トーエとチセ1 / 美術家トーエの仕事 / 艦船のインフォペイント
トーエは養子をとったと聞いていたから、もっと年上だと思っていたのだが。
見た目には義妹のミッキと同い年くらい。
でも、穏やかな笑顔の中に年齢不詳の落ち着いた雰囲気を持っている。
ゆったりウェーブの長い髪を、存外シンプルな髪飾りでまとめていた。
養子の娘だというチセは、イリス様と同い年だという。
色素と気配が薄い美少女で、初対面である私のことを、無言でじっと見つめている。
トーエも、表情は穏やかだけれど、緊張気味にも見える。
ミッキは多分私のことを、イリス家関係筋の貴人の子女あたりとして紹介したのだろうから、それも当然か。
部屋には画家と言われて想像するようなキャンバスは置かれていなくて、その代わり、アクセサリのビーズや小さなフリル、作り途中のドライフラワーなどが、作業机や壁の垂れかけ収納といったあちこちに並んでいる。
お茶とともに机の上に並べられた、トーエの手作りだというクッキーもすごく美味しい。
「トーエさんは画家だと聞いていたんですが、絵に関する道具があまりありませんね」
「最初は画家を目指して美術の勉強をはじめたんですけど、アクセや小物を作るのも好きだなって。
気づいたらそっちの方がお仕事になっていました」
そのへん、いかにも養子をとったという話も絡みそうだけれど。とりあえずはおたがいそれについては触れない。
「私のいまの仕事は、オーダー品の依頼が多いんです。
ほら、貴人の皆さんって、悪霊や呪いから身を守るために魔除けの宝石とかを身に着けていますよね?」
確かに、そんなことをレインが言っていた。私も呪い避けの小物をいくつか持たされている。
「そういった、あらかじめ色形の決まっている一点モノをキレイに飾ったり、かわいく仕上げたりする仕事があるんです」
なるほど。そういう魔除けは魔術具で実用品だから、見た目は後回しにされているきらいがある。
でも、貴人はきれいに着飾って羽振りのよさと品のよさを示すのも仕事のうちだ。
それに誰だって、身に着ける宝飾品は美しい方が嬉しい。
「画家としての技能はアクセを作るのにも役立ちますし、いまは幸いその日の暮らしには困っていないので、腕が落ちないように練習と勉強は続けています」
「いいわね。いまちょうど、絵を描けるヒトが欲しいのよ」
ミッキが反応する。
「アイコンと注意書きのイラストですか」
「艦船のシルエットもね。コーポレートデザインとか、インフォグラフィックス、って言うのよ。あとユニバーサルデザインも欲しい」
ごっちゃにすると本職のヒトは怒るだろうけれど、まあとりあえず。
私はこれから、自分の趣味とイリス様のお命のために、漁船と言い張って戦艦を建造し、作った艦隊にヒトを乗せようとしている。
だからというわけでもないけれど、人命を抱えることになる艦船に対して、できることはしておきたい。
艦船のデザインといえば、船体と艦橋からなるシルエット、そして武装を主とした艤装の話になりがちだけれど。
艦船にはファンネルや記号、指示標やDANGERマークが、いたるところに描きこまれている。
それらイラストや文字はすべて、そこにあるということは誰かがデザインして描いたものなのだ。
そして戦艦の意匠にはすべてに理由があり、必要だからそこに描かれている。
さらに、この世界に固有の想起されるイメージや連想、感覚もあるはずなので、船体のようにモノマネして済ますというわけにはいかない。
(いや、船体も実際には、ミッキがこの世界の事情に合わせて詳細を詰めてくれるから、ただのコピーではないのだけれど。)
「ヒトの命がかかったデザイン、ですか。わたし、経験がありませんよ? ミッキ、そもそもそういうお仕事ってあるのかな?」
「私が経験した限りでは、そういう仕事を専門にしているヒトと会ったことはありません。
例えば、滑りにくいタラップのデザインやゴムで滑り止めする工夫はあるけれど、『足をかけると危ないところを危険色に塗っておく』というのは、少なくとも私たち造船技師にはなかった発想かと」
