜いてしまえば、幾らも残らなかったのだろう。
そして、あれ?と最後の名前を凝視する。
こんな名は聞いた事がない。顔もわからないので不安要素でしかなかった。
訝ってリュークに視線を投げると、彼は早く早くと言うように、わたしからの質問を笑顔で待っていた。
面白い情報が手に入って、早く言い触らしたい時の顔だ。面倒くさいが、聞くしかない。
「リューク、最後の方の名をわたくしは聞いた事がない様に思うのですが、気のせいでしょうか?ヴィデーンの姓を持っていると言う事は、傍系王族の中でもわたくしと血筋が近い方だと思うのだけれど」
わたしはそう問い掛けながら、考える。
ヴィデーンは、基本的に直系王族のみが持つ姓だ。
傍系王族は別の姓を王から賜る事が多いので、基本的にはヴィデーンではない。報告書に名のあるセルバー・ミルドも、ミルドの姓を賜った分家の若君だ。
だが希に、王と血筋の近い傍系王族が姓を変えず、ヴィデーンを名乗る事がある。
王弟であるイルハルド一家がその例で、ゼウンもヴィデーン姓だが、そう名乗る人数はごく稀だ。
そうなると、ディウラートという人物の異質さがより際立って思えてくる。
彼はわたしと血の近い、傍系王族の若君という事になるが、わたしは彼知らない。そんな人物は存在しないと、自信を持って言える程だ。
リュークの情報はいつだって確かだが、こればかりは素直に信じる事はできない。
不信感を持ってリュークを見つめれば、彼は自信たっぷりに大きく頷いた。
「その通りです姫様。私も彼の存在を知ったときは驚いたのです。信じられないでしょう?わかります。でも彼は、正真正銘実在する人物です」
確信を持って言い切るその姿に、わたしは何とも言えなくなった。取り敢えず、細かな情報を聞かなければならない。
「つまり、どういう事でしょう?彼は誰なのですか?」
わたしが努めて冷静に問いかけると、それが合図だったかのように、春を招く会の始まりを告げる鐘が鳴る。
「おや、始まってしまいましたね。お早くご入場の準備を。お話は後日でもよろしいでしょう」
リュークが澄ました顔でそんな事を言うのもだから、わたしは焦れて立ち上がった。このままではモヤモヤして、社交するどころではなくなる。
わたしの心情を察したのか、リュークは可笑しそうに笑い声を漏らす。
「姫様、他の四名と違い、ディウラート様は本日の会場にはいらっしゃいません。ですので、今は他の方々へご集中下さい。春を招く会を成功させる方が、今は大切でしょう?」
「そう、ですが……」
うっ、と言葉に詰まる。リュークの言う通りだとわかってはいるが、気になって仕方がないのも事実だ。
期待を込めてちらりとエマを見ると、ため息をつかれてしまった。やはり駄目らしい。久々にエマがお説教モードに入ったのがわかり、わたしはしゅんと肩を落とす。
「目の前の事に集中なさって下さい。お時間がございません。姫様のご性格上、今ここで中途半端に情報を得た方が、よほど気になってしまわれるでしょう?後程リュークからじっくりと話を聞く時間を設ければよいではありませんか」
「……はい」
素直に頷くと、エマは満足そうに微笑んだ。リュークが称賛の拍手をおくっている。
エマに急かされながら控え室を出ると、すでにお父様とお母様が社交会場である大広間の扉の前に揃っていた。わたしは慌てて二人の元へ向かう。
わたしの到着と同時にカランカランと先触れの鐘が鳴り、扉が大きく開かれた。
「国王陛下、王妃殿下、王女殿下、ご入場です」
いよいよ、春を招く会が始まる。
お父様とお母様に続いて、わたしはしずしずと歩みを進める。音楽と無数の拍手に迎えられ、軽く微笑みながら会場を見渡す。
王城の中で最も大きいこの大広間に、多くの貴族が集まっている。勿論、国中の貴族が全員集う事などできないので、今ここに居るのは、上流貴族と一部の中流貴族だけだ。
もっとも、貴族は必ず数人の側近を連れ回るので、上流貴族の側近として参加している中流下流貴族も多いのだが。
大広間の真ん中を進んで行くと際奥に一段上がった場所があり、三つの席が用意されている。そこがわたしたちの席だ。
席に到着すると、お父様が一歩前へ踏み出す。
それだけで会場はしんと静まり返った。
「長く厳しい冬をよくぞ乗り切った。今ここに、春の到来を宣言する」
国王の宣言により、再び拍手が沸き起こった。
社交の前に、これから春を呼ぶ儀式を始めるのだ。
お父様とお母様、そしてわたしの元にも、側近たちがある物を運んでくる。
会場全体が固唾を飲んでその様子を見守る。
短い棒状のそれは、持ち手は手に馴染む太さで、先にいくほど尖っている。魔力を使うための媒介となる杖だ。
杖を受けとると、お父様は杖を掲げて呪文を唱えながら、ゆっくりと空中に魔法陣を描いてゆく。
幾何学的な魔法陣は、春を呼ぶために王家が描く特別な物である。大広間の天井一杯に描かれていく陣は、何度見ても圧巻だ。
一拍置いて、お母様とわたしもそれぞれに陣を宙に描く。この瞬間はいつもとても緊張する。
杖に魔力を込め、ゆっくりと手を動かす。その動きに合わせ、光の線が陣の形になっていく。
描き進めるごとに魔法陣にどんどんと魔力が吸いとられていくが、気にしてはいられない。呪文を唱える口も陣を描く手も止めず、描き続ける。
早く描き終わって、気を楽にしたいのだ。
陣を描き終われば、自然にふっと肩の力が抜けるのがわかる。
宙に描かれた三つの陣は、互いに重なりあい一つの魔法陣になる。
杖を握り直して魔力を込めれば、魔法陣はさらに光を増し、一度カッと強く光った後、天井に吸い込まれていった。
会場には、春の訪れを告げる暖かな光が降り注ぐ。儀式の成功を知ったわたしは、自然と笑みを溢した。
会場の外では、天高くに昇った魔法陣から光が降り注ぐ様子が見えるはずだ。国中に降り注いだ光が、降っていた雪を止ませ、氷を溶かしているはずだ。数日もすれば本格的な春がやって来る。
この儀式は、本当の意味で春を呼ぶのだ。
会場に居る全員が儀式の成功に歓喜し、声援をあげながら春の到来を祝福して杖の先を光らせた。
冬が厳しく長いこの国にとって、この儀式は何よりも重要になる。儀式を行わなかった年は、国が一年中雪に閉ざされたという言い伝えがある程だ。
だが、この儀式には魔力が大量に必要になるため、王族にしか行えない。逆を言うと、この儀式があるからこそ、王族はその立場を揺るぎないものにしているとも言えるのだ。
そのため、王家に嫁ぐ者には一定の魔力を求められる事になる。この儀式をおこなえないようでは駄目なのだ。
お陰でわたしの婚約は面倒極まりない事になっているのだが、文句を言っても仕方がなかった。
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