第3話 思い出

 翌日、今日は最後の週末だ。今日も多くの人が来ている。みんな名残惜しそうに来ている。その中には年配の人が多く、その中には孫や孫娘と来ている人もいる。孫や孫娘にこの映画館を見せておきたい、ここに映画館があったことを忘れないでほしいという思いで連れてきたんだろうか。


 俊哉はその様子を見ていた。俊哉は孫の事を思い出した。東京にいる孫にもこんな映画館があった事を伝えたい。目に焼き付けさせたい。いつまでも忘れないでほしい。最終日には来るそうだ。俊哉は少し笑みを浮かべた。


「多くの人が来てますね」


 従業員はその様子を見て笑みを浮かべていた。久々に賑わいのある世界座が戻ってきたようだ。だが、もう世界座は消えてしまう。


「いつもこんなんだったら閉館にならなかったのに」


 別の従業員はため息をついた。その従業員も、昨日、シネマコンプレックスに行って、世界座との差に愕然となっていた。サービスも飲食も広さも何もかも世界座よりもはるか上だ。これではかなわない。シネマコンプレックスの様子を見て、従業員は世界座が閉館する理由がよくわかった。


「時代の流れなんだな」


 俊哉も今日の賑わいを見て感じていた。いつもだったらこんなに入らない。客はみんなシネマコンプレックスに行ってしまう。


「すいません、忘れ物を取りに来ました」


 突然、取材を受けている俊哉に女が声をかけてきた。美津子だ。昨日の忘れ物を取りに来た。今夜来た時に渡そうと思ったのに、まさか朝に来るとは。


「あ、これですね」


 俊哉は鞄を取り出した。


「そうですそうです! ありがとうございます!」


 美津子はお辞儀をした。鞄が見つかって、美津子はほっとした。


「美津子さんですか?」

「はい、そうですけど。どうして名前を知ってるんですか?」


 まさか、自分の名前を言ってくるとは。


「俊哉ですけど。中学校の同級生だよ」

「俊哉くん?」


 まさかここで俊哉と再会するなんて。美津子は驚いた。中学校を最後に会ってなかったが、よく覚えていた。


「うん」

「こんな所で再会できるなんて」


 まさかこんな時にこんな所で。もう会えないだろうと思っていた。


「ちょっと、2人で話したいな」

「いいけど」


 2人は午後から喫茶店で話すことにした。約半世紀ぶりの再会をともに喜びたかった。


 昼下がり、2人は映画館の近くの喫茶店にやってきた。その喫茶店は世界座の近くにある。世界座ができる少し前からあり、映画を見た人がここで余韻に浸っていたという。


 喫茶店は空いていた。駅前の商店街を訪れる人は少なく、ここも閉店の危機にあるという。


「俊ちゃん、元気だった?」

「うん」


 俊哉は少し元気を取り戻した。1人暮らしになって以降、あまり元気になれなかった。


「あ、どうも今日は」

「あれからどうしてたんですか?」


 俊哉は美津子が中学校を卒業以来、何をしていたのか知りたかった。あれ以来、全く会った事がない。


「国語教師になって、結婚したんですよ。でも、今月限りで定年退職。夫は去年他界。子供たちはみんな結婚などで家を離れたんです。あの頃はよかったわ。賑やかで」


 国語教師になって、結婚していたとは。そして、私と同じく、来月から無職になるのか。


「そうですか。僕にも息子がいたんですけど、東京に行って結婚したんです。今は1人暮らしです」


 俊哉は寂しそうな表情を見せた。やっぱり1人暮らしは寂しい。話す人がいないと気分が落ち込んでしまう。


「そっちも孤独なんですね」

「うん。修了式終わったし、あとは離任式だけよ」


 美津子が俊哉の気持ちがわかった。自分も同じ気持ちだ。


「私もね、妻を亡くしましてね。息子は大阪で働いてるんです」

「そうですか」


 2人とも息子が1人立ちして自分は1人暮らし。俊哉は美津子の気持ちがよくわかった。自分も今そんな心境だ。


「息子は大阪で教員をしてるんですよ」


 息子のことを考えると、美津子は少し笑顔を見せた。自分と同じ教員の道を志している息子を誇らしげに思っていた。


「ふーん。定年後はどうするの?」

「まだ考えてないんですよ」


 美津子は来月のことを考えていなかった。大阪の息子の家に隠居するか、老人ホームに入るか。なかなか決めることができなかった。


「孤独じゃない?」

「孤独だよ。1人暮らしだもん。でも、世界座が閉館したら、東京の息子夫婦の家に隠居するんだ。もうすぐ孤独じゃなくなるんだよ」


 俊哉は笑顔を見せた。来月から息子夫婦の家で暮らす。これだけでもとても嬉しい。もう孤独ではなくなる。


