第五皇女様の乗艦

臨時のお客様方を応接室に通して、とりあえずお茶を出す。


「現在、戦速で河を北へ遡上中です。エーリカ様のために湯浴みを用意させました。まずはそちらへ」


「ありがとう。でも後でいただけるかしら? 先に事情を説明して欲しくはない? その方が良いと思うわ」

「エーリカ様がそう仰るなら、こちらもありがたいですが」


エーリカ様が綺麗好きなのには以前から気づいていた。今は、最低限繕ってはいても服には汗が染みていて、行きの旅程ではブラッシングに余念のなかった毛並みが乱れている。


「それに、湯浴みはこちらの方の後に。

皇女様、船内設備ですから手狭なのと、私のための用意ですので足らないところは申し訳ありませんが、お使いください。事情の説明はこちらでしておきます」

「お気遣いありがとう。そうさせて頂きます。

でもご挨拶だけでもしておきたいわ。ご紹介いただけるかしら」

「わかりました」エーリカ様が私に向き直る。「ヨナ、イリスを呼んでちょうだい」


艦内放送をするまでもなく、第一発令所の外で待っているイリス様を副長が呼びに行く。

エーリカ様の態度からして、高貴な方なのはわかる。しかも『皇女様』と呼んでいた。年齢は、副長より少し年上くらいの少女。


イリス様がやってきて、客人の顔を見ると、歩み寄り少し離れた距離で膝を折ってかしずく。

イリス様が顔を見知っているということは、やはり高位のお方らしい。


エーリカ様がイリス様を示しながら言う。


「こちらが、イリス・ストラウス・ローズガーデンです。我が辺境国で古代戦艦イリスヨナを管理する一族の当代の巫女を務めております。イリス、こちらはエルセイア王家の第五皇女様です」

「イリス、顔を上げなさい」


皇女様が言い、イリス様がゆっくりと顔を上げる。それを待ってから、次の言葉。


「突然ですみませんが、しばらくこの船にお世話になると思います。よろしくおねがいしますね」

イリス様はまだ社交の会話が上手くできないので、短く答える。

「はい」

「エーリカ、彼女のような幼い娘が巫女を?」

「先代が早くに亡くなりまして」

「そう。やはり巫女は短命なのね」


それで挨拶は終わりかと思ったら、皇女様はちらりとエーリカ様を見る。

エーリカ様は意図が読めない、というフリをして、少しの時間を考えてから答える。


「ヨナ・ストラウス・ローズガーデンと、呼ぶのが適切かと存じます。本船イリスヨナの妖精ではなく、化身とでも言うべきか、とにかく、彼女がイリスヨナそのものです」

「それは、本当ですか」

「ヨナは先日、イリスが巫女を継いだ際に誕生したばかりです。このような事は過去に例がありません。私共も対応に困っています」


たぶん陸軍とかこの国レベルの政治的な話をしているのだろう。

困っていると口では言ったけれど、エーリカ様自身は、私と良い関係を作っているし、政治的にも物理的にも、どうとでもできる自信がおありのようだし。


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皇女様の湯浴みにエミリアさんが付き、護衛にもう一人立つことになった。

この船内に不届き者がいるとも思えないが、形式を整えるのも重要だ。

皇女様もその方が少しだけでも安心だろう。


その間に、エーリカ様から事情説明が入る。


「戦争の噂で物資の不足と買い占めが始まっているのよ。

こちらが隣国から小麦を買いすぎてしまって、小競り合いになっていたから、仲裁が入ることになったの。

私と皇女様はその立会だった。その講和の妨害か、皇女様の暗殺が目的ね」


暗殺という単語と街中に立ち上る煙は相反する印象だけれど、まあわからなくもない。

副長の予想は大筋当たっていた。


「本筋と関係ない疑問で申し訳ないのですが、皇女様のお名前が出てこないのって何か意味があるんですか」


あれだろうか、魔法のある世界では、真名を知られると呪いをかけられやすくなるとか、そういうの。


「イリスと似たような仕組みよ。第五皇女様にはまだ名前がないの。

王位に継いた方はそのまま王様と呼ばれるし、王家の他の方も役職や役職毎に襲名するお名前で呼ばれるようになる。役職によっては新名をつけることもあるけれど。

まだ誰が王位につくか決まっていないから、名前がない。

乳母やそれくらいに親しい関係同士ならば、幼名で呼び合うこともあるわね」

「イリス様は長女でしたので、生まれたときからイリス様でした」

「高貴な方ほど古い役職名や名前をもらえる仕組みなのよ」

「なるほどわかりました。ご説明ありがとうございます。

船内ではとりあえず皇女様とお呼びしておけば大丈夫ですか」


エーリカ様がうなずく。


閑話休題。

副長が話題を本来のものに戻す。


「船の進路ですが、このまま北上して辺境国の首都まで逃げ込みますか」

「それは上手くないわね。申し訳ないのだけれど、敵がどのくらい国内に紛れ込んでいるかわからない状況なの。

船から降りて、途端に敵味方が不明な兵隊に囲まれるのは避けたい。

それと、河川をこのまま北上して、地上から現在位置を補足されているのも敵に有利な材料になってしまうわ。

だから国境からは出ることになってしまうし、首都から一旦離れることになるけれど、緩衝地帯の密林に逃げ込むことを提案します」

「時間を稼げば状況は好転するということですか」

「暗殺事件が起こったことは誰の目にも明らかですから、国内外で犯人探しと、彼らの国内拠点の捜索や制圧が始まっているはずです。数日すれば、大きな軍隊とほとんどのスパイを取り除けます」


確かに、敵は小規模集団だから暗殺に出たわけで、時間がたてば王国・辺境国側が彼らを掃討して安全が高まるわけだ。

あるいは、もしこのままクーデター的なものに発展すると困るが、そこは私達が心配しても仕方ないだろう。


私は副長に目を向ける。副長は地図を取り出して密林内の河川の幅と深度を確認してくれていた。問題なかったようで、頷いて返す。


「わかりました。ジャングルに逃げ込んで、時間を稼ぎましょう」

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