マンドリン

皐月待つマンドリン

柑橘の匂い立ち

かつてのひとの袖がその楽器の弦に触れる

彼は詩人

祖国においてはここではないどこかに焦がれ

はるか遠い地にあっては故郷を恋うひと

幸福の色が青だとしたら、

足元の波をいくらすくっても水色じゃないみたいに

幸せの中にいるとき ひとがそのことに気づかないとしたら、

青い猫を幻視していた詩人は

その猫がそばに居つかないのを知っていた

まぎれ入っても溶け込むことはできない、

青猫の抱く都会の夜を

詩人は街灯を避けてさまよい歩く


眠り込むモラトリアム

奨学金の返済を猶予されているだけの期間

両親への仕送りを気にしなくていい時間

やがて来る、社会的死刑執行を忘れていられる四年間

コーヒーのない世界では

わたしはきっと廃人だ

その香り高い覚醒剤が

かろうじて世界につなげてくれる

たっぷりとした息遣いで、ホルンを吹けるだけ吹いて

豊かな音が途切れたら

そこで絶命しよう


ピザサンド・ブルー

遠ざかることでしか見えない青

お酒を飲みすぎて

まぶたがひきつれるようにして目覚めた明け方に

がらんとした鳥の声を聞きながら、心に浮かぶひと

この世界には音と楽譜と楽器しか

存在しないようにマンドリンを弾くひと

わたしの青い猫

縦長の瞳孔で音符をつなぎ

鉤爪の退化した五本の指は弦から離れない

手を振っても

けして顔を上げないひとだから

好きでいられた


皮の青さに惹かれて手に取れば

指先の傷にしみる柑橘の汁

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