「ところで、どうしてこの時間なんですか?」

「亡くなった夫と一緒に映画を見た時間なんですよ」


 美津子は亡くなった夫のことを思い出した。同じ教師で、とても仲が良かった。でも、悪性の腫瘍が見つかり、余命1年を宣告され、亡くなった。


「そうなんですか」


 俊哉は納得した。夫のことを思いながらここに来ていたのか。


「そう・・・」

「どうしたの?」


 美津子は何かを考えているようだ。だが、なかなかいうことができない。


「いや、何でもないのよ」

「そうですか・・・」


 俊哉は美津子との初恋のことを思い出していた。あの時のことは今でも忘れていない。別の人と結婚しても、子供が生まれても、心の奥底にしまい込んで、忘れていなかった。




 次の日の日中、美津子は自宅のリビングで考えていた。中学校の頃、将来結婚しようと思っていたが、それを伝えることができずに別れてしまった。どうしてあの時言えなかったんだろう。できればあの時に戻りたい。そして、結婚を約束したい。だが、もう半世紀近く経ってしまった。この年齢で結婚なんて、もう遅い。


「どうしたの?」


 入ってきたのは、隣の老婆だ。この家に時々遊びに来る。


「中学校時代の同級生に会ってね」

「へぇ」


 老婆は俊哉のことを知らなかった。世界座に行ったことはあったが、館長の名前は全く知らなかった。


「映画館の館長やってるんだけど、もうすぐ映画館が閉館するんだって」

「どこ?」

「世界座」


 世界座と聞いた時、老婆は上を向いた。世界座のことを知っているからだ。


「先週、私も行ったんだ。何十年ぶりだろう。何も変わってなかったな」


 老婆は世界座に行った時のことを思い出した。何十年前に行った時と全く変わっていない。


「その同級生、閉館したら東京の息子夫婦の家に隠居するんだって」

「そうなんだ」


 老婆は夫を亡くして孤独になった自分と重ね合わせていた。この人も同じ気持ちなんだろうか。


「息子さん、シネマコンプレックスで働いてるんだって」

「あそこね。最近孫とよく行ってるの。あそこ、映画館の何倍も楽しいわね」


 老婆は先日里帰りした孫と一緒に行ったシネマコンプレックスのことを思い出していた。広くて、明るい雰囲気で、飲食も充実している。世界座の何倍も楽しかった。


「だから映画館は閉館になるんだね」

「それ、よくわかる」


 美津子のその気持ちはわかった。最近、そんなニュースを耳にする。映画館の閉館の原因はシネマコンプレックスに客が映るからだ。シネマコンプレックスに行ったことはなくても、世界座の閉館はこの近くのシネマコンプレックスが関わっていると思っていた。


 ふと、美津子は俊哉のことを考えてしまい、上を向いてしまった。


「どうしたの?」

「あの同級生、俊哉くんのことを思って」


 やっぱり俊哉のことが忘れられない。どうしたらいいんだろう。美津子はわからなかった。


「えっ!?」

「中学校の頃、好きだったんだ」

「そうなんだ」


 老婆はその話に感銘を受けていた。自分にも中学校の初恋の相手がいた。だが、思いを伝えられずに卒業とともに別れ、それ以来会うことがなかった。そして去年、その男は亡くなった。


「今でも忘れられなくてね」

「そうなんだ」


 老婆は、去年の葬儀のことを思い出していた。彼の棺の前で、あの時、告白できなかった事を悔やんで泣き崩れていた。


「あの時、好きだと伝えられなかったんだ」

「ふーん」


 老婆はその話を真剣に聞いていた。


「夫を亡くして孤独で気分が上がらなかったんだけど、俊哉くんと再会して再び気分が良くなって」

「そうか」


 懐かしい友達と再会すると元気になる。確かにそうだ。去年の葬儀で懐かしい友達にあった時、少し元気になった。


「新しい夫にしようかと思ったりして。あっ、冗談だよ。もうこの歳になって再婚って」


 美津子は冗談で本音を口にしてしまった。再婚なんて、この歳になってする気じゃないのに。


「いいじゃないの。一緒になっちゃいなよ!」


 老婆は再婚に賛成だった。いつの時代になっても恋は大切だ。


「でも、こんな歳で」


 美津子は戸惑っていた。


「いいじゃん! 人生の最後を好きな人と暮らせるっていいことだよ!」

「うーん」


 美津子は深く考え込んでしまった。本当に再婚してもいいんだろうか。この年齢になって再婚なんて。

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