船体シミュレーション / スーパーコンピュータ・イリスヨナ
全天ディスプレイ上で、仮想海面上にワイヤフレームの船体が浮いていた。
隣に立つミッキは、あいかわらず無感動に見える。
でもよく観察していると、視線を一瞬もディスプレイから外そうとしない。
作業を開始してからもう数時間。夜食のプレートも既に下げられたあと。
時刻は深夜にさしかかろうとしていた。
「これ、やはり便利です」
「私の元いた世界では、シミュレーションって呼んでいたわね」
この世界での強度計算は、職人の経験と手計算で行う。
そして大型船は既存の古代戦艦しかないので、そもそも必要がないことから演算手法が確立されていない。
ミッキによると、帝都で行われるような大規模建築プロジェクトの強度計算では、魔術による自動計算や、巨大な模型を併用して進める場合もあるという。
模型といっても、部屋に収まる規模でないため屋外に作られる大きさで、かつ魔法で擬似重力や流体粘性を操作した本格的なものだ。
怪獣映画の特殊撮影とか、世界中の観光建物のミニチュアテーマパークのスケールアップしたすごい奴だと思えば良さそう。
シミュレーションを行うためのコンピュータはまだ作られていない。
けれど、この前の戦闘でイリスヨナに戦術ディスプレイがあり、戦闘状況のシミュレーション機能があることがわかった。
これをコンピュータ代わりにして、船体の強度計算に使えるのではと思ったのだ。
今の私たちが入力できる程度のデータでは、精度をどれだけ上げても計算が一瞬で終わる。
弾性の鋼板と粘性流体のシミュレーションなので、原子サイズよりも解像度を上げるのはさすがに意味がない。
とはいえ、私の知っている便利さからは程遠い部分もある。
「これで最後になります。1123.81, 2215.90, 12.55です」
「プロットしたわ」
「5つ前の点がずれています。エックスをプラス140.03」
イリスヨナのシステムはともかく、私の人格は手先が不器用なだけでなく、単調な数字仕事も苦手なのだった。
シミュレーションでまで不器用キャラを貫く必要はないと思うのだけれど、事実そうなので仕方がない。
計算自体がどんなに早くても、船体の形状は点をプロットして繋げたり、変形して用意する必要がある。
また、接合部や素材の一部にイリスヨナのパラメタにないものもある。
シミュレーションの実施にかかる時間のほとんどは、これらの入力作業で費やされる。
また、結果を読み取るために表示をリアルタイムか倍速程度へ落とす必要があった。
「じゃあ始めるわね。ファイヤっと」
シミュレーション上の船体が、3回目の横波でねじ切れて沈む。
「あー」
「ありがとうございます。やはり軽量化にも限度がありますね」
ミッキはメモも取らない。これまで繰り返してきたシミュレーションの時の様子からして、今回は概ね予測通りの結果になったらしい。
「ヨナさん、シミュレーションの船体形状ですが、ヨナさんの見たことのある艦艇にどのくらい近づきましたか?」
「うーん、もう素人の私には見た目に違いがわからないくらいかなぁ」
「ディティールの見落としがあれば知りたいのです」
「私が見ていた実物は、すでに進水式を終えて海に浮いている船ばかりなのよね。
船底の形状とかは、本や模型でしか知らないのよ」
ふつうのヒトにとって、船は最初から海に浮かんだ状態しか見たことがない。
造船所で働いているなら別だが。
護衛艦に乗っている自衛官だって、ほとんどが自分の艦船の喫水から下を外側から見る機会はない。
あるとしたら沈むときくらいか。縁起でもない。
艦船の模型には、喫水線より下が無いモデルがある。
見慣れた洋上の船を再現することができるためシェアも大きい。
私が初めて買った空母の模型は喫水下まで全てあるものだった。船体の底は平らでは無いので、置き場に台座が必要だった。
艦艇模型が自分で組み立て塗装する必要があるとは知らなかったから、箱を開けてびっくりした。塗装は諦めたけれど、組み上げた空母を下から見上げた時は嬉しかった。
その時はまだ、あの艦船美少女擬人化ブラウザゲームはリリース前で影も形もなかった。
だからまさかあの後、空母の隣に擬人化美少女フィギュアを並べて飾る未来が来るとは想像もしていなかったけれど。
あ、思い出したら船の模型が欲しくなってきた。
当然この世界には売っていない。残念。
「意見しておいてアレだけれど、正直なところ、なんで艦艇の船体にハネが付いているのか、私には理由がわからないのよね」
「あの翼は船体の安定化に寄与するようです。波などで傾いた際に元に戻る力が増します」
「へー、ミッキすごい。さすがミッキ」
そういえば船舶用語に復元力って単語があったような気がする。
さすが技師。シロウトうろおぼえの見た目情報だけから働きを特定できるなんてすごい。
現代艦艇の実物をあんなに見ていた(そして見学会で護衛艦に乗ったこともある)私よりも、遥かに艦船への理解が深い。
「他にもヨナさんの教えてくださった船体形状やディティールは情報の量と質が多くて、たいへん勉強になります。
とはいえ人造艦艇を100年以上作ってきた世界が積み重ねてきた知見はやはり膨大で、読み解くことのできていない部分がまだまだ多いです。
あと、イリスヨナの船体形状データも参考になりました」
「そういえばそんなものもあったわね。
あれも正確性はわからないけれど。古代戦艦イリスヨナの船底を直接見たことのある人は、もう誰も生きてはいないでしょうし」
イリスヨナの船体形状がイリスヨナ自身が知っているのと違うことはさすがに無いと思う。
戦闘時に回避行動などに使っているので、違っていたら困る。
「でも私も図面やシミュレータ画面を見るのが得意な訳ではないし、なんだかイメージ湧かないのよね」
最初の打ち合わせでは、ミッキが製図板上で引いて寸法まで書き込まれた綺麗な図面が、どんどんぐちゃぐちゃになっていった。
私のウロンな記憶を元に汚いメモ書きと元の線が消されて何度も書き直してはこれはなんか違うというのを繰り返しやった。あの時は罪悪感がすごかった。
これから、まだこの世界に存在しない『人造艦船』を作るにあたって、もっとわかりやすくイメージを共有したい。
図面とは別に、できれば絵を描けるヒトが欲しいところだ。
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