イリスヨナの巫女 / イリス様のお命
イリスヨナの船内には、適度な広さの応接室がある。ここもまた広くて綺麗な内装がされている部屋で、船の中とは思えない。
副長から報告を受けたイリス伯は、目元に出来たシワを指で押さえながら言った。
「撃破したのか」
「所属不明の敵性艦でした。撃破に至ったのは、不幸な事故です。陽動を目的とした、回避できてあたりまえのはずの攻撃でした。私の判断ミスです」
「困ったことになったな」
副長は、言い訳と取られそうでも原因を列挙し、一方で結果の責任を非を認める形で引き受ける。
人によっては不快に感じるだろうが、私はそういう現場責任者は好きだった。
報告はそこで終わったのか、私の方に話を振られる。
「ところでヨナ様、現在の状況について、率直なところ、どの程度理解しておられますか?」
「実のところ、まったく。私が」イリスヨナが「敵艦を撃破したことは、現場に居合わせたので理解しているのですが、それがどういう意味を持つのかはまったく」
「最初からご説明しましょう。ヨナ様はこの国の名前すらご存じなかったようですから」
イリス伯にそれで良いかと確認して、許しを得てから話し始める。
「この国は、中央を流れるアドレオ河から名前を取った、海辺の小規模な辺境自治国です。同じような辺境国は海岸沿いに20前後あり、それらは大国エルセイアの束ねるエルセイア連合国という同盟に属しています。そして、海岸の辺境国の独立自治権は、海岸線を守る戦いに参加するという盟約の下、その実行力たる古代遺産の万能戦艦を所有している故に認められている、という側面があるのです」
「つまり、船を失った者は国を失うと?」
「今ではそこまでのことにはならないようです。すぐには、ですが。この40年あまり、各国に知れ渡るような海戦は起こっていません。小競り合いになりかけることはあっても、互いに国の宝であり替えの効かない貴重な船です。失わないために、どの国も平時は出港すら避けています」
なるほど。それを撃破してしまったと。
当然、国際問題に発展する。そんな重要な船なら、下手しなくても開戦の理由になりかねない。
「海の上で起こったことです。目撃者もおらず、しばらくはバレないでしょう。相手国も船を失ったことは隠しておきたいでしょうし。そのまま上手くやってくれればいいのですが」
イリス伯は首を横にふる。
「さすがに隠し続けるのは無理だろう。弟に頼んで、対応を考える」
「よろしくお願いいたします」
2人の間で、当面の対応が決まったようだ。私はおいてきぼりだが、わからない内容でもなかったし、できることもなさそうだ。とりあえずはそれでいい。
「私が目覚めた時、イリスヨナが海上にあったのは、戦いが始まるからなのですか?」
「大陸側では戦争が始まる気配があるようなのですが、海側は平和そのものです。しかし、関係のある話ではあります」
「どういうことですか?」
「そろそろイリス様の話をいたしましょうか」
「イリス伯家は代々、女系がイリスヨナと交信する巫女のような力を受け継いで生まれる家系です。イリスという名前も襲名制で、巫女となるべき長女が継いでいきます」
そして私に問う。
「ヨナ様は、イリス様を特別に感じておられますか?」
「そう、ですね。そう感じます」
すっごいかわいい美少女だから。
と、それもあるけれどそれだけでない。
最初に聴いた声が、心地よく頭に響く感覚。あれがきっと、イリスヨナにとって特別な存在であることを表す何かだったのだろう。
「イリスヨナが出港したのは、イリス様が巫女を正式に継ぐ儀式をするためです。巫女が船を降ろすことで、イリスヨナの制御と運用ができるようになります。
ここ2年は巫女が不在であったため、イリスヨナは、儀式のために洋上に出るのがやっとの状態でした。
本来はもう少し待ち、お身体が出来てから巫女を継ぐべきだったのですが、そういうわけにもいかなかったのです」
イリス伯がその理由を説明する。
「大国同士の戦争の気配が近い。世相に煽られて国内の情勢も不安定化している。
