5. カミサマ

「この前しうさん言いましたよね?」


「なにを?」


「視えるからって、神様とは違うって。だけど、それでも俺はどうして霊が現世に留まってまで他人を巻き込むのか知りたい」


「…………偽善も甚だしい」


「わかってます!」


「いーや、キミはなにもわかってない。大体ね、そんなお人好しだからお姉……」


「なんで姉のこと」


 あいが「しうさん?」と呼ぶ声が聞こえる。聞こえるが、しうが静かに息を潜めるように押し黙り至近距離で一点を見つめていることに気づくと、うっと鼻を抑える。


「ハハッ、嘘。まじ? 私がわかんの?」


 無意識にしうが右手の中指に付けられるシルバーのサン結びの指輪に触れる。


「しうさ」


「キミは喋るな」


 引きつったような笑みを浮かべ、上を向くしうの様子にようやく藍も気づく。横断歩道にいた奴が今目の前にいるのだと。鼻につく悪臭と微かに感じる腐乱臭、込み上げてくる酸っぱいものをグッと抑え込みながら息を止める勢いで静かに呼吸をする。


「アンタ……私に用があって最近、近くを彷徨うろついてたわけ? にしては、派手に動きすぎじゃん? ふうん、自我も何もないのに私のところに来るなんて……健気っていうか、哀れっていうか。他人なんか恨んでないでさっさと成仏……はできないか、自殺者だし」


 周りの目など気にすることもなく淡々と話し続けるしう。普通ならばこんなおかしな女性を見れば人は避けて通るはずなのに、この新宿という街にいる者たちは他人に興味がないのかそれとも彼女以上に変人が多いのか、誰一人としてしうのことなど気に留めることもなく通り過ぎてゆく。


「私にどうにかして欲しいんだとしても慈善活動家じゃないしなあ」


「……霊がそう言ってるんですか?」


「ばっか、喋るなって言ったのに。認識されたらどうするの」


「いや、でも!」


「だー! もう! なに?」


「助けますよね……?」


「はい?」


「この霊を助けますよね?」


「なんで私が」


「それは視えるから」


「あのさ、いい加減しつこいよ」


 冷たい氷のような瞳が霊から藍へと移る。しまったと後悔するも遅く、しうの手が藍の胸ぐらを掴む。


「私は万能の神でも善行な良き隣人でもないの。キミの私情を私に押し付けないで」


「そんなつもりは……」


「キミもあいつも私に過度に期待しすぎ。私はね、静かに暮らしたいの」


「だけど、でも! 俺は」


「だーから! しつこいんだって、ンなもん知って助けて深入りしてどうすんの? 向こうは死人だよ?」


「それでも見てみぬフリは嫌なんですッ!」


 藍の叫び声のに似た切望する声に思わず掴む手が緩むも離す気はなく、冷徹な表情のまま無言の圧がお互いにかかる。


「あー、なんでこんなんに声かけちゃったかな。良いよ、キミのそのお人好しに付き合ってあげる。ただし、今回限りだから。もう金輪際巻き込まないで」


「本当ですか?」


「キミしつこいしね、しつこい男って大っ嫌いなの。で、具体的に私に何して欲しいの?」


「え、あ、それ……は」


「は?」


「あ! えっと、れッ、霊の恨みがなにでどうして死を選んで……他人を巻き込むのか知りたいんです。それに、少しでも未練を断ち切って楽になって欲しいんです」


「自死した奴に楽もクソのないと思うけど」


 胸ぐらを掴んでいた手が離れると、真っ白なTシャツの胸元がよれる。ハアアとこの上なく大きなため息を吐くしう。


「つーか、いなくなってるし」


 しうの言葉に確かに普通に空気が吸えることに気づくと、視えはしないのに思わず辺りを見渡す。


「どこ行ったんでしょうか」


「知るかよ。霊ってのはいつも近くにいて、いつもいないもんなの」


「そうなんですか?」


「至る所に四六時中幽霊が溢れてたら、臭すぎてキミは外に出れてないと思うよ」


「確かに」


 うーんと晴天の空に向かい大きく伸びをしたと思えば「おいで」とスタスタと人の波の中に歩みを進める。しうの後ろ姿を見失わないようになんとか頑張るも上京し、まだ三ヶ月。人の多さと周りの足の速さに慣れず、あれよあれよと彼女との距離が開き、あっという間に見失ってしまう。


「……何してんの」


 途方に暮れ、呆然と人混みの中突っ立っている藍の手を何度か触れた体温が掴むと呆れたしうの顔と仄かに香る甘い花とムスクとスパイシーな彼女のつける香水の匂いがし、安堵する。


「このお上りさんめ」


「すみません」


「手のかかる年下だなあ」


「……しうさんいくつですか?」


「あれ? 言ってないっけ? 今年で22」


「……あ、お姉さんなんですね。てっきりタメか一つ上かと」


「そんな気がする態度だったよ。キミは19くらい?」


「そうっす」


「だと思った」


 離すことなく藍の左手としうの右手は繋がれる。迷子防止の意図だとしても純情無垢な青年は終始人混みの中、心音が早くなり緊張の汗が背中を伝う。






 

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