エーリカ様の襲来4
「じゃあ次はわたしの番ね」
「え?」
「気になるのでしょう、尻尾」
背中を向けたエーリカ様の下半身が揺れる。
小さな女の子の裸に、本来なら何も感じるはずはないのだけれど。
金糸のような幻想的な金髪がいけない。
ブラジャーの広告で見るような、女でも目を奪われるブロンド美女を連想してしまう。
長い金髪のかかった少女の肌は、まるできめ細やかな肌をした、とびきり美人な大人の女の裸に見える。
こんな綺麗な肌に恐る恐る触れている私の姿、とても他人には見せられないな、と素直に思った。
尻尾は猫のもののようだけれど、滑らかな毛が背筋に沿って立ち上がり、ドラゴンの尾のようでもある。
「勇ましくて、格好良いです。とても綺麗」
「ありがとう」
当然、という口調で答えるエーリカ様の、身体の一部であることが納得できる優美な尻尾だった。
尻尾の付け根は、背筋の途中から窪みに沿って生える産毛が、広がり太くなり、臀部の尾てい骨前で尻尾として生え分かれている。
詳しくはわからないが、腰つきもどこか人間と異う。
アニメのイラストで見るような、人間に尻尾だけ取ってつけたような臀部ではなかった。
触れながら見惚れる私に、エーリカ様は頭上から言葉を落とす。
「イリスヨナ、最近はよく海に出ているんですってね」
「あ、はい。なにぶん生まれたばかりみたいなものですから、操船に慣れておきたくて」
「ふうん。でもそう言っておきながら、ただ訓練するだけではないのでしょう? なんでも、海で漁をしているとか」
「えっと、はい。そうはいっても、海洋調査みたいなものでして」
「海洋調査」
「はい。あくまで近海の状況を把握するための予備調査であって、特に深い意図はないのです」
「みたいなもので、予備調査で、深い意図がない、と。あらそう。
だとしたら、漁場で収量の調査がおわった後は、どうなさるおつもりなのかしら?」
あれ、私、獣耳少女の臀部を撫でながら、いつのまにか追い詰められてる?
「この国の象徴、礎そのものでもある貴重な古代戦艦で、引網漁をしているのよね」
「うぐっ」
眼の前の白い肌が、今は別の意味で直視できない。
「そうです」
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「せっかくなのだから、耳も触っておきなさい」
「いいんですか」
「貸し借りで借りっぱなしにするのも面倒だわ」
そういうものだろうか。
ともあれ、話題が切り替わった。
ほっと一息つこうとした瞬間。
「そういえばあなた、列車砲に興味があるのよね」
「えっと、列車に」
「列車砲にもあるのでしょう? 確かに列車砲は大口径な分、威力はあるわ。でも、洋上の的に当たらなくはないけれど、列車砲はレールの上からは動かせないし、外洋に出てしまえば射程外よね。あなたにとって重大な脅威とは思えないのだけれど」
「レールは伸ばせばよいのでは」
「重量のある列車砲を乗せられるレールを、そんな簡単には敷設できないでしょう。
いえ、そうでもないかしら」
考えるエーリカ様の真剣な横顔を間近で見せつけられる。
その思索を中断するのがあまりに恐れ多くて、耳に触れられない手が宙を彷徨う。
気づいたエーリカ様がにやりと笑う。
「どうぞ」
「では、失礼します」
触れる。
エーリカ様の小さなため息。
たれ耳に生える足元への毛の向きに合わせて、指を這わせる。
髪と耳で、毛並みと質がまるで違う。
一本一本は剛毛と言っても良いくらいの、太くてしっかりとした毛並み。
それなのに、手で触れるとシルクなんて比べ物にならない心地よさ。
柑橘の香水の良い香りに、微かに混じる、獣の生命力と、生きている人間の懐かしい香り。
「丁寧に手入れされていますね」
「ええ。お母様と私の、お気に入りなの。
いつもは使用人に任せているけれど、自分でもできるわ」
そんな背伸びした子供のような言い回しが、エーリカ様の口から出ると、一周回って愉快だ。
「あと、耳の根本を少しだけ」
「許します」
さらさらの金髪をかき分けた先に、頭皮から生える産毛と、それに囲まれた獣耳の生え際。
そこを控えめに指で押すと、赤ちゃんのほっぺのように柔らかだった。
