ラスト・ムービー
口羽龍
第1話 最後の客
梅松市は江戸時代から城下町として栄えた。城の周辺には当時の家屋が立ち並び、多くの観光客が訪れている。明治になると、ここに鉄道が敷かれた。のちに、私鉄も延びた。利用客は、どちらかと言えば私鉄の方が多い。
その中心駅、梅松駅から歩いて数分の所のアーケードに、『世界座』と呼ばれる映画館がある。昭和初期に開館した映画館だ。開館以来、多くの人がここで映画を見た。特撮映画に、人気のアニメ映画に、スタジオジブリの映画に。どれもこれも楽しい思い出だ。
だが、時代は変わった。梅松市の郊外に大きなショッピングセンターができ、そこに併設したシネマコンプレックスに客を奪われた。世界座の客は減り、休日でもガラガラの日々が続いた。シネマコンプレックスは多くのスクリーンを持ち、いくつもの映画を上映することができる上に、飲食が充実している。スクリーンが2つだけで、軽食しか売っていない世界座とは差が歴然としている。
3月、世間は卒業シーズン。春になり、寒い冬は過ぎて、ポカポカ陽気になってきた。卒業した小学生や中学生、高校生が映画を見に来る。春休みになると、それ以外の小学生や中学生、高校生も見に来る。だが、彼らの多くはシネマコンプレックスで映画を見る。世界座で映画を見るのはごくわずかだ。シネマコンプレックスの方が面白いに決まってる。
現在、世界座の従業員は3人。その最年長で館長の俊哉は62歳。もう40年もここで働いている。おととし亡くなった父から引き継いだこの映画館。父が若かったころは多くの人が見に来たのに、今では休日もまばらだ。郊外にシネマコンプレックスができたからには致し方ない。打つ手がない。どうしようもない。俊哉は諦めていた。
俊哉は肩を落としていた。父から引き継いだ世界座も、赤字続きで、今月いっぱいで閉館が決まった。俊哉以外の2人はシネマコンプレックスに再就職することが決まっている。俊哉は再就職せず、息子夫婦に家に隠居する予定だ。息子の健人は東京のシネマコンプレックスで働いているという。映画館で働く父の背中を見て、映画館で働きたいと思ったが、映画館よりもシネマコンプレックスの方が楽しいのでそっちに就職した。
「残念だね」
従業員の若者は寂しそうだ。夢を持って数年前に就職したのに、閉館で転職だ。転職先は近くのシネマコンプレックスだ。
「俺が子供の頃は、多くの子供が見に来たんだよ。特に、南極物語の時には多くの家族連れが見に来たな。自分も見たけど」
1983年の南極物語の上映時には開館前から多くの家族連れが集まり、感動していた。若かりし頃の自分もそれを見て、感動していた。
「こんな映画館はつぶれる運命なんでしょうか?」
俊哉は深く考え込んだ。映画館よりもスクリーンが多くて、飲食もグッズも充実しているシネマコンプレックスの方が面白いんだろうか。映画館は小さくても、そこがいい。人と従業員が密接に感じられ、親近感を持てる。でも、シネマコンプレックスに客は流れてしまう。親近感より、サービスがものをいう世の中なんだろうか。
「だろうな。きっとこれが時代の流れなんだろう」
従業員は仕方がないことだろうと思っていた。これが時代の流れだ。時代の流れに逆らうことはできない。
「寂しいな」
俊哉は肩を落とした。
「人の流れは商店街からショッピングセンターに、映画館はシネコンに移ってしまうんだろうな」
「残念だよ」
俊哉は顔を上げて少し最近のことを思い出した。
「それでもタイタニックやもののけ姫、千と千尋の神隠しの頃はすごかったよ」
1997年に公開されたタイタニックやもののけ姫はシネマコンプレックスでもやっていた。だが、それでも見れない人が多く、世界座でも上映することになった。どの上映も連日満員で、まるで昔の世界座が戻ってきたようだった。千と千尋の神隠しもそうだった。シネマコンプレックスでもさばききれなくて、世界座でも公開することになると、多くの人が集まった。
「館長はどうするんですか?」
「息子夫婦の家に隠居しようかと」
館長は再就職せず、息子夫婦の家に隠居しようと決めていた。残りの人生は息子夫婦の家に隠居しながら、レンタルビデオで映画を借りて見ようと思っていた。
「そうですか。そういえば、息子さんどうしてるんですか?」
