第2話 美津子

 翌日、今日は休みの日。俊哉は家にいた。結婚した時にできた一軒家だ。2階には自分の部屋の他に、妻と息子の部屋がある。だが、妻も息子もいなくなり、そこには普段誰も入らなくなった。定期的に掃除はしていてきれいだが、誰もいないと寂しい。


 1人暮らしになって10年近く経った。あの頃に戻りたい。でも戻れない。妻はもう戻ってこない。息子はほとんどここに帰ってこない。外に出ることもあまりない。


 俊哉はレンタルビデオで借りた映画を見ていた。映画館で働いていた影響か、休日は専らレンタルビデオの映画を見ていた。


 俊哉は何も話さずに見ている。というか、誰も話す相手がいない。ここ数年、映画の従業員ぐらいしか話し相手がいない。


 映画が見終わると、俊哉はテレビを見始めた。この時間帯は面白い番組がない。昔はあったのに。

 結局、面白いと思う番組はなく、俊哉はテレビを消した。


 俊哉は昨日の夜買った缶ビールを飲み始めた。もう何年も誰かと飲んだことがない。妻だけが飲む相手だった。だが、そんな妻もいない。息子と暮らすようになったら、2人で飲みたいな。


 俊哉はあの女のことが気になっていた。一体あの女は誰だろう。どうしてこんな時間に見てるんだろう。


 突然、電話が鳴った。俊哉は受話器を手に取った。


「あっ、お父さん」


 息子だ。1週間に1回、電話がかかってくる。


「うん、どうした?」

「元気にしてるかなと思って」

「元気だよ」

「よかった。声を聞いてなかったら、大丈夫かどうか不安で」


 電話が切れた。俊哉は少し嬉しかった。もうすぐいつでも会えるから。これで孤独でなくなる。息子夫婦や孫と暮らせる。


 午後、俊哉は暇つぶしにシネマコンプレックスに行くことにした。俊哉はシネマコンプレックスに行ったことがなかった。ライバルなので、行く気になれなかった。


 俊哉はシネマコンプレックスにやって来た。シネマコンプレックスは多くの人で賑わっていた。ショッピングセンターに併設されているためか、それともそれ自体が魅力的だからか。


 俊哉は映画館とシネマコンプレックスの違いに驚いた。噂で聞いていたが、映画館の何倍も広くて楽しい。スクリーンがいくつもあるし、飲食も充実している。これは映画館がつぶれる。ニュースでつぶれる映画館のことがよくやっていた。その理由の多くがシネマコンプレックスの進出だという。これでは負ける。


 俊哉はそこに勤めている息子のことを考えた。息子はこんなところで働いている。さぞかし楽しいんだろうな。でも、映画館とは違って、親密感がない。親密感では、映画館が勝っている。




 数日後、閉館まであと1週間を切った。この頃になると、徐々に名残で来る人々が出始めた。最後の賑わいと言わんばかりに、人が集まり始めた。いつもこれだけ人がいたら、閉館にならなかったのに。


 この日、俊哉はテレビのインタビューを受けていた。オンエアは閉館後で、最後の1週間を取材する内容だ。


「閉館まであと少しなんですけど、どういう心境ですか?」

「寂しいですけど、これも時代の流れなんでしょうね。近くにシネマコンプレックスができて、広さやサービスで太刀打ちできない。どうにもなりませんよ」


 俊哉はうつむいた。息子夫婦に会えるのは嬉しいが、やはり映画館がなくなるのは寂しい。父から引き継いだ映画館を守れなかった。無念で仕方ない。


「閉館後、どうなさる予定ですか?」

「息子夫婦の家に居候しようと思ってます」


 それでも俊哉は下を向いている。


「息子さんは、何をなさっているんですか?」

「シネマコンプレックスで働いているらしいです。父のように、映画館に携わる仕事がしたいと言ってたそうです」

「そうですか」

「こんな時代の中で、映画館って消えていくもんなんでしょうか?」


 俊哉は寂しそうな表情だ。こうして映画館は寂れていくんだろうか? 時代が変わるように、映画館の客もシネマコンプレックスに移っていくんだろうか?


 その夜、今日も1日が終ろうとしている。いつもより多くの人が来たおかげで、今日の収入は上がった。いつもこんなに人が来ていたら閉館にならなかったのに。俊哉は残念そうだ。


 俊哉は監視カメラを見た。今日上映の映画は全て終わった。館内に残っている人がいないか見ていた。


 俊哉は第1スクリーンを見た。またしてもあの人が来ている。服装は違っているものの、顔でわかった。


「今日もあの人来てるな」


 俊哉は不思議そうに見ていた。どうして毎日来ているんだろう。


「そうですね」


 と、俊哉は何か考え事をしているような仕草を見せた。従業員はその様子を見て、首をかしげた。


「どうしたんですか?」

「ちょっと話そうかなと。カメラ、頼んだよ」


 俊哉は第1スクリーンに向かった。女はいまだに立ち去ろうとしない。一体この人は誰なんだろう。どうしていつもこの時間に来てるんだろう。


 俊哉は第1スクリーンに入った。エンドロールはもう終わったのに、女は今でもそこにいる。終わったら帰るはずなのに、どうして?


「どうしたんですか? 毎晩来て」


 誰かの声に気付いて、女は振り向いた。


「何でもないんです」


 女は再び黒いスクリーンを見つめ始めた。


「そうですか」

「もう映画終りましたけど」

「あら、すいません」


 女は帰っていった。俊哉はその様子を不思議そうに見ていた。どうして毎日来るんだろうか?


 女は振り向かずに映画館を出て行った。


 俊哉は第1スクリーンを後にしようとした。と、女の座っていた座席に、鞄がある。女が忘れたんだろうか?


「忘れ物・・・」


 俊哉は鞄を手に取った。鞄の中にはカードケースが入っている。その中には保険証やキャッシュカードなどの重要なカードもある。


 俊哉は鞄を事務所に持ち帰った。このかばんの持ち主は一体誰だろう。そして、あの女の人は一体誰だろう。見つけて、鞄を返さねば。


「あの人が忘れてったんですか?」


 俊哉は顔を上げた。従業員だ。今日の仕事を終え、帰ろうとしていた。


「たぶんそうでしょうね」


 俊哉はたぶんそうだと思っていた。あの時間に映画を見ていたのはあの女だけだ。上映の終わりに忘れ物がないか見て回っている。じゃなかったら、この人しかいない。


 俊哉は保険証を見て驚いた。


「この人・・・」

「どうしたんですか?」

「この人、知ってるんだ。中学校時代の同級生。でも、どうして、ここに来たんだろう」


 俊哉はその女のことを知っていた。中学校時代の初恋相手の美津子だ。中学校の卒業とともに別々の高校になり、別れた。それ以来、美津子には会っていない。でも、どうしてここに来たんだろう。


「わかんないな」


 俊哉は首をかしげた。どうして今頃になって美津子が来るんだろう。


「明日、聞いてみようかな?」

「いいですよ」


 俊哉は壁の時計を見た。もうとっくに閉館の時間を過ぎている。俊哉は映画館の片付けを始めた。だが、美津子のことを考えてしまってなかなか進まない。

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