Dear

Dear, Dear,

祖母がいつも、こう僕を呼びかけていた。

まるで探偵物語の一幕のようで、なつかしくて、あたたかい。

あれから、彼とメール交換をしている。

雲の上の存在だった彼が、この画面の向こうにいるような気がして。

今までは僕も他のファンと同じように、ただ一喜一憂し、しかしながら他人としてみていた。

今は友達と形容してもよいのだろうか。僕は非常に浮かれている。

だって、メールをしたら、返事がくるのだ。

いままでに彼は、10万件以上の語りかけにアカウントから返事を出したことはない。 それをすべて目を通している、ありがとうと必ずなにかメディアでインタビュされるときには声で語りかけてくれる。

時には、インタビュの内容がその返答のようなときもある。だから、僕たちファンはたとえ直接返事がなくても、ついてゆこうと思うのだ。

優しくて、強くて、聡明な人。

メールの文章は、いつも見ているSNSよりかはいくぶん柔らかくて、短い文章ながら人柄が伝わってくる。

" Dear,

歌は好きなのかい。

歌こそ世界を平和にする。 "

向こうの返事はまちまちだが、僕はすぐに返事を出す。

" Dear,

僕はロックが好き。歴代の歌手のコピーバンドをしてるけれど、オリジナルの歌を作って、いつか舞台に。 "


同じ舞台に。そう言いたかったけれど、おそれ多くてここまでしか入力できなかった。


あえて、メールは彼を特定できないように言葉を濁している。いつどこで情報が抜かれるかわからないからだ。

僕も個人情報の入力をしていない新規のメールアドレスでやりとりをしている。

さすがに端末アドレスまでは偽れないけれど。

僕と彼だけの秘密。

なんとも甘美な響き!

病気になってよかったというのは、おかしな話だけれども、こうして軟禁されたのは僕にとって幸いだったのだ。

学校の友達にも、親にも、内緒の時間が過ぎてゆく。


季節は流れ、気がつけば太陽がまぶしい緑の濃い夏は終わり、枯れ草の踊る涼しい風が吹く秋が近づいてきた。

僕たちは意味もなく、ただ拘束されているように未だにこの建物に住んでいるのだった。外では人権団体の人々が、ここのところ毎日抗議デモを僕たちの代わりにしているのだ。

人権の面ではひどい話だけど、今さら急いで戻る理由もなく、戻る場所もない。むしろ世界の状況は悪化していて、更に流行り病が広がっていて亡くなる人のほうが増えているという。

国営放送がそう伝えるのだから、事実なのだろう。

そういう意味では、かえってこの地区にいれば、一番当初に隔離されただけで、もはや潜伏期も終わったであろう我々のほうが健康の状態に近いのである。初動で感染した疑惑のあった僕たちを監禁してそれで終われば済んだことだっただろうけれども、それ以上に見えない相手のほうが人間の叡智を容易く越えていってしまったように感じる。なにもかも手遅れになっている。これは傲れる人への警鐘なのだろうか。


ふいに、ウィリアムからメールが届いた。

" 告知する "

" 本当に? "

"たった今、1つの言葉を世界へ送る"

僕は急いで小型端末から、いつもの画面を開いた。

" change the world "の言葉とともに、

彼が公園の真ん中に立つ写真。

彼が自分自身の写真を投稿するのは、ほぼないに等しい。

僕の体になにかが駆け巡ってゆく。

肩から電気が伝うように手先まで震えた。

なにかが始まる。

世界が変わる!

僕はすぐにメールをした。

" go "

そしてすぐに返事がきた。

" go "

僕はすぐさま着替えをし、マスクをつけるなり部屋を飛びだした。

隣の部屋のチャイムを鳴らす。

本来なら部屋の住民同士の行き来は禁止だ。

そんな規約はどうだっていい。

彼に会いたい。

「どうぞ」

壁に取り付けてある音声出力機から、声がした。

僕は部屋に入る。

入った瞬間、視界がひらけて、一面白い部屋がまぶしいほどに、光に満ちていた。

同じ間取りのワンルームなのに、とても広く感じた。ソファーと小さな机が窓際にあるのみで、他はなにも置いてなかった。

彼はソファーに深く座っている。

白いシャツに、グレーのスラックス。

やわらかそうな生地の白の手袋をしている。

「何百回も言われて飽きているが、僕らは距離を取らなければならない。君はそこの簡易椅子に」

手で示した入口に近いキッチンの側に、パイプ製の背もたれのない簡易椅子が置いてあった。椅子の座る部分には一枚の白い布が簡易的に巻かれていた。

僕はそこに腰かけた。

彼もマスクをしているけれど、目元は柔らかいのに、強い意思をもった表情をしている。彼の背にある窓からまぶしい光が射し込んでくる。

僕と彼は、2mほど離れているけれど、

とても近く感じた。

かつてなら、舞台に立っている彼をライブスタジアムの二階から双眼鏡でのぞき見るのが精一杯だったからだ。

「君のことを友だと思っている。だからこの部屋に呼んだ。どうだろうか」

彼の目元がほころんでいる。

きっと素の表情だろう。

「僕も友達だと思う。みんなと違って、ビルと呼びたい」

ウィリアムの略称はウィルだけど、他の誰かと一緒になりたくなかった。

「トカゲか」

彼はふっと笑った。

「そうかもね」

今度はキッチンのほうを指差した。キッチンに紙ストローの刺さったドリンクが置いてあった。カップもやわらかい紙製のものだった。

白い掌を僕に向けたので、飲んでということだろう。僕は頷いてマスクをややずらして隙間からストローを咥えて、1口飲んだ。よく冷えたレモネードだった。

「俺たちは変わらなければならない。訳のわからないことに、わからないまま流されて、このままでは全てを失ってしまう。この素晴らしい世界を」

ビルは真剣な眼差しで僕を見つめた。

「壊れるさまを見ているのはロックでない。だから俺たちが壊すんだ 」

僕は従順で単純な思考だから、ビルの言っていることがすぐに理解できなくても、僕には彼についてゆくのが最適解だと確信できた。

「壊すっていうのは暴動?」

「まさか。俺は暴力行動を支持しない。例えば、俺が「壊せ」と投稿したならば全世界の人がありとあらゆるものを壊すだろう。俺には力がある。ありすぎるんだ。やる気になれば、どこかの国がもってる低俗で最悪の爆弾装置のボタンさえ、僕の助言で押すかもしれない。そんな力にうんざりしている」

ビルは遠くを見るような目付きをしている。

すべてを得た者のさみしい目。

「君も他のsweetyと同じかい。俺の見た目しか興味ないかい?」

僕はすぐさま首を横に振った。

「ビル、あなたは美しい! でも、それだけじゃない。歌はあなたが作詞作曲していると雑誌で読みました。僕はすべて聴いてます! あなたの詩もメロディも好きです。ウェアブランドも、カッコよくて、バイトしてお金がたまったら全身をそのウェアでコーディネートしたい」

僕が急に大声を出したため、ビルはやや仰け反り、目を見開いた。

「他のsweetyだって、僕と同じ気持ちの人たくさんいると思います! うまく伝えられないけれど、たとえ僕はウィリアムでも、ビルでも、今なら友達として誇りに思う」


ビルはやさしい眼差しで僕を見つめている。

「君はまぶしいほど真っ直ぐだ」

甘く、低い声が部屋をつたってくる。

「感謝する」

そう言って手を胸の前で重ねた。

ビルは男性だけれども、まるで後光を背負った聖母のような所作をする。


僕は、この人のことをーーー

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