「東京のシネコンに勤めているんだよ。映画館よりもシネコンが面白いし、はやっているから、そっちを選択したんだよ」
10年前、健人は東京の大学に進学し、下宿先の近くのシネマコンプレックスに就職した。世界座の館長を受け継ぐつもりだったという。だが、その世界座もなくなり、これからもシネマコンプレックスで働くことになった。2年前に結婚し、去年初孫が生まれた。生まれた時には世界座を休んで病院まで駆け付けた。閉館して隠居したら孫に会えると思うと、嬉しくなる。
「そうですか。確かに、シネコンって楽しいですよね。いくつもスクリーンがあって、飲食が充実しているから」
従業員は小学生の息子とシネマコンプレックスに行ったことがあった。世界座と違い、広くて多くのスクリーンがあって、飲食も充実している。世界座の何倍も楽しい場所だ。これではどうにもならないと思った。
「うちにもあんな設備があったら残れたのかも」
俊哉はシネマコンプレックスの設備がうらやましかった。こんな設備が世界座にあれば世界座は閉館にならなかったんじゃないか。
「こんな狭い所じゃあ、無理だよ」
「そうだな」
言われてみればそうだ。アーケードの限られた所で増築なんて無理だ。これでは打ち手がない。
「時代は変わり続ける。その中で、映画館はなくなるんだ」
従業員は上映中の映画のポスターを見ていた。この映画の上映が終わる日、この映画館も終わりを迎える。
「そうなんかな?」
「仕方ないんだよ」
従業員はしょうがないと思っていた。友人の家族はシネマコンプレックスによく行っている。そっちの方が楽しい。そんな中で小さな映画館は閉館になるんだ。従業員は運命を感じていた。
その日の夜、もうすぐ今日最後の上映が終わる頃だ。俊哉は受付でくつろいでいた。あとはスクリーンから戻ってきた客を迎えるだけだ。客と言っても、数えるほどしかない。昔はもっと多かったのに。
「もうすぐ終了時間か」
「今日も少ないですね」
従業員がやって来た。従業員は暇をしていた。辺りはもう暗くなっている。アーケードは寂しい。周りの店は閉店ばかり。人通りが少ない。みんなショッピングセンターに行ってしまう。映画館どころか、アーケード全体が寂れていた。
俊哉は防犯カメラからスクリーンの様子を見ていた。席はいくつもあるが、ほとんどが空席だ。全盛期には立ち見が出るほどだったのに。こんなに少なくなってしまった。シネマコンプレックスがなければこんなことにならなかったのに。
そんな中、俊哉は1人の初老の女性が気になった。初老の女性はおしゃれな服装をしている。どこか寂しそうだ。
「この人、気になるな」
「いつものことだよ」
従業員は初老の女性のことを知っていた。ここ最近、今日最後の上映になると必ずやってくる。最初はあまり気にしなかった。だが、いつも最後の上映にだけ来ているので、徐々に気になり始めた。
「この人、誰なんだ?」
俊哉は首をかしげていた。どうしてこの時間に来ているんだろう。しかも同じ映画を。
「最近よく来てるんですよ。何でしょうね」
従業員も疑問に思っていた。もう何度も見たのに。同じものを見て飽きないんだろうか?
「わからないな」
「気になります?」
「いや」
俊哉は防犯カメラをじっと見ていた。映画はもうすぐスタッフロールだ。もうすぐ今日最後の上映が終わる。
上映が終わり、客がスクリーンから出てきた。そのほとんどは中年や老人ばかりだ。だが、あの初老の女性は出てこない。
俊哉は気になって、防犯カメラを見た。すると、初老の女性はスクリーンを見つめてじっとしている。もう閉館なのに。どうしてここでじっとしているんだろう。
俊哉は注意しようと思い、スクリーンに入った。初老の女性は俊哉に気付いていない。
「お客さん、もうおしまいですよ」
俊哉の声に反応し、初老の女性が振り向いた。初老の女性は少ししわが目立っていて、厚化粧をしていた。
「あら、ごめんなさい」
声をかけられ、初老の女性は席を立った。まるで終わったことに気が付いていないようだ。初老の女性はスクリーンを出て、映画館を早足で出て行った。
俊哉はその様子を不思議そうに見ていた。どうして終わってもここに残っていたんだろう。
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