王様と象の寓話 / 折り紙
「退屈ですか、皇女様」
第一発令所。アクリル窓から外を見ていた背後に声をかけると、肩をびくりとさせてから、皇女様が振り返る。
皇女様は最近、第一発令所に通いつめている。安全に外の風景を見られるのが、ここしか無かったからだ。
第二発令所はガラス張りの艦橋なので、外から見られてしまうし、狙撃の危険もあるから封鎖している。
第一発令所のアクリル窓は不思議な仕組みになっていて、外から内側を覗くことはできない。
魔法によるのか、あるいはマジックミラーか遮光板でも入っているのだろうか。
自分のことながら、仕組みのわからない機構が多い船なのだった。
「私のこと、警戒されていますね」
「ごめんなさい」
「いえ、正常な反応だと思います」
むしろ、これまでヒト扱いというか、正体不明の古代戦艦のわけわからない構成要素である私を、避けようとしない変な人ばかりだったのがおかしい。
イリス家の人たちはイリスヨナを管理するのが仕事だし、関わりも長いらしいから良いとしても。
疎開民の皆さんは私の正体を知らないので、どこかの貴族家の子女か、イリス家の遠い親戚くらいに思っている。
エーリカ様はあの通りの方だ。
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「王様と象のパズル」
エーリカ様はそう言っていた。
「森の中で野生動物の狼に出会えば、ヒトはひとたまりもない。
でも、人間の猟師は狼を狩るわ。
そして、人間の猟師は王に従う。
ヒトのなかでいちばん強いのは、王様ということになるわ。
王は狼を倒すことができる。
でも、王様と狼を、王宮の謁見の間にひとりきりで閉じ込めたら。
王様はあっという間に、ばらばらに噛み殺されてしまうわ。
さて、強いのは王様と狼、いったいどちらなのかしら」
興味深い寓話だ。
それと、象はどこへ行った。
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とりあえず現状では正直なところ、生きていられる以上の贅沢は大して提供できない状況なのだが、女の子を窮屈にさせてしまっている現状には、思うところがある。
「退屈してはいませんよ。いつもと同じですから」
その言葉は、ちょっと私の興味を引いた。
「皇女様は航海のご経験が?」
「そうではなくて、閉じ込められている今の状況のことです。第五皇女ともなれば、謀殺や暗殺はあたりまえの日常です。
それに、成すべき公務はいくらでもありますから、自由なんてありません。閉じ込められているようなものですよ」
アクリル丸窓に片手をつきながら、下まつ毛に憂いの滲む皇女様を見ていると、気持ちが引き込まれる。
「むしろ、私のそばに使用人たちが監視する目のない今の方が、自由だなって感じているくらいです」
私はそれを見て、すごく綺麗だと思った。
すばらしい演技だ。
エーリカ様の入れ知恵だろう。
今のイリスヨナの船内は、狼と王様が一つの箱の中に閉じ込められている状態だ。
狼はどうやら政治を解していない。
それは、近衛がおらず政治的立場以外の守りを裸にされた今の皇女からすれば、無防備で恐ろしくてたまらない、危険な状況だ。
だが、狼はヒトの言葉を話し、ヒトの気持ちをどうやら解する。
ならば、情に訴えるのは身を守るのに有効な手となる。
「この船は良い船ですね」
「お褒めに預かり、光栄です」お世辞でも褒めてもらうのは嬉しい。「私に皇女様のお気持ちを理解することは叶いませんが、誠心誠意お守りしますので、どうかご安心ください」
皇女様の立場には同情するけれど、それは約束の理由ではなかった。
とても良いものを見せてもらったから。
生きるために演技を磨いた美少女が、私だけのために眼の前で演じてくれるなんて、こんな贅沢は前の世界では一生得られなかっただろう。
良い退屈しのぎになった。
エーリカ様にイジメてもらうのも良いのだけれど、行きの5日間をそれで楽しんだばかりだし、狭い艦内で毎日では、お互い食傷してしまいかねない。エーリカ様とは今の良い関係を気長に楽しみたいので、それは避けている。
とはいえ皇女様にとっては、私の同情をひいて自らの身を守るのは仕事の内だ。
このままイリスヨナの上客になって欲しいとまでは言わないが、少しはサービスで返しておくべきだろう。
「ところで、かの国では折り紙を知るヒトがあまりいないと聞いているのですが、皇女様はご存知ですか」
「折り紙、ですか。それはどのようなものなのでしょう」
「ひとつなぎの平らな紙を、切ったり張ったりせずに折り曲げます。それだけで、鳥や虫などの難しい形の立像を作るという、遊戯とアートの技法です。
例えばこのような」
そう言って私は、手元から「鶴」の折り紙を取り出す。
「皇女様は、芸術関連のお仕事もありますでしょう。もっと難しい形の紙の造形物をご覧になったことが、おありだとは思いますが」
「ええ、確かに。形状だけなら、もっと美術的で美しく複雑なものはいくらでもあります。
でも、これが紙一枚から?
ああ、いえ、疑っているわけではないのですが」
「いえ、疑うのは当然のことだと思います。私も話だけでは信じなかったでしょう。
もしよろしければ、退屈しのぎに、眼の前で実演して見せても?」
「ええ、是非」
綺麗な色付きのパルプ紙を用意する。この世界にも、薄いパルプ紙が存在する。
さすがに化学的に漂白された上白紙とはいかないが。
書き心地も良いし、折り曲げにも耐える。
それでも、なぜかこの世界では『羊皮紙』なるものの方が評価が高いようだった。
理由はわからないので、後で確認しようと思っている。
「最初に三角に折って、紙に折り目をつけるのがコツです」
これはあくまでサービスなので、途中、見るだけで退屈しないように、ちょっとした小話を挟む。
「エーリカ様によると、一部地域には、植物の葉を折っておもちゃを作る遊びがあるそうです。密林や森の奥の集落、珍しい品種の芋など、大きな葉が手に入る地方で、子どもたちの間に受け継がれていると」
エーリカ様からその話を聞いた時、私は笹舟を思い出した。
笹の葉を折って作る船のおもちゃだ。
思い返してみれば、男子に混じって笹舟を作って遊んだ小学生時代のあの頃には既に、私は船というモノに魅入られていた。
海の向こう、どこか私の知らない世界へ連れて行ってくれる乗り物。
いつか乗りたい、と思った。
まさか私自身が古代戦艦になって、見知らぬ世界を旅することになるとは、想像もしていなかったけれど。
「できました。魔法は使っていませんよ」
「そうね、確かに」
皇女様が飲み込んだ続きの言葉『確かに魔法で手を加えたなら、もっと上手に作れるわよね』が聞こえてきそうだ。
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ミッキのところで鉄板を浮かべる話をしていた時に発覚したのだが、どうやら私はこの身体になってから、異常に手先が不器用になっている。
フォークはまだマシ。スプーンでスープを掬うのに失敗することすらある。
これでは箸など問題外。
試しに紙に簡単な図形を書こうとしてみると、丸や四角もままならないありさま。
もともと器用な方ではなかったものの、イリスヨナになる前の人間だった頃は、笹舟くらいは作れる工作力はあったはずなのだ。
仕方がないので、勉強の合間をぬって、手先を動かす訓練をしている。
そのために採用した訓練メニューが、人間だった頃に慣れ親しんだ折り紙。
折り曲げに耐える良いパルプ紙をわざわざ用意してもらった。
なお、ミッキは私の下手くそなサンプルと説明、一回の実演を見て、見事な鶴を折ってみせた。
さすが技師一族。最初に皇女様に見せた鶴のサンプルがそれである。
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