2. 視えるモノ
「まゆりちゃんさ、名刺渡した?」
「あ」
本日の諭吉は三人かあ、しけてんなあ、ぶつぶつ呟きながら領収書に「灰花しう」とサインを書いていれば、スタッフの声に顔を上げる。
「……忘れた」
「またあ?」
「名刺なんて読まないし捨てられんのがオチじゃん。どうせ、日記見てんだし……ダメ?」
「俺にダメか聞かれても……お店のルールだし」
「うえええ、融通効かなーい。最近、アンケ忘れないでね? って言うのは頑張ってるのに」
「そうだよねえ、だからその調子で名刺も……」
「忘れなかったらね」
そう言うとお財布の中に大事そうに諭吉をしまう。
「そういえば貯金どれくらい貯まったの?」
「あー、五百くらい?」
「やるねえ、さすが人気嬢」
「褒めて、煽たって無駄無駄あ〜。さあて、明るいうちに帰るとするんでまた来週〜」
アンクルストラップサンダルを履き、扉を開けるとバイバイと軽く手を振る。閉まる扉の隙間から「お疲れ様でしたー!」とスタッフの声が僅かに聞こえるも夕方の雑踏にかき消される。
八月にまだならないと言えど、七月も前半が過ぎようとしている夕方。
湿った生暖かな風が胸元より伸びたピンクベージュに染まった髪を掬う。
キャッチを何人か素通りし、街のシンボル的なゴジラを後ろにセントラルロードを闊歩する。
午後17時少しすぎ、学校終わりの学生や早飲みを始めたサラリーマンたち、そして同業者の女の子。
三者三様、人それぞれに賑わい手元のスマホと睨めっこし人で溢れる通りの中、異様に異質に突然に見慣れた '' それ '' は現れた。
あ、ダメなやつ……。
「……う、あ、」
通りに並ぶコンビニの前で顔面蒼白で鼻を抑え、しうが見つめるモノを今にも吐きそうな顔で眺める少年に気づく。
視えてる?
そう思えば面白さと好奇心に駆られた勢いでセントラルロードの真ん中を自分の庭だ! と言わんばかりに闊歩するのをやめ、足早にその場に足が縫い付けられたようコンビニの前で立ち尽くす少年のそばに寄る。
「あ」
「あ」
少年のそばに寄ると同じく群衆の中を彷徨いたゆたう '' それ '' がグルンと180度、辛うじて首だとわかる部分の向きを変える。
「……見つけちゃったかあ」
「え」
しうの声に反応した少年が顔面蒼白の顔を今度は彼女へと向ける。え? と同じように声を出し、小首を傾げるも、走り出した '' それ '' に気づくと思わずしうの足は小走りに駆け出してしまう。
「匂いが」
駆け出した後ろで少年の震える声が耳に入る。可哀想に……そう思うも、気にするもなく7センチのヒールをものともせず呼び止めるキャッチを華麗に避け、セントラルロードの入り口へと着けば、横断歩道がちょうど青に変わり人の波が有象無象にうごめく。その中に '' それ '' が、何かを追いかけるよう赤に変わる信号や行き交い始める車など気にする素振りもなく渡り始める。
「あー、なるほど」
横断歩道を渡り、左側に流れる人並みに混じり歩く女性のそばを '' それ '' がふよふよとたゆたう。憑きたい人を見つけただけかと、もう興味など失せたのか、「あーあ」と落胆の声を漏らすしうの隣に先程の少年が寄ってくる。
「あの……」
少年の声が、何人かの「危ない!」と呼び止める声にかき消される。「ダメ!」と叫ぶ声に、スマホを取り出し撮影をしだす人達の動きにしうと少年は、うん? と人々が見つめる先をジッと見据える。
「ダメだ」
隣にいる少年の声。
人々の悲鳴と叫び声と、沢山のクラクションの音。
そして何か重いものに当たる日常では聞かない音が、騒がしい繁華街の空に響き渡る。
「……キミは見ちゃダメ」
咄嗟にどうしてそんな事をしたのか、自分でも謎のまましうの細く白い左手が少年の目を覆う。
「その後悔はキミには関係ない」
ハッハッハッと、と荒く過呼吸気味になる少年にしうの声が不思議に染み渡る。
「落ち着きなよ」
微かに香る、鉄の……嗅ぎなれた血の匂いに、少年はおえっと吐き気が込み上げ口の中に酸っぱいものが広がる。
「吐く?」
「い、いえ……」
「そう、でも無理するもんじゃないし。キミみたいなのはこの街に来ない方がいい」
「どうして、ですか?」
「死があちこちにあるから」
未だ見知らぬ女性に目を塞がれたままの少年は、手に脅えているのか塞ぐしうに脅えているのか、声が裏返りつつも言葉を交わす。
「……死、ですか」
「そう、死」
「…………だからこんなに」
遠くから聞こえるサイレンの音にようやく我に返ったのか、「あ、あの……」と塞ぐ手を軽く少年が叩く。
「ああ、ごめんごめん」
ゆっくりと外される指とゆっくりと開かれる瞳。
少年の青みがかった灰色の目としうの淡褐色の目がぶつかり合う。
「……ありがとうございます」
「ん?」
「気にかけてくれて」
「いーえ」
それっきりどちらも口を開くことはなく、ぎこちない沈黙が流れる。
「あ、あの」
「うん?」
沈黙に耐えきれなかったのか、少年の青みがかった灰色の目がしうを映す。
「名前……お伺いしても良いですか?」
「どうして?」
「助けてもらったので……?」
「疑問系かよ、笑う。そーね、いいけどまずはキミの名前教えてよ」
「あ、そ……そうですよね、すみません。
「え?」
「生咲……い、です」
「
答える代わりにこくんと頷く藍に「簡単に答えるなよ」と自分から聞いておきながら軽快に笑い伝えるしう。
「それであなたは?」
「
「はいばなさん……? は、あの」
「ねえ、キミの聞きたいことは今度会えたら教えてあげるっていうのはどう?」
「え?」
「面白いでしょ?」
「いえ、全く」
「あら、残念。でも、一週間もあれば聞きたいことしっかり纏めて聞けるんじゃない? てことで、来週のこの時間にさっきのコンビニの前にいたら知りたいこと答えてあげる」
「ちょっ! ちょっと!」
「ノンノン、質問は答えないよ。ああ、でもどうしてもモヤモヤするならそうね……
一歩的にまくし立てるようそれだけ言うと、「じゃあねえ」と藍の肩をポンと叩き未だスマホを掲げたり、野次馬根性からか増える群衆をかき分けて、青色に変わる横断歩道に向かい歩いてゆく。
その後ろ姿を追いかけることも呼び止めることも出来ず、ただ目の前に再び嗅ぐわう香りから逃れるようにしうとは反対方向の今来た道を藍は駆け出すのだった。
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