「うーん、だとすると、美術学校の先生に訊いてもわからないかな」
トーエとミッキはそう言うけれど、消化器が赤いとかは、実はこの世界と私の元いた世界で共通だったりする。
あと、建築物のスロープやドアの取っ手など、ユニバーサルデザインは元の世界よりずっと進んでいる。たぶん他種族対応のために。
だから、建築業界にはそういう考えが既にあるのではないかと考えている。
「当然のことだけれど、最初から全部できて欲しいとは言わないわ。
まだこの世界にはないかもしれない仕事だから。
いえ、たぶんあるのだろうけれど。多くは職人の個人的経験で、まだ名前がないし、専門の担当者がつけられていないのね。
私が知っている『デザインシステム』も、チームで作るもので、一人でする仕事ではなかったわ。
この仕事を任せる相手は、絵が描けて、細かいところに気づけて、会話が得意であってほしい。
そして何より、使う相手を想像できていることが大事なの」
「それで、どうしてわたしなんですか?」
「イリス様の持ち物やもらいもので、貴人のアクセサリにも少しだけ詳しくなったのだけれど」
ちょっとわざとらしいかもしれないけれど、トーエの仕事について高く評価していることを伝える。
「イリス様への贈呈品と比べても、トーエさんの仕事は相手のことをよく考えてあって、抜きん出ています。
ピン留めのブローチはピンの先がロウで固められていて、箱から取り出したときに相手が怪我しないようになっていました。
ラメの振ってある赤の押し花は、ラメと染料が服に色移りしないように、底を白のレースで覆って服に触れないように工夫してあるわ。
箱も、運搬中にアクセサリが壊れたり、形がくずれて台無しになってしまわないよう台座とクッションをわざわざ作ってる。
開けてすぐに品物が見られるのは依頼主にとって嬉しい。
その上で、見た目だけじゃなく、簡単に取り出せる工夫もされていた。
それからこの部屋。
チセが怪我しないように刃物や先の尖ったものがきちんと仕舞われている。自分も作業で頻繁に使うでしょうに。
あと、私が不器用なのに気づいて、お菓子を掴んで食べられる手作りクッキーに切り替えてくれた。
客用に出すつもりで買ってきてあったケーキの箱が、台所の奥に隠してあるわね」
部屋に入ってすぐ、ドア近くの台所前を通るときに気づいた。あの店のケーキはイリス家でもたまに取り寄せて食べる。
美味しいけれど、トーエさんの暮らしぶりで買うにはちょっと苦しい値段だ。
「うわ、すごい。全部正解です」
いや、根拠は適当だしこんなに列挙したから、1つ以上はハズレていると思うのだけれど。
トーエさんは笑顔で私を持ち上げて否定しない。
(いや別に、こちらを立てるために嘘つかなくてもいいんですよ?)
「少なくとも姉さんがピンにロウを塗っている理由は正解です。ロウ選びについては私が相談を受けたので。
あと姉さん、ケーキがあるなら食べたい」
「バレてしまったら仕方ないわね。チセ、運ぶの手伝ってくれるかな?」
「ん」
さりげなくチセを連れて行ったのも、目を離した間に失礼がないようにだろうか。
事前の準備は万全だったとみえて、すぐにケーキが運ばれてくる。
「ヨナ様、フォークで大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとうございます」
見苦しいところを見せたらご容赦を。
「ヨナさん、ケーキはこう食べればいいんです」
そう言うとミッキは、あろうことかケーキを手づかみで掴んでかじりついた。
「すみませんヨナ様。こらミッキ。それお行儀が悪いからやめなさいって言ったよね」
「でも姉さん、このほうが早いです。4口で食べ終わるし、お皿も洗わなくていい」
「ミッキありがとう。でも実演して見せてくれなくても良かったわ」
チセが真似しそうになってるじゃないか。
ミッキは本当に実演して見せただけのようで、その後は行儀よくフォークで綺麗にケーキを食べていた。
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