イリス様の膝枕

エーリカ様はその後、私の胸の中で赤ちゃんのようにすやすやと12時間近く眠った。


起きてからは、作り直されたサンドイッチとグレープフルーツジュースで食事を取り、今度は一人で惰眠を貪る。


私はそれに付き合った。

お互い、最低限の会話を除いて、終始無言だった。


最後に二言三言の会話を交わし、エーリカ様は午後になってからイリスヨナを出ていった。


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オアズケになっていたシャワーを浴びてから。


「副長、ちょっといいかしら。イリス様はどちらに?」

「お部屋にいらっしゃいますよ」

「お食事はちゃんと摂られている?」

「? はい。何かありましたか」


副長に不思議そうな顔をされてしまった。

どうやらエーリカ様のことを引きずってしまっているらしい。


イリス様に会いに行くの、飲み物か何かお持ちしたほうが良いかも知れない。

副長からエミリアさんに頼んで、桃のジュースを用意してもらう。

イリス様の好物なのだそうだ。


私はイリス様のことを何も知らない。


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イリス様の部屋に入る時は、エーリカ様の時とはまた違う緊張感がある。

廊下からお声掛けして、中にいれてもらう。

入れ違いに使用人さんが出ていく。イリス様の指示だろう。


イリス様の部屋は、客室ではなく常設の艦長室だ。

本や小物が、イリス邸の寝室よりも多い。

起きている時間を過ごす時間はイリスヨナ船内のほうが長いだろうし、当然か。


「お好きだと伺ったので、桃のジュースをお持ちしました」

「ありがとう」


イリス様は笑みを浮かべてジュースを受け取り、こくこくと飲む。

大変素直で可愛い。

促されて、客人用の椅子に腰掛ける。

枕元の本の上に、ドラゴンのデフォルメされた人形が置かれている。


「この子、かわいいですね」

「それ、お母様の」


伸ばしかけた手が引っ込む。


「触ってもいいよ?」

「では、お言葉に甘えて」


今さら手を引っ込めたままというのもアレなので、人形の腹に触れてみる。

良い生地を使っている、肌触りが心地よい、という感想しか持てなかった。


少しだけ、息が詰まる。


「部屋、そのままにしてあるの」


つまりここは、イリス様のお母様の部屋なのか。

どうりで物がたくさんある。

この部屋にあるものは全て、イリス様の持ち物ではないのだ。

母親の命を奪った船の中の母親の部屋で過ごし、いま、船そのものである私を前にして、イリス様の心中はどうなっているのだろう。


考え始めてしまうと、心がとらわれて、他のことがすべて意識から外れてしまいそうだった。


「ヨナ?」


いつのまにか、イリス様はベッドの脇に座っている。

そして、自分の膝を軽く叩いて示した。


「おいで」


私は抵抗もできず、イリス様の膝枕に頭を乗せる。


「エーリカさまのところに、いたの?」

「はい」

「ヨナかわいそう」

「いえ、楽しいですよ」


上位の家の子供を相手に、滅多なことを言うものではない、と注意するのが、貴人としては正しいのだろうけれど。

エーリカ様がおかしいだけで、とてもこの年頃の子供らしい。

イリス様の優しさは、褒めて伸ばしたい美点だ。


あと『獣耳美少女にネズミのおもちゃ扱いしてもらうのは最高です』とか、イリス様は一生知らなくていいです。


私の緊張が切れたのを察したのか、イリス様は私の側頭部をやさしく撫で始める。

こんなことしてもらっていいのか。

私、幸せすぎて明日死ぬんじゃなかろうか。


「お母様が、こうしてくれたの」


舞い上がっていた気持ちが刺される。

私は、この部屋でイリス様にこんなにも幸せにしてもらう資格があるのかと、良心が再び自分を責め苛む。


「イリス様は、私が怖くないのですか。

私は、イリス様のお命を奪うかもしれない。

イリス様のお身体を、乗っ取るかもしれないのに」

「ヨナは、怖いのね」


うなずくこともできず、無言の形で答える。


「わたしは怖くない。わたし、ヨナが好きよ」

「私もイリス様が好きです」


それでも今だけは、この部屋で穏やかな優しさに甘えることを、許して欲しかった。

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