9. 古書と珈琲

 東西線、九段下駅。

 電車を降りると慣れた足取りで改札へと向かい、「ピッ」と交通系ICをかざしA6出口へとまばらな人の波に乗り階段をえっちらおっちら、あーあと文句を吐きつつ登り終え地上に出ると右へと進む。

 Bluetoothイヤフォンから流れるインディーズガールズバンドの曲を無意識に口ずさみながら大きな横断歩道を渡る。

 どこからともなく微かに香るカレーの匂いとコーヒーの香り。

 いつの間にか通りに並ぶのは古く厳かな建物が目に留まる古書堂や昔懐かしい喫茶店に古書堂が多い中では際立ち目立つ新書の本屋さん。

 それらには一切目もくれず、一つ二つ三つ目の脇道を慣れた足取りで曲がると「オープン」とだけ書かれた看板が扉にぶら下がった洋風の石造の古めかしい一軒家を訪れる。


 チリン──チリンッ。


 来客を告げる鐘が鳴り、薄暗い部屋へ足を踏み入れると古い紙の匂いとコーヒー豆の匂いが鼻に流れる。


「上にいるよ」


 頭上から心地の良い低音の声が降ってくると、吹き抜けになっている二階部分へと続く階段を登る。


「やあ」


 濡羽色の髪を肩で切り揃え耳に髪をかける中性的な顔立ちの女性がベルベットのチェスターフィールドソファに優雅に腰をかけ、読み耽っていたであろう文庫本から顔を上げるとかけていた眼鏡を外す。


「来る頃かと思った」


「ですか」


「随分と面白いものと出会ったみたいだね。あ、キヨは元気?」


「四日前だっけ? それくらい前に会いましたよ」


「そっかあ」


 凝り固まった身体をほぐすようにうーんと上に手を向け伸びると、サイドテーブルに閉じた文庫本を置くと代わりに年季の入ったジッポライターを手に取り置かれた蝋燭へ火を付ける。


「ねえ、しう」


「はい」


「あまり首突っ込まない方が良いんじゃない?」


「……ですよね」


「ああ言う子を放っておけないのはわかるけど、しうに良くない」


「なおさんがそんなこと言うって相当ですね」


「面白そうってだけの子なら良いんだけどね、それが吉と出るか凶と出るか。しかし、あんなの背後にくっつけておいてわかんないって無知は罪だね」


「見えたんですか?」


「見えたって言うか……あー、まあそうだね」


「あれって彼のお姉さんですよね?」


「だろうね」


 よいしょと声を上げ立ち上がるとしうが登ってきた階段をゆっくりとおぼつかない足取りで階下まで降りる。その後ろに着いてしうも降りると壁に沿って置かれた天井まで届くほどに高いの本棚の狭い通路を抜け、三段だけの小さな階段を降り奥へと進むと洞窟のような半地下にカフェカウンターと椅子が置かれていた。


「お客さんは?」


「いなーい。あ、コーヒーで良い?」


「はい」


 いつの間にかカウンターの向かいに立ち慣れた手つきでコーヒーの準備を始めるなお。その丁寧な動作を飽きる事なく見続けるしうにふっとなおが微笑む。


「ねえ、なんで関わったの?」


「え?」


「事故現場」


「あー……」


「あー?」


「辛そうだったから」


「それだけ?」


「まあ、それは建前で……昔の私と似てたんですよね。わかってるのになにもできなくて、それを自分の所為だって責任負うの。見てらんないですよ」


「馬鹿だねえ、重ねるものじゃないし。視えるからわかるからって基本は関わらないが生きてく上での自衛でしょうに」


「今ならなおさんの意見に大賛成なんですけどね。……そういうの教えてやる人がいなかったんだろうなって思ったら」


「しうにとっての私みたいなことを教えたいわけ……か」


「ですか……ね? 最低限の自衛くらい教えてやんのが声かけた責任かな、と」


「あまり深入りはするものじゃないよ」


 ポタポタとコーヒーの落ちる音が一定のリズムを刻み、挽きたての豆の香りと古い紙の香りが憂鬱に曇っていたしうの心にじんわりと溶け込む。


「彼が放っておけない自殺者の霊もね」


 手元を見ていたなおの視線が、やっぱり? と言わんばかりのしうの瞳とぶつかると不敵な笑みを浮かべる。


「そもそもこの話を聞きに来たんでしょ? コーヒー一杯分なら助言してあげる」





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