そのため、祝い事を通して緊張をやわらげると同時に、空白となっているイリスヨナの巫女を確定し、足元を固めたいという国の意向を、イリス家として無視できなかった。
この2年の間も、無理を重ねて引き伸ばしてきた」
「それで海上に出て儀式をしようとした矢先に、あの戦闘です。
敵艦の目的はわかりませんが、戦闘状況下で、イリス様は奇跡的に儀式を成功させました。そして理由はわかりませんが、あなたが現れた、というわけです。
イリス様のお身体のことですが。イリス家の女系は代々、身体が弱く短命です。こう言うと責めているようなので、そう取らないで頂きたいのですが、ヒトの身でイリスヨナの力を御することは命を縮めるのでしょう」
それを聞かされて、私は頭の中に冷たい鉄心を入れられたような感覚を覚えた。
「では、イリス様も?」
「よくお倒れになるのは、巫女である故だと思われます」
「イリス様のお母様は?」
「先代の巫女は、2年前に亡くなられました。
彼女も巫女だったのですが、もしかして、覚えておられないのですか?」
「すみません。記憶にありません」
素直に答えてしまってから、イリス伯の方を見て、しまったと思う。
彼の表情は変わらず感情は伺えないが、イリスヨナのせいでお亡くなりになった、彼の奥方のことだ。
「イリスヨナとしての私の記憶は、どうやら戦闘中から始まっていて、それ以前は無いようです。
過去の記憶らしいものはあるのですが、それは少なくとも、イリスヨナとしての船の記憶ではありません」
「人間としての記憶、ですね。
なにしろこのようにイリスヨナが人の形と感情を持ち、意思疎通できるということ自体が初めてなのです。
ヨナ様の出現が、どの程度異常な出来事なのかすら、私達にはわかりません」
私が今の形でここにこうしていることは、前代未聞で想像もされていなかった事態ということか。
確かに、船が人の姿を取って現れるとか、普通ならば思いもよらない事だ。
(思いもよらない。...うん? そう、だよね?)
頭の中に、何かがひっかかる。このシリアスな話題の途中で思い出すようなことではないような、あるいは、そうでないような。
私は副長に疑問をぶつける。
「イリス様のお身体への負担、どうにかできないのですか?」
「それはむしろ我々があなたにお訊ねしたいのです。
イリス様のお身体を蝕まれている力は、制御可能ですか。というかそもそも、自覚や感覚はありますか?」
「いいえ、まったく。私が意図してイリス様を害するなんて、そんなことするはずがない。
私には、とてもそんなことは出来ません」
自分でも驚くほど、心が動揺して心臓が暴れる。
嗚咽をこらえきれず、顔を覆う。手がうっすらと涙で濡れる。
これがイリスヨナという船としての感情か、と、人間の私が少し離れたところから見ている。
でも、人間のわたしも、イリスヨナほどではないが、大いに動揺していた。
私は存在するだけで、あんな小さな女の子の命を、意識せずとも脅かしているのか。
一度思い出して忘れかけた記憶が、少しだけ蘇る。私は、あんな年頃の子供がいたかもしれない年齢の女だった。一人でいることを選んだのは自分自身で後悔はしていないが、それでも子供は可愛いと思うし、小さな子供の命のことだ。
冷静でいなければならない一方で、冷静でいられるほうがおかしい事でもある。
イリス伯が私に抑揚のない声をかける。
「ヨナ、我々は古代戦艦イリスヨナから名を取り、船の管理のために伯爵位を受けている一族だ。その義務と立場を捨てることはできない」
それは娘の命に対して、あまりに冷たい言葉のように思える。でも伯爵の心中までがそうであるのか否か、私には判断がつかなかった。
わかることといえば、イリス様はイリスヨナの巫女であるだけで命を削ること。
そして、巫女を降りて頂くことは簡単にはできそうにない、ということだった。
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