雲夢沢

この身のうちの湿原に

古代の象が泳いでいる

現代と比べていくぶん小型の象の背を

馬乳色の霧がつつみ隠してゆく

遠い民族の祖霊が昇る天の下に

いにしえの中国の大湿地は広がる

一日中薄く空を覆う雲の向こうの、白い子安貝に似た太陽は

地上の千の鏡をぼんやりときらめかせ

水鳥の群れは鳴きかわしながら

霧深い地平を目指して飛んでゆく

その先の原生樹林には

孔雀や飛ばない大型の鳥が、幹のあいだをゆっくりと歩き

夜明けの激しい白雨が、濃い緑を叩くという


夕暮れどきになると

雲夢沢うんぼうたく泥濘ぬかるみ

この胸を憂鬱に冒しはじめる

内臓組織に細い根を張って、化膿の痛みを与える水生植物

澱みに揺れるその緑の茎で、夕闇を吐きだす白く小さな花

私の目の中の夕立は

遠い地上を打つまでに細かい霧と化してしまう


はるかな上代に広がっていた雲夢の大沢は

長江の岸辺に、無数の湖沼を残して姿を消した

数十万の水鳥の群れに棲家をうしなわせるとしても

この胸を冒す湿原を枯らして

乾いた肺で、自由に呼吸することができたらいいのに


酒を過ごした明け方に

窓を開けて、激しい通り雨を見ている私はいまだ

この身のうちに湿原をもつ

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