エーリカ様の襲来2
『どこから情報が漏れた』『それはまあ使用人からでしょう、噂になってるよ』『それにしたって早すぎないか』『そこから先の経路は正直わからんあの人怖い』
みたいなやりとりがあって、数日後。
イリス伯邸で一番大きくて豪華な応接室で、イリス伯が私を紹介する。
「エーリカ様、こちらがヨナです」
「はじめまして」
エーリカ様が私に向かって手を差し出す。
この国で握手はマイナな作法なのではなかったっけ?
疑問に思いつつ、差し出された手を握る。
と、握った手をそのまま引き寄せられて、ハグしているかのような距離で、小さな声。
「ヨナ様、挨拶はこれをお好みだと伺いましたので」
手をがっしり握ったまま耳元でささやくのやめてくれません? 完全に、幼児のそれではないですよ。
ふわりと柑橘の良い香りが舞う。
事前情報で、イリス様と同い年だと聞いていた。
金髪でツリ目がちな、気の強そうな美少女。よく見ると横耳が太長な垂れ耳で隠れている、獣人混血。同世代のヒト種より早熟というか、体のラインが既に子供ではなくなりつつある。
言葉使いも滑らかで、とてもイリス様と同い年とは思えない。
『混血のせいとかではないんですよ。周囲も早熟っぷりに怪訝な顔をしているくらいで』とは、イリス伯の弟氏の言葉。
確かに眼の前の少女は、早熟という言葉が相応しい顔つきと言葉使いをしている。
じろじろと見るだけ見ておいて何も言わないのも失礼かと思ったので、挨拶の後に感想を付け加える。
「エーリカ様。お初にお目にかかります。ヨナと申します。
耳、色と形が良くてとても素敵ですね。耳飾りも凛とした印象でお似合いで、羨ましいです」
「あらありがとう。不思議なところを褒めますのね。耳を褒められたのなんて、お母様以外では初めてかも」
「そうですか?」
お世辞でなく、綺麗だと思うけれど。
賞賛に値するし、言葉だけでは讃え足りないくらいだが、文化が違うのだろうか。
「エーリカ様は尻尾も生えているのですか?」
私の身体には獣耳はあっても尻尾は生えていなかったから、気になる。
あ、もしかしてこれ、センシティブな話題だったりするのでは?
ここまで言ってから気づいても遅いけれど。
幸い、エーリカ様が気分を害されている様子はなかった。
「興味がおありですの?」
「それはもちろん」
「女性の臀部に関心をお持ちなんて。わたくしまだ童女ですのに」
「そうは見えませんよ」
思いがけず、色っぽい受け止められ方をされてしまった。
エーリカ様からそういう言葉が出てくるのは、意外でもない感じだけれど。
「エーリカ様は、今日は汽車でこちらへ?」
「そうよ。あなたは大陸鉄道に興味が?」
「はい。いつか乗ってみたいです」
「あなた自身が船なのに、汽車に乗ってみたいの?」
「船と言っても、気持ちは人間みたいなものですから。
そういえば、エーリカ様はこの国で高名な『陸軍御三家』のご息女と伺っています。列車砲の実物はご覧になったことがおありですか」
「ええもちろん。それに2台ほど持っているわ」
えっ。
「持っている、というのは、コレクションですか」
「列車砲小隊1つと、その予備込み装備2門よ」
実行戦力だった。
「エーリカ様。お訊きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「エーリカ様の要望で、イリス様にはこの場では席を外してもらっていると聞いています。
イリス様ではなく、私なんかにわざわざ会いにいらっしゃったとのことですが、エーリカ様ほどのお方が、なぜです?」
「あなたに興味があったからよ。
それと、あなたは有名人よ。この世界ではね。
あなたはもう少し自分のことを知ったほうがいいわ」
エーリカ様はイリス伯を見る。
貴族社会で話題になっている、という意味らしい。
「実はそれは、私も知りたいのです。
もしよろしければ、私が周囲からどのように見られているか、エーリカ様の聞き知った私についての世間の評判を、お聞かせいただけませんか?」
「ええいいわ。あなたが自分のことを、いろいろ話してくれるならば。
あなたのために時間をとってあげましょう」
「感謝します」
私は頭を下げる。
頭を下げる感謝の表し方は、この国ではあまり使われないそうだが、この世界でもそのまま通用する。
「せっかくですから、この後イリス様にもお会いになられますか?」
さっきからこちらの質問ばかりで、ちょっと失礼だったかな。
そう思った私に、エーリカ様はこともなげにこう言った。
「いいわよ。だって私、あの子嫌いだもの」
「そうですか」
場の空気が固まる。
歓迎の場にイリス様が居ないのは、どうやらそういうことらしい。
いつも不機嫌そうに見える仏頂面を崩さないイリス伯でさえ、何かを危惧する表情で、何故か私の方を見ている。
その中でエーリカ様だけは様子が変わらず、私に言う。
「あら、機嫌を悪くしないのね」
「うーん、そうですね」
「あなたイリスの船なのでしょう?」
「確かに、こういう時は、機嫌を損ねるべきなのかもとは思うのですが」
思い返してみると、私のこういうところは、人間だった頃から他人の共感を得られたことがあまりない。
「イリスヨナとして、イリス様に手を上げる者がいれば魚雷を叩き込みますが、それは気分が悪くなったからというわけでもありませんし。
私はイリス様が好きですが、人には相性というものがあると言います。
誰かが誰かを嫌うのは、相手を積極的に害しようとさえしなければ、その人の自由だと、私は思っているようです。
そして、エーリカ様はたとえ相手を嫌っていても、そういうつまらないことをする方ではないように感じます」
歯切れ悪く答える私。
エーリカ様は、なぜか機嫌良さそうにニヤニヤ笑いをしながら、そんな私を見ている。
何がそんなに楽しいのか、私にはわからないけれど。
「ねえイリス伯、わたし、ヨナさんと2人きりで話したいわ」
イリス伯が返事に詰まる。
「だってお話が面白いし、もっと仲良くなりたいんだもの」
「しかし」
「お願い♪」
子供らしさを全面に押し出したわがままに、イリス伯はわざとらしいため息をひとつつく。
そうやって時間を置いてから。
「仕方がありませんね。貸しひとつ、ですよ」
「わかりました。やったあ」
眼の前で行われたやりとりの意味が、すぐにはわからない。
少し考えてみて、やっと理解する。
つまり、イリス伯は子供とのやりとり、という体裁で貸しを作り、エーリカ様がそれを受けたという形だ。
イリス伯は半信半疑ながら『御三家への貸し』をひとつ作り、エーリカ様は時と場合によってはそれを『子供の言ったこと』として突っぱねることができると。
そして、お互いそれは了承済みで、つまりは何か小さなことになら使える貸し、ということなのだろう。
そもそもエーリカ様の頼みを、イリス伯が断るのは難しいという家同士の力差の問題もある。
あ、貴族政治って面倒くさい。
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