第32話 ハートの丘

「あはっ。ついでに、このまま食べてもらおうかなと思って」


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」


 ゆっくりと口を開く。

 言うまでもなく――これは、間接キスなのでは? 不純な考えを振り払おうにも、水野さんが使用したお箸だ! と、連想してしまう。自然と距離も近付き、うるさいくらいに心臓の音が高鳴る。


 ……三センチ、二センチ、一センチ。


 ぐ、つぉお! からあげが口に入ることはなかった。どこからか、小石が飛んできて頭を狙撃される。まあ、予想は付くけど。


「だ、大丈夫!? どこから、こんな――」

「ははは。本当、なんだろうね。……だけど、緊張が解けたよ」

「――緊張?」

「うん、水野さんのお箸だから」


 はっ! 言ってしまった。


「私の、お箸?」


「……それは、その、間接キスで、なんていうか」


 水野さんがハッとした表情をする。

 続いて、湯気が出そうなくらい顔を真っ赤に染め――僕の一言で、意識してしまったようだ。なんとも妙な空気が僕たちを包み込み、お互いになにかを喋ろうとしては顔を俯かせ合う。

 その動作を何度か繰り返した後、水野さんがくすくすと笑い出した。


「あはっ。このままじゃ、永久にループしちゃうね」


 ふと、天子の言葉を思い出した。

 神ヶ丘は、古来より人々の安息の地となっていた、と。もしかしたら、家族や恋人と来たりして、こんな風に楽しい時間を過ごしたのだろうか。

 この自然豊かな、二つの丘が連なる場所で。


「……神ヶ丘って、遠くから見たらハートの形みたいだよね」


「ハート?」


 僕は聞き返す。水野さんは遠くを眺めながら、


「うん。夕暮れ時とか、真っ赤な夕日に照らされてすごく見えるんだ。まるで、今にもなにかが生まれ落ちそうなくらい。綺麗で暖かくて、神ヶ丘の上を天使が羽ばたいているみたいに」


 そう言い、水野さんは一拍置いて、


「……ね。ずっと聞きたかったんだけど、逆巻君は私のどこが好きなの?」


 不意の質問だった。

 どこが好き? 曖昧な一言――簡単に答えるなら、顔とも言えるだろう。勿論、愛らしく感情が豊かな表情は大好きだ。


 ……でも、僕が好きになった理由はそこじゃない。


 水野さんは何気なくか、一つの話題としてか――質問の意図はわからない。ただ、そんなことはどうでもよかった。全力で答えようと思った。


「僕らしいと、言ってくれたから」


 キッカケは、単純なことだった。

 水野さんは誰にでも優しいから、記憶はないのかもしれない。家庭的な意味で見慣れていたのかもしれない。無意識だったのかもしれない。


 だけど、僕の心は救われた。


 自負するわけじゃないけど、僕は至って普通の少年で性格だって大人しい。だけど、顔面が凶器レベルで恐ろしいという理由だけで――小、中、共に校内では『サタン』と、あだ名が付けられていた。無論、僕に近付く人なんておらず、寂しい日々を繰り返すだけだった。


 その生活は変わらず――ならば、本当にグレてやるよっ! まあ、高校デビューみたいなものだ。とことん、不良になってやろうと思った。


 ……そんな矢先、水野さんに出会った。


 目を閉じれば、鮮明に浮かび出す。あの日、僕に――見た目だけで判断をせず、僕を見てくれたんだ。だから、今のままの自分でいようと思った。僕は僕のままでいいと、言ってくれた人がいたから。


 ……とまらない。


 今まで伝えたかった気持ちが溢れ出し、感情がとまらなかった。


「出会った日から、水野さんのことが好きで好きで、大好きなんだ」


 ずっと、水野さんは黙って聞いていた。

 風により木々が揺れ、鳥たちがさえずる。普段は特に気にならない音が、やけに耳に響いてきた。

 僕の話が終わり、しばらくの間を置いて、


「……ずるいよ」


 水野さんは言う。


「逆巻君は、ずるいよ」


 ずるい? 僕は首を傾げる。


「羨ましく思うんだ。すぐに自分の気持ちに気付けることが――私はまだ、好きっていう感情がよくわからなくて、上手く言葉にできないの」


 と、水野さんは僕をじっと見つめ、


「最初は、自然と目で追っていたんだ。……パパに、似てたから」

「……水野さんが、僕を?」

「でも、最近になって色々な側面を知って、真っ直ぐな気持ちが嬉しくて。さっきも、崖から落ちた時に迷わず――嬉しかった。逆巻君といるとね、胸がポカポカするんだ。これが、今、私の言える精一杯の気持ち」


 水野さんは人差し指を口に当てながら、


「これで、おあいこだね」

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