大型海獣との遭遇
今日も今日とて、イリスヨナは船上のヒト、もとい海上の船。
この世界には、艦隊を作るのに必要な大型船も、必要な造船技術もまだ無い。
あったとしても、まずは自由にできるお金が必要だ。
イリス伯にお小遣いを強請ってみるというのも手だが、まだどこまでワガママが利くのかわからない。
それに、さすがに一国の防衛予算並の金額が引き出せるわけがない。
私の持っている知識でお金儲けができたりすればよかったのだけれど。
私はまだ、この世界について詳しくない。
それに、生憎と以前の世界での記憶が曖昧だ。私の記憶で比較的はっきりしている艦船知識だって、どうせ良くて書生の理屈、卓上知識にすぎない。
残念ながら、知識からポンと艦船を作り出すことはできないのだ。
繰り返しになってしまうが、まずはお金、そして人だ。
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私が持っている、この世界での優位性と新規性は何か。
それはもちろん私自身。
手足のように動かせる古代戦艦しかない。
次はどうやってお金に変えるか。売り払うのは論外として。
(レンタルは真面目に検討した。借りてくれる人がエーリカ様くらいしかいなかった。)
他にイリスヨナに出来ることといったら、戦争と海獣退治くらいのものだ。が、この世界では、誰もロマンあふれる海戦を求めてはいないし、私も戦争が好きというわけではない。
海獣とヒトの生存圏はほぼ被っていないので、海獣退治に良いお金を払ってくれるお客はいない。
そこで目をつけたのが、戦艦イリスヨナを使っての漁業である。
なにしろ文字通りの手付かずの海洋資源だ。
そして、規制する法律もないから、良心が許すなら海底引きでも何でもあり。
とはいえそんなことをするつもりはない。
そもそも海底にはエビとかサンゴとかヒトデとか、海獣がうようよしており網がひとたまりもないため漁が成立しない。
それに、収量から見ても無茶な漁法は必要なさそうだ。
なにせ、対艦用のレーダーでいいかげんに探知した魚群へ向かって、素人がおっとり網を投げて魚はほとんど逃げてしまった、という状況でも、なんやかんやで最終的に、網がいっぱいになるのだ。
将来的には、積極的に海洋環境を保護して収量を維持する必要があるかもしれないが、今は考えなくても良いだろう。
というわけで、原子力空母でイカ釣り漁をするがごとく、無駄使い感がすごいけれど。
最近は毎日のように、イリスヨナを使った漁業の下調べである。
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「しかし副長も、乗員の皆さんも、よく了承してくれましたね」
イリスヨナで海洋調査を名目に漁業をすると言った時、船員から反発があるだろうな、と思っていたのだが。
「そうですか? 我々はイリスヨナの船員ですから、当たり前のことですよ」
「軍人としてのプライドとか、特殊技能に通じた船員として小遣い稼ぎの手伝いなんてやってられるかとか」
「ありません」
「せめてバイト代よこせタダ働きさせるなよとか」
「イリスヨナに奉仕し、共に有るのが我々の喜びです」
底意のない笑顔を向けられると、私としては返せる言葉が無くなってしまう。
なにしろ私自身が、イリスヨナとしての本能に従い、イリス様のためにこれをしているのだ。
艦橋で唯一の普通人である水雷長に話を振ってみる。
「水雷長はどうなの?」
「副長達もそうだと思いますけど、あえて言うなら、理由はなんでもいいから、船を動かして海に出られている今の方が楽しいですね。
桟橋での暮らしは退屈ですし、陸の面倒ゴトが、いつ降りかかって来るかわかりませんから」
艦橋の計器を監視しながら、水雷長は答える。
「イリスヨナでの水雷長の仕事は楽しいですが、人を殺したいから船に乗っているわけではないですし」
「なるほど」
どちらかというと、水雷長の言葉の方が、罪悪感なく受け入れられる。
なんだか自分の心の平穏のために言葉を探したようで、申し訳ないけれど。
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ちょっと前に判明したのだが、副長以下乗員のうちの26名が、実は彼らも人間ではなかった。
「我々は自分たちのことを妖精と呼んでいます。イリスヨナが自身の運用のために作り出す乗員です」
どうりでみんな同じ顔をしているわけだった。
「妖精でない船員は、イリス家からの非定員な乗員を除けば、水雷長と、医務室に一人と、あと機関室に一人います。いずれ会うこともあるでしょう」
その人たちには会いに行くべきかな、とは思うものの。
他に、先に確認すべきことも多いし。
副長たち妖精の乗員も、顔は同じでも個性があるようで、それと区別するような扱いをすべきかどうかはすぐには決めかねる。
それともう一つ。
「この船、第三艦橋、水没してない?」
「はい。しています」
副長はこともなげに答えた。人造人間(?)だから無感情だと言われたらこの瞬間は信じてしまいそう。
イリスヨナは中央左腹に大きな裂け目を持っていた。
「問題ありません。第三艦橋の80%が水没していても、イリスヨナの浮力は十分ですので。
隔壁から先への水漏れもありません。
沈む心配はありませんよ。
実際、もう70年近くそのままになっています。機関部は水没せずに残っていて、メンテナンスハッチからアクセスしています」
「なんとか排水できないのかしら」
「海水の入ってくる穴を塞がないことにはどうしようもないですが、そんな方法も技術もありません。傷の状態を見ようにも、陸揚げする場所さえないですからね」
えっ、この世界、ドックとかブンカーとかも無いの?
って、大型船が古代戦艦くらいしか無いのだから、無いか。
「みんな大型船の寄港とメンテナンスはどうしているの?」
「母港はどこも岸壁を削るか、浮き桟橋を使っているようです。古代遺跡の大型港湾がある国もあったそうですが、今でも使えるところがあるとは聞きませんね」
そして、本船を含め、傷ついた船を癒やす方法も治す技術もないため、動かなくなった船は破棄するとのこと。
「えっ」
この世界の医療と公衆衛生の普及度と技術レベルは、魔法使いの活躍もあってとても高いと聞いていた。元の世界の東京ではできないような治療、例えば手足の再生治療も、運が良ければ受けられるとか。
だから何とはなしに安心していたのだが。
どうやら私だけが、その恩恵にあずかることができない立場らしい。
船の私は、この世界では軽率に風邪をひくこともできない。
いや、船が風邪をひくかどうかはわからないが。
ともかく、直せないのなら、慎重に運用しよう。
「とはいえ、イリスヨナは古代戦艦ですから、尋常な手段では船体に傷一つつけられません。それほど気にしなくても大丈夫ですよ」
そこまで楽天的にはなれないが、まあ、そうかもしれない。
何もしないで引きこもっているわけにもいかないし。
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ところで今日は、いつものように漁に出てきたわけではなかった。
「戦闘海域、やっぱり何も残っていませんね」
海面は平穏そのものだった。
漂流物も、既にどこかへ流れていってしまったのだろう。
犯人は現場に戻る、というテンプレからすると、今まさに現場に戻ってきている本艦を見られるのは、不味いといえば不味い。
一方で、この場に居合わせる船がいれば、そいつも関係者に違いない。
こちらの身バレと引き換えに、重要な情報が得られはする。
しかし現場に他の船影はなく、その代わり、足元で聴音に感有り。
『海底に船影多数。中型海獣の群れと思われます』
私の報告に、副長が返す。
「海獣の斥候か?」
私の代わりに、聴音をヘッドホンで聴いていた水雷長が答える。
「それにしては騒がしすぎます。あるいはスカベンジャーだとしても、魚群ではなく中型海獣が群れているのは違和感がありますね。共食いが始まる密集度ですよ、これ」
と、聴音に長く大きな音が混じる。
『深度80、100m級、魚型の大型海獣と思われます』
頭の中で分布マップを引っ張り出して眺める。こんな近海の浅い海に大型がいるのは珍しい。
「大型海獣の動きは?」
『動きなし、いや、また動きました。間隔が短くなってます』
「副長、これは、気づかれましたね。雷撃戦準備、しますか?」
「いや、魚雷の使用は避ける。第一種警戒配置。衝角戦用意。船内客員はショックに備えるよう通達」
『了解。船内に通達。衝角を雷撃可能状態へ』
雷撃長が愚痴る。
「魚雷を使えば一発KOなのに」
それとこれも新事実。こっちは世知辛い話なのだが。
「魚雷の残弾は12発しかない。海獣相手には使えない」
古代戦艦イリスヨナ、なんと撃つ弾がない。
イリスヨナが使っている魚雷も、古代遺産レベルの希少品だそうなのだ。生産がないではないというか、イリス伯領地内の工廠で製造しているそうなのだが、その生産量、なんと年間4本。
これは製造工程にも手を入れなければならない。
というかなんでそうなっているのか詳しく訊いてみて、手に負えなかったら別の武装を検討するべきだ。
まあこのへん、イリスヨナの稼働率が低かったせいで手が回らなかったのもあるらしいので、私の立場からはあまり悪く言えないのだが。
魚雷無しでどう戦うかといえば、古き良き『体当たり』である。
そうはいっても、イリスヨナは岸に接触するだけでヘコむ現代護衛艦艇ではない。海獣相手にどつかれても船体は平気(中の人たちは頭をぶつけたり大変だが。私の人形ボディ含め)。
イリスヨナには衝角が艤装されていて、これには便宜的に雷撃と呼んでいる、接触相手に衝撃を与える原理不明な機構がついている。
大型海獣が浮上しつつ、こちらに近づいてきた。
彼らは水深による水圧変化など意に介さない。
『急速接近。接触します』
「対ショック姿勢を」
『全艦に通達』
少し置いて、船全体が揺れる。
艦砲とはまた違う、左右に揺られる動き。
「こちらの反応を確かめてますかね」
とはいえ、無抵抗にしていても、このまま終わることはない。彼らの基本行動では、不審なモノを見つけると、とりあえず相手を持ち上げたり、ひっくり返したりしてみる。
それで状況が変化しなければ、全体重をかけて『乗り上がる』。
これを100m級の生き物にされたら、普通の船ならたまらない。
イリスヨナはといえば、この程度ではびくともしない。もしひっくり返されても、中身はともかく船体はぜんぜん大丈夫。
古代戦艦の丈夫さには恐れ入る。
本当に何で出来てるんだ、私の船体。
「どうします? 都合よく鋭角の前に来てくれるのを待つか、こっちから頭を振って追いかけ回しますか」
「いや。ヨナ様、衝角の衝撃で空砲を一発お願いします」
『了解しました』
艦内に「バチン!」という小気味良い音が響いた。
船外では衝撃を持った重低音が海中を広がっていく。
『大型海獣が離れていきます』
「でもさっきの衝撃で、海底はちょっと騒がしくなりました。もし群がられると面倒ですよ」
「急速退避する。機関全速」
『機関全速へ』
探索と遭遇戦は、こうして、あまり収穫のないまま終わった。
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