16. まゆり

「……ゆりちゃん、まゆりちゃんってば」


 客の猫撫で声でハッと我に返る。


「あ、あー……」


「うん?」


「ボーッとしちゃってた。ごめんね」


 そう言うとぎゅーっと効果音が付きそうな勢いで、心配そうに伺う客に抱きつく。


「なにか悩み事?」


「んー、そんなところかなあ」


「なになに? 僕で良ければ聞いてあげるよ」


「え〜、安田やすださんに申し訳ないなあ」


「良いよ。たまにはさ」


「そう? じゃあお言葉に甘えて」


「うんうん」


 ちょこんと安田と呼ばれる客の膝の上に座れば、首に手を回し寄り掛かるように引っ付く。


「あのねえ、うーん。なんて言えば良いんだろ。えーっとね、友達にね、友達……じゃないな。後輩にね、ちょっとキツい言い方しちゃったの。その子、損するくらいにお人好しで優しくて。そんな子が選べるわけがない選択肢を大人気なく、つきつけちゃったの」


 濁しに濁し、本当のことを混ぜて心の中の突っかかりを吐き出したしうの頭をポンポンとあやすように安田が撫でる。

 その動作に声には出さずとも悪態を吐く。


「そかあ、うーん。 うーん」


 真面目に考えているのか、しうの頭を撫でる手が不規則になりぴたりと止まる。


「その子がどんな選択をして、なにを選んでもまゆりちゃんは乗り越えられるって考えたんじゃない?」


「そう……なのかなあ」


「どこかできっと、そのお友達に期待してんだよ」


「期待?」


「そう、期待。人ってのは他人に、特に自分に似た他人には無意識に心配やら期待やら色々乗せちゃうんだよ」


「今日の安田さんいつもと違うね」


「これでも一応教師なんで」


「そうだった、そうだった。もうすぐでお父さんになる先生だった」


「やめてくれよ〜、急に現実に引き戻すの」


 ごめんごめんと軽く謝りつつ、安田の言葉になるほどと半分納得する。

 自分に似た彼にどこか期待していたのだと。

 気づかれぬように、心のわだかまりが少し解けたことにふうっと息を吐く暇もなく、視界の斜め前に立ち尽くす女性に珍しくぎょっとする。


 生霊……?


 しうの思考を知ってか知らずか、いつの間にかそこにいた女性の瞳がしうを映す。


「……ねえ、安田さん」


「うん?」


「そういえばさ、さっきから電話鳴ってたよね」


「あー、そういえば」


「出なくて良かったの?」


「良いの、良いの。まゆりちゃんの悩み相談の方が大事だし」


「本当に?」


 あまりのしうの真剣な物言いに「どうしたの?」と軽く口を叩きつつも、膝に乗せていたしうを降ろすと盗撮防止の為にお願いし、鞄にしまわせたスマホを取り出す。


 真っ暗な画面が明かりを点すと、十件近くの着信履歴が浮かぶ。

 そして、みるみると顔が青くなる安田。


 ああ、あの人は生霊でも霊でもなく〝狭間にいるのか″。

 そう気づくと、しうを映す女性の瞳が悲しげに揺れる。


「安田さん」


「え、あ、ああ」


「まゆりの話、信じる?」


「あえ? え?」


「今すぐここを出て、病院に向かって。その電話は病院からだと思う。安田さんは、まゆが新人の時から来てくれてる仲良しさんだから、そんな人に後悔して欲しくないんだ」


「なっ、なにを言って」


「まゆが……私が気味悪くても構わない、二度とお店に来なくても良い。だけど、今だけは今は信じて。……奥さん、危ないよ。あんなくっきり二重の愛らしい人、悲しませちゃダメ」


なぎと……妻と知り合いなの?」


「ううん、知らない。知らないけど知ってる。代金は良いから、ほら! もう! さっさと行け!」


 張り上げる大声に驚いたのか、それとも知るはずのないことを知る女に恐怖を覚えたのか、すっくりと立ち上がるとプレイ前だったこともあり、ジャケットを引っ掴むと艶かしく輝く部屋の扉を慌ただしく開け、日常へと走り出す。


「これで良かった?」


 こくんと女性が小さく頷く。


「せめてバカ旦那が着くまで保ちなよ。貴女も……子供も」


 まるで、頑張るとでも言いた気に微かに笑う女性。


「また巡り会えるよ」


 その一言に、今度こそふわりと笑ったかと思えば瞬きの一瞬のうちに女性は消える。

 後には、なにをやってるんだとらしくない己の行動に苦笑いを浮かべたしうだけが、部屋に残される。

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