「ありがとうございました」
丁寧な仕事と愛情に敬意を払い、横撫でや逆撫では遠慮することにした。
耳を持ち上げてみるのも、同じ理由でパス。
エーリカ様の垂れ耳の向こう側がどうなっているのか、興味はあるけれど。
指を離す。
「こちらこそ、敬意を持って優しく触れてくれたことに感謝します」
「え、どうして」
「当然よ。直接触れられているのだから、わかります。
それに、不用意に逆撫ですれば、痛いはずだもの」
そう言ってエーリカ様は、自らの耳に生える表毛から、特別硬い隠れ毛をより出す。
それは痛いというより、指に刺さって肉に届きそうな見た目をしていた。
「まだ子供だから、髪質がおかしいのよね」
私は今日はずっと、エーリカ様に試されていたのかも知れない。
けれど、やっぱり怒りは湧いてこなかった。
その代わりに、綺麗な薔薇には本当に棘があるものなんだなぁ、と、のんきに思った。
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「そうだ、この国の挨拶を教えていただけませんか。私は手つなぎしか知らないのです」
「この国では胸の前に軽く手を当てるのが、貴族平民を問わず、挨拶として一般的よ」
「試しにやってみても?」
「いいわよ。まるで子供ね」
確かに、大人に教えてもらった仕草を真似して見せるというのは、子供のものまねのようだ。
私はこの世界でまだ日が浅いから、子供みたいなものだけれど。
「手はもっと自然に、力を抜いた形にしなさい。指を曲げていい。たとえ王様の前でも、力は抜くこと。
相手を前にして身構えてしまうのは、嘘がバレたくない者か、裏切り者よ。
固く伸ばすのは、軍隊が出立する時くらいね」
なるほど。そういう考え方をするのか。
こういう礼節やマナーは、その文化固有の考え方とセットになっている。
「エーリカ様ならご存知かもしれないのでお訊きしたいのですが、この世界で死者を敬う場合、どのような礼をすれば良いでしょうか?」
「それは、あなたの友の話? 敵の話?」
「できれば両方」
「本当は宗教や種族によってそれぞれ違いますが、まとめてする場合、敵も味方も同じです。普通に挨拶と同じことをしなさい」
「これでいいんですか」
「それ以上は、死者の自由に踏み込む行為だわ。各々が望む弔いは、残された親しいものがいれば、その者たちがするでしょう。死は死者だけのものよ」
これ以上は何をしても、場合によっては仏教徒に向かって十字を切るような事になるかもしれない、ということか。
「なるほど。ありがとうございます」
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エーリカ様は結局、本当に最後までイリス様にお会いにならなかった。
別れ際、玄関先で。
「ヨナ、あなたは自身が国家機密そのものなのだから、他の誰にも身体を調べさせてはダメよ。
私の後から来る下級貴族たちに、あなたが身体を詳しく見せたりしたら許さないから」
ご自身で確認した上、さんざんお付きの女性医師に調べさせてから、そのお言葉とは。
自分のところで独占するから、他の奴には情報を漏らすなよ、ということか。
私はさすがに苦笑いしかできない。
「大丈夫ですよ。私にも恥じらいの気持ちはあります」
などと適当な言葉でお茶を濁す。
と、不意に、エーリカ様が首をかしげて私の顔を見上げた。
「ねえ、あなた、イリスのことが好き?」
「? はい」
「死んで欲しくない?」
「ええもちろん」
と、答えてから気づく。
エーリカ様はそれから数秒、何かを考えていて。
「列車砲、動かす、船。...ああ!」
そして、エーリカ様の頭の中で、パズルのピースがパチリと填まる音が聞こえたような気がした。
うっかりさんで察しの悪い私も、エーリカ様が何らかの答えにたどり着いたことがわかってしまう。
私の最終目的は、言い当てられても決して認めるわけにはいかない。
けれど、エーリカ様相手にバレたら、どう誤魔化したものか見当もつかなかった。
「もしかしてあなた、私の敵?」
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