3話目
あれから何日経ったのだろう。状況は悪化するばかりで、日増しに教室の雰囲気が嫌な感じになっていった。今日も重い足をなんとか動かして登校する。
学校には着いたが、教室のドアを開けてもいないのに、生徒ががちゃがちゃ騒いでいる音が廊下に聞こえてくる。恐る恐るドアをスライドさせると、女子たちが木製の筒の良さげはボールペンを、キャッチボールみたいに投げて回して遊んでいた。太田さんが、女子たちの手を次々と渡るボールペンを追いかけながら、「やめて! 返して!」と今にも泣きそうに叫んでいる。
一瞬で状況を察した。また、いつものアレなのだ。教室の中にはだいたい3種類の人間がいた。太田さんに嫌がらせをする女子、にやにやしたいやらしい笑顔で困っている太田さんを見て楽しんでいる人、自分は関係ないという顔をする人。矢野は……まだ来ていないようだ。
俺は静かに自分の席に着く。
教室は相も変わらずうるさいままで。どうにかしなきゃいけない……とっくに気付いているはずなのに、どうしても声が出てこない。
俺は、俺はまた……。
固く拳を握りしめていたときだった。
「やめなよ」
つまらなそうな、しかし凍てつくような冷たさを湛えた鋭利な声だった。バカ笑いしていた女子たちが顔を引き攣らせながら呼吸を止め、教室が水をかけたように沈黙する。俺もそいつらに違わず驚きで呆けてしまった。声を上げたのは、黒髪セミロングで、ワイシャツのボタンを2つも開けた、不良っぽい女子だった。
「な、何よ今更太田の肩持つの? アンタ」
痛いくらいの静けさを破ったのは、まごまごしながらもかろうじて反論した、太田さんに嫌がらせをしていた女子だった。名前は確か黒田。口調は困惑が隠せていないが、威勢だけはある。
「別に肩持ってない。きみらがくっだらないことして騒いでるのに文句言ってんでしょ」
「は、はあ? 別にあたしたちが休み時間になにしようとあたしたちの勝手じゃ」
「ガタガタ言ってねぇで返せよ」
急に荒い口調になった彼女は黒田の言葉を遮り、あの高そうなボールペンをパッとぶんどった。そのままそれを、おどおどしている太田さんに返す。黒田も他の奴らも苛立ちと困惑の混ざったような顔をしていた。
「あ、りがとう、あの……どこいくの? すぐ授業始まるよ?」
「サボる」
彼女はすたすたと教室を出て行く。いつになく静かな教室とは裏腹に、俺は胸がざわざわするのを感じた。
なんで、俺はまたこっち側にいる?
散々後悔したんじゃなかったのか。もうこんなことが無い様にしようと、散々誓ったんじゃないのか。俺はまた、ただ傍観して、誰も反論しないのをいいことに、行動を起こさなくてはと思ったつもりになりながら、周りもそうだから自分もそれでいいと怠けていたのではないか。理由をつけて逃げていただけではないのか。不甲斐なさと罪悪感に襲われて目の前が真っ黒になった。
俺はまた、こうやって他人を見下して、そして結局本質的には何も変わらぬ馬鹿なのだ。そしてまた、誰かを傷つけるのだ。そういう風に生きていくことに罪悪感を抱きつつも行動を起こそうとしない、怠惰で身勝手なただの偽善者なのだ。
彼女は……彼女はどうして声を上げたのだろう。今まで教室という背景の中の一部に過ぎなかった彼女の存在が、今の俺の思考の全てを奪っていた。
気付けば俺は立ち上がり、ざらついた空気を溜め込んだ教室を後にした彼女を追って走り出していた。
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