私の女神様 / ヒトとの絆 / 碇
約束通り、エーリカ様が宿泊しているお部屋を訪ねる。
部屋の前に軽食の載ったカートを駐める。
野菜と川魚のほぐし身のサンドイッチ。グレープフルーツジュース。
部屋をノックする前に、身だしなみを確認しておく。
「そういえば戻ってきてまだシャワー浴びてないけど、大丈夫かな」
私の身体は、汗臭くはならないのだけれど、浜辺の砂がついたり海水を浴びて乾いたり、ホコリが溜まったりはすることがわかった。
なので、人間だった頃と同じように毎日、シャワーを浴びるようにしている。
腕をもちあげて、着物の袖と胸元を自分で嗅いでみる。
嫌な匂いはしなかったので、大丈夫だろう。
扉をノック。
「エーリカ様、ヨナです。お約束の通り、ご挨拶に伺いました」
しばらく無音の後、ゆっくりと扉が開く。
エーリカ様の、落ち着いた美しい声。
「入って」
「お邪魔します」
カートを押して、エーリカ様手ずから開けてくださった扉から、部屋に入る。
背後で錠の降りる音がした。
「部屋着、大変お可愛いらしくて好きですよ」
「そう、ありがとう」
素敵ですって言いかけて、好きだと口が滑った。
白一色の薄手でひらひらしたワンピースのネグリジェ。白いペティコートの一枚下には肌しか無い。
ふわりとした金色の髪と組み合わさっての儚げな印象が、いつものエーリカ様の態度とギャップがあって目を引く。
「エーリカ様、軽食をお持ちしました。お加減が悪いようでなければ、少しだけでもいいですから、お召し上がりください」
「ありがとう」
そう答えたものの、エーリカ様の視線はサンドイッチを見ていなかった。
声色は穏やかで、いつもの覇気を感じない。
「お疲れですか?」
「ええ。こんなに疲れたのは、生まれて初めて」
「お休みになられた方が良さそうですね」
「そうね」
エーリカ様がお休みになられる気配を察して、部屋を出ようとした私の腕を、エーリカ様が掴む。
「来なさい」
「ええと」
言葉の意味を理解するより先に、エーリカ様が私をベッドに強引に引き込んだ。
押し倒されて意味のわからないまま、天井を見上げる間もなく横のエーリカ様と向き合わされる。
ぎう、と私の腰から音がした。
「今晩は、こうしていなさい」
私の腰を抱いたエーリカ様の声色で、色々察する。
「エーリカ様、こうも強引にされますと、服がはだけてしまいます」
「そのままでいいわよ。あなたの礼儀作法を、今さらどうこう言いません」
そういう意味ではないのだけれど。
私のはだけた和服の胸元は露出して、平たいなりにやわらかな私の胸に、エーリカ様の顔が埋まっている。
心臓のあたりが、微かに濡れて冷たい、ような気がした。
しばらく、そのままそうしていた。
濡れた肌が乾いた頃。
エーリカ様は、今晩は私に表情を見せたくないのだろう。
唇が、私の肌の上で動く。
「もう寝た?」
「いいえ」
「そういえば、あなた、眠るの?」
「眠りますよ。ヒトと同じです」
でも船の異常を察知すれば、すぐに目が覚めるだろうという予感がある。
「私は陸軍御三家の子供だから、前線だって経験したのよ」
それは中々にハードだ。もちろん裸で戦場に放り出したわけではないのだろうけれど、陸軍御三家とやらの現場主義色が目に見えるようだ。
「でもいつも、一人ではなかったわ。
一人がこんなに辛いとは、思わなかった」
貴族のご子息やご令嬢というのは、生まれた時から『絶対に信用できる側用人』を何人か付けられる。
イリス様にだって、医師を兼ねる使用人のエミリアさんが付いている。
今は所用で遠くに出ているそうだが、他にもイリス様に専属の従者がいるのだという。
旅の始まりにイリスヨナへ乗船する時、エーリカ様は最低限の護衛と使用人を連れていた。
戦場になったあの町で、イリスヨナに乗り込んだのはエーリカ様と皇女様だけだった。
今は誰も付けていない。
だからきっと、そういうことなのだろう。
「ママが死んでから、みんな、ずっと一緒にいてくれたの」
「そうですか」
私はそれだけ言った。
その声が、エーリカ様には冷たく聞こえないよう、祈った。
縋る声。
「あなたは私のママになってはくれないの?」
「はい」
ごめんなさいとは、言わない。
エーリカ様の次の言葉に、若干の苛立ちが混じる。
「それは、イリスがいちばん大事だから?」
「私がイリス様の船だからでもありますが、それだけじゃありませんよ。
だって私は、エーリカ様の敵ですから」
「そんなの...っ!」
エーリカ様を抱き潰して、続く言葉を封じる。
「エーリカ様のような素敵な方に敵として頂いたこと、身に余る光栄と思っています。
気に入っているんですよ。
イリス様の船であること、イリス様の敵には絶対になれないこの心の忠誠心と同じくらい、エーリカ様の敵であることが、この世界に生まれたばかりの私にとっては特別なんです」
それはヒトとの絆だから。
この世界でのヒトとしての心を繋ぎ止める碇だから。
今はヒトではなく船である私にとって、それはとても大切な、キラキラと輝いて見えるものだから。
「エーリカ様。
私の生まれた国の、ずっとずっと古い風習では、強敵は敵であると同時に、もっとも深い敬意を払うに値する存在であると考えられていました。
敵の中でも、特に恐怖と尊敬を集めた者は、倒された後もずっと恐れられて、敬われたのです。
あまりに強大だった敵は、時に神様として崇め祀られることさえありました。
エーリカ様は私にとって、この国で他にいない、恐れ敬うに値する特別なお方です。
私の女神様なのですよ」
「あなたはいつも、不思議なことを言うのね。
私を女神様と呼んだのもまた、あなたが二人目だわ」
それも一人目は、お亡くなりになったお母様だろうか。
「イリス様のために、私は絶対に負けるわけにはいきません。
でも、エーリカ様のような偉大な敵に負けたのであれば、それはひとつの、納得のいく結末なのではないかと感じるのです」
「私、真正面から正々堂々戦って、あなたを気持ちよく負かすような女じゃないわ」
「見解の相違ですね。
僭越ながら、エーリカ様はもっと搦め手に強くなるべきです。
卑怯な女は、初対面の相手に『お前は私の敵だ』と宣言したりはしないのですよ」
そういう真っ直ぐなところも、エーリカ様の好きなところだ。
けれど、今回みたいな事が起こる貴族社会で生き延びていくためには、今のままではいられないだろう。
それがちょっとだけ悲